夢の話:閉鎖系の恐怖 その2(続)

 
 こうした建物では、人に出くわしてはいけない。そこに住まう人々は、建物と同じく無機的で、無機物のような意志と感情を持ち、それ故に私にとって危険な存在なのだ。
 が、厄介なのは、こういう殺風景な建物のなかでは、物陰に隠れようにも、無駄な物陰が一切ないこと。で、誰かに出くわすと、夢は一転、彼らに追いかけられるというシチュエーションへと変容し、私は建物の外に脱出、今度は、先のような希望の持てない世界の恐怖にさいなまれることになる。

 が、出ることができるうちに出ておいたほうがよいのかも知れない。私は、できるだけ外に出るようにしている。と言うのは、巨大ビルは、階上あるいは階下に行き過ぎると、次第に、外に出ることができなくなっていくからだ。

 家屋敷の場合もそうなのだが、ビルディングにも、それ以上進んではいけないと直感が知らせる空間がある。
 例えば、階段をそっと降りてゆくと、いつのまにか、壁の様相が変わっているのに気づく。異様に茶色く、ざらざらとして、まるで爬虫類の鱗のような壁! もはや空気が変質している。そこにいるだけで、ぞわっと寒気を感じる、危険な空気。

 夢の世界では、こうした高層ビルでは、上層あるいは下層に行くほど、つまり正統な出口(地に足の着いた人間が外に出ることのできる出口)から遠ざかるほど、危険が増す。だからエレベーターに乗ってはいけない。エレベーターでは一気に上層へ、あるいは下層へと連れていかれてしまうから。
 経験則から言うと、地上地下ともせいぜい3、4階くらいまでしか行ってはいけない。それ以上進むと、たった今昇ってきたはずの、あるいは降りてきたはずの階段が、見当たらなくなってしまう。

 To be continued...
 
 画像は、フュースリ「羊飼いの夢」。
  ヨハン・ハインリヒ・フュースリ(John Henry Fuseli, 1741-1825, Swiss)

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夢の話:閉鎖系の恐怖 その2

 
 超高層ビルディングに迷い込むこともある。こちらも、だだっ広い古い家屋敷のときと同じように、スルーしても次から次へと部屋が現われて、外に出ることができない。
 私には、横に広い家屋敷よりも、縦に長いビルのほうが怖ろしい。

 私はもともと、高い建物が好きではない。それが鉄筋コンクリートの建物だったら、なおさらそう。クリーンでスタイリッシュかも知れないが、無機的なのが嫌なのだ。
 で、夢の世界で古い家屋敷が不気味なのは、旧弊さから来る迷信や偏見が怖ろしいからなのだが、同様に、夢の世界でビルディングが不気味なのは、この無機的な空気の醸す、生命や人間性に対する軽視・無視が怖ろしいからだ。

 だだっ広い家屋敷に迷い込むときは、最初は小さな家だったところが、いつのまにか次々に部屋が現われる。同じように、ビルに迷い込むときも、やはり最初はありきたりの建物、例えば学校や病院、オフィスやホテルだったりする。
 まず、ああした建物によくある、廊下が奥へと続き、その両側にドアが並ぶ、というシーンから始まる。ドアを開けると空疎な部屋がある。部屋には、ドアとは反対側に窓があることもある。窓の外には大抵、中庭を挟んで、同じ建物の別棟がある。

 私は空を飛べるので、窓を通り抜けて外に出ることもできる。が、こういうビルディングが舞台のときは、外の世界は戦場か、独裁政権下の監視社会か、人類滅亡後の廃墟か、あるいは生命の気配の一切ない、ガラスと金属張りの不吉な未来社会か、……とにかくまあそんなような世界であることがほとんどで、出たら出たで別の恐怖に直面することになる。

 To be continued...
 
 画像は、S.J.ガイ「危険の自覚なし」。
  シーモア・ジョセフ・ガイ(Seymour Joseph Guy, 1824-1910, American)

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夢の話:閉鎖系の恐怖 その1(続)

 
 私は窓を探している。外に通じる窓を。だが窓はない。窓のない家というのはそれだけで不気味だ。

 壁と障子と襖だらけの、細かく仕切られた、だだっ広い屋敷。どれだけ障子や襖をスルーしても、次から次へと同じような部屋が現われる。ある部屋には何もないが、ある部屋には揺り椅子やミシンなど、とりとめもない調度品が置いてある。ある部屋には和式便器や湯船。ある部屋にはだらしなく物が詰まった押入。
 部屋は細かに仕切られていて、障子が二枚並んでいても左と右とでは別の部屋に行き着くし、天袋の襖の向こうにも中二階の独自の部屋が存在する。

 こういうとき、できるだけ扉や障子や襖をスルーしたほうがよい。壁や、ましてや天井をスルーするのには危険が伴う。
 なぜなら、私がスルーした先の部屋は、誰かにスルーされることなど予期しない(と言うのは、夢ではそうした特殊能力を持つのは私一人なのだ!)、極秘の部屋であることがしばしばだからだ。そこには仏像が並んでいたり、いかにも何かが入っていそうな長櫃が安置されていたり、何かが書かれていそうな羊皮紙や布が積み重ねてあったりする。 

