ギリシャ神話あれこれ:有能すぎた名医

 
 相変わらずの長寿国ニッポン。長生き自体を自己目的にしている人々さえいる。そのくせ、生きていてもロクなことをしない人々、時間を持て余す人々が多い。

 さて、早とちりと逆上から、愛人コロニスを射殺してしまった間抜けなアポロン。このとき身籠っていたコロニスは、せめて赤ん坊を産んでから死にたかった、と言い残す。
 で、アポロンは、火葬されたコロニスの亡骸のなかから胎児を取り出す。

 赤ん坊アスクレピオスは、半人半馬ケンタウロス族の賢人ケイロンに託され、養育される。ケイロンは、他の乱暴なケンタウロスたちとは出自が異なる(クロノスと、ニンフのピリュラとの子)、有徳の老人。特に医薬の術に優れ、ペリオン山の洞窟に住まって、薬草を栽培しながら病人を助けて暮らしていた。
 医術の神アポロンの血を継ぎ、あらゆる医薬の術に長けたケイロンに教育されたアスクレピオスは、鬼に金棒、養父にも勝る優れた医者へと成長する。

 アスクレピオスはイアソン率いるアルゴナウタイの冒険にも、船医として参加。その後も、医療の技をますます熟達させる。
 アテナ神からゴルゴンの血を貰い、左の血管からの血滴で死を、右の血管からの血滴で治療を施したという。また、蛇を打ち殺したところ、別の蛇が現われて死んだ蛇に草を与えると生き返ったのを見て、その薬草を用いるようになったともいう。
 とにかく彼の腕前は、ついに死者をも甦らせるほどに到る(彼が蘇生したのは、テセウスの息子ヒッポリュトスだという)。
 
 アスクレピオス自身は研究にも、病人や怪我人の救済にも熱心な、謙虚な人間だった。が、死者の蘇生は神々にすら許されない、自然の理に叛く傲慢な行為と見做される。特に、死者が住まう冥界の王ハデスは大激怒。と言うのは、死者がなくなることで自分の支配圏を脅かされると怖れたからなのだが、ハデスから猛烈な抗議を受けたゼウスもまた、神の領分を犯されることに怖れを抱く。
 で、ゼウスはやむなく雷電を放ち、アスクレピオスを撃ち殺す。

 さて、ゼウスのこの処置に激昂したのがアポロン。可愛がっていた出来の良い息子を殺された憤懣は収まらず、かと言って、ゼウスに楯突くこともできずに、腹癒せの八つ当たりに出る。アスクレピオスを殺した雷火を作った奴らが悪い、と、怒りの矛先をねじ曲げて、ヘファイストスの鍛冶場で働いていた一つ眼巨人キュクロプス(サイクロプス)たちを、あっと言う間に皆殺しにしてしまった。
 今度はゼウスがこの乱暴に激怒。アポロンをタルタロスへ放り込もうとするが、母神レトが取りなしに入る。で、アポロンは罰として、一年間オリュンポスを追放され、人間の下僕として仕えることになる。……罰、軽くない?

 ところでこの後、アスクレピオスはゼウスによって、天上にて医薬の神となる。
 彼は医神として崇められて各地に神殿を持ち、参拝者たちの病や傷を癒した。妻エピオネと、娘である医療の3女神、ヒュギエイア(健康)、イアソ(治療)、パナケイア(万物の治癒)とともに、夜、神殿に眠る参拝者たちを診察し、彼らの夢を通じて治療法を授けたという。

 アスクレピオスは蛇の巻きついた杖(蛇杖)を持つが、これは、伝令神ヘルメスの持つケリュケイオンの杖とは別物であるらしい(前者は蛇が1匹、後者は蛇が2匹で杖上に翼がある)。
 なお、蛇使い座はこのアスクレピオス。 

 画像は、ポインター「アスクレピオスの診察」。
  エドワード・ポインター(Edward Poynter, 1836-1919, British)