 そして、何十、何百の壁や障子や襖を通り抜けて、ようやく窓を見つけて外に出ることができても、そこもまだ屋敷内の、だだっ広い中庭や温室なのだ。

 ようやく窓の外に出たのに視野が開けないときの、愕然とした恐怖! もしかしたら世界は、この屋敷のなかで閉じられてしまっているのかも知れない、という感覚の恐怖は、誰かに追われるという直接的な恐怖なんかよりも、はるかに怖ろしい。
 なぜなら、その恐怖には、救いようのなさがあるからだ。逃げ道を断たれた者の、それを自覚した者の、けれども血路を開くべく努力を続けなければならない者の、じわじわと締めつけられるような恐怖だからだ。

 To be continued...

 画像は、J.A.グリムショー「雨上がりの月光、古いイギリス屋敷」。
  ジョン・アトキンソン・グリムショー(John Atkinson Grimshaw, 1836-1893, British)

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夢の話:閉鎖系の恐怖 その1

 
 夢の世界で諸種の特殊能力を会得して以降、私は、特定の集団に追いかけられる夢をあまり見なくなった。よしんば見たところで、彼らを振り切る余裕のできた私には、もう怖くはなくなった。
 が、夢は、私の能力を超えて新たな恐怖を突きつけてくる。どこからそんな恐怖の発想が出てくるんだ?

 怖ろしい空間に閉じ込められても、その壁を通り抜けて外に出ることができるようになった私には、その空間は怖いものではなくなった。怖ろしい状況に直面しても、瞬間移動してはるか遠くに回避できるようになった私には、その状況は怖いものではなくなった。
 だがそれは、閉じた空間の外に開かれた空間がある場合に、また、ある状況の他に別のいくつもの状況がある場合に、言えることなのだ。もし、世界がただ一つの閉じた空間だったら? 唯一の状況しか存在しなかったら? つまり、世界は一つであって、その世界が恐怖一色の世界だったなら? 
 恐怖の対象は世界であって敵ではない。電撃で攻撃しようにも、私を追いかけてくる敵は存在しないのだ。

 物質を通過できるようになってしばらくすると、まず、壁の向こうにも同じ空間しかない、という夢を見るようになった。

 例えば古い家屋敷。私は壁や天井はもちろん、障子や襖やガラス戸なども、わざわざ開けるなんて手間をかけずに、そのまま背中からスッと通り抜ける。すると、さっきの部屋と似たような部屋に出る。四方は壁、あるいは障子や襖。
 こんなとき、私は誰かに追われているわけではない。だがやはり追われているような焦燥に駆られる。

 To be continued...

 画像は、フュースリ「悪夢」。
  ヨハン・ハインリヒ・フュースリ(John Henry Fuseli, 1741-1825, Swiss)

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ギリシャ神話あれこれ:幼少のヘラクレス

 
 ヘラクレスは赤ん坊の頃から、とにかく人間離れしていて、いろいろと逸話が多い。
 
 ゼウスは可愛い我が子ヘラクレスに不死を与えようと、こっそりと、眠っているヘラの聖なる乳を吸わせた。ところがヘラクレス赤ちゃん、あまりに強く吸ったために、ヘラは眼を醒まし、怒って彼を突き飛ばす。
 このときヘラの乳がほとばしり、天の川(Milky Way)になったという(地上に落ちた乳の滴は、白い百合の花になったとか)。

 一方、ヘラのほうは、不義の子ヘラクレスをとことん虐め抜く覚悟。で、あるとき、まだ赤ん坊のヘラクレスとイピクレスの揺り籃に、いきなり毒蛇を放り込む。怖。
 このとき、イピクレスは蛇を怖れてバブバブと逃げたが(当たり前だ)、逆にヘラクレスは、バブー! と蛇を捕まえて、絞め殺してしまう。
 この様子を見た父王アンピトリュオンは、双子のうち、ヘラクレスのほうがゼウスの子であると納得したという。

 早くから腕力に優れていたヘラクレスはやがて、父王の計らいで、あらゆる武人から武芸百般を教わって育つ。

 彼は音楽も教わり、しかも教えたのは、かのオルフェウスの弟リノス。が、ヘラクレスには音楽のセンスが今一つだったらしい。
 あるとき、竪琴の弾き方を教えていたリノスが、ヘラクレスの習得の悪さに腹を立て(彼はヘラクレスを、双子のイピクレスと比べただろうから、余計に)、厳しく叱りつけた。ところが、逆に怒ったヘラクレスに竪琴で殴り返される。
 まだ子供だった彼は、あり余る力の加減なんてできやしない。で、殴られたリノスは死んでしまった。

 以来、父王は方針を変え、ヘラクレスを牧場にやって、牛の世話をさせることにする。野生児ヘラクレスはのびのびと、日々鍛錬し、やがて剛勇無双の若者へと成長する。

 To be continued...

 画像は、レノルズ「蛇を絞め殺す幼いヘラクレス」。
  ジョシュア・レノルズ(Joshua Reynolds, 1723-1792, British)

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     Bear's Paw -ギリシャ神話あれこれ-
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