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ギリシャ神話あれこれ:12の功業その7

 
 難業その7は、クレタ島の牡牛を連れてくること。いよいよエウリュステウス王、ペロポンネソスの外へとヘラクレスを向かわせる。

 この牡牛はもともと、ポセイドン神が海中から送り出した牛。
 クレタ島のミノス王はたくさんの牛を持っていたが、ポセイドンが犠牲を捧げるよう言い渡したところ、自分の牛が惜しくて、上手いこと断った。神に捧げても恥ずかしくない牛は、残念ながら一頭もない、と。
 で、ポセイドンは、では海に現われる牛を捧げるように、と言い、果たして見事な牡牛が海から現われた。
 が、王はこの牡牛が惜しくなって、自分のものにし、別の牡牛をポセイドンに捧げた。ポセイドンは王の不敬に憤って、牡牛を発狂させた(この牛は、ポセイドンが報復に呪いをかけ、王妃パシパエに恋情を抱かせた牡牛ともいう。パシパエの恋慕の結果、牛人ミノタウロスが誕生する)。

 別伝では、この牛はエウロペをさらって海を渡った牡牛だともいう(この場合、エウロペをさらった牛は、ゼウス神の化身ではなく、彼が遣わした本物の牛、ということになる)。

 とにかくこの牡牛は、手のつけようのない凶暴な牛で、クレタ中を荒らしまわっていた。
 ヘラクレスはクレタに渡り、ミノス王に協力を求める。が、王は取り合わない。ミノス王というのは、大体が冷淡なのだ。
 で、ヘラクレスは仕方なく独力で牡牛を捕らえる。この牡牛、なぜか彼の前ではおとなしくなり、彼は従順な牛の背に乗ってミュケナイに帰ったのだとか。

 ヘラクレスがエウリュステウス王に渡した牡牛は、王がヘラ神に献上しようとしたところが拒絶されたため、無責任にも野に放してしまった。
 で、凶暴な牡牛は、スパルタやアルカディアを初め、散々にあちこちを荒らしまわってうろついた後、アッティカ地方のマラトンの野に住み着く。これは、後にテセウスに退治されることになる。

 To be continued...

 画像は、スルバラン「ヘラクレスとクレタの牡牛」。
  フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbaran, 1598-1664, Spanish)

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ロミオとジュリエット

 
 「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」を観た(監督:フランコ・ゼフィレッリ、出演:レナード・ホワイティング、オリヴィア・ハッセー、マイケル・ヨーク、ミロ・オーシャ、他)。

 舞台は14世紀イタリアの都市ヴェローナ。名門モンタギューとキャピュレットの両家は、家長から下男に到るまで仇敵視し合い、ときには血を流し合う仲。
 ある夜、モンタギューの一人息子ロミオは、友人らとともにキャピュレットの夜会に紛れ込み、キャピュレットの一人娘ジュリエットに出会う。たちまち恋に落ちる二人。互いに相手の素性を知っておののくが、結婚を誓い合い、ロレンス神父のもとでひそかに結婚。
 その帰り道、街頭でキャピュレットのティボルトとモンタギューのマキューシオが争っているのに出くわしたロミオは、親友マキューシオが殺されたのに逆上して、ティボルトを殺してしまい、追放の身に。
 一方、両親に結婚を命じられたジュリエットは、ロレンス神父に助けを求める。神父は一計を案じ、ジュリエットに仮死をもたらす毒を与える。納骨堂に葬られた後に眼を醒ますジュリエットを、ロミオが迎えに行く、という算段だったが、ロミオには伝わらず、ジュリエットが本当に死んだと思い込んだロミオは、毒をあおって後を追う。眼を醒ましたジュリエットも、ロミオが死んでいるのを見出し、短剣で後を追う。
 二人の死後、両家は和解する。……という、有名な話。

 言わずと知れたシェイクスピアの高名な悲劇の映画化。原作に忠実らしく、映画と言うより芝居だった。台詞が軽くないの。
 私は戯曲はあまり好きじゃないのだけれど、シェイクスピアくらいはやっぱり読んでおかなきゃ、と思って、学生の頃に一通り読んだ。で、「ロミオとジュリエット」には、「リア王」や「マクベス」のように、一路破滅へと突き進む、ストーリーのアクの強さがなくて、物足りないと感じた記憶がある。

 映画でもやっぱり同じように感じた。直情と浅慮の若い二人。特にロミオ。すれ違って死んでしまう二人の死には正直、なんだか馬鹿みたい、と感じてしまう。でも、ロミオの理性を一番感じたのは、彼の最期のシーンだったんだけど。

 が、古いイタリアらしい街並や衣装、古楽器の音色は綺麗だった。ジュリエットは初々しくて可憐だったし、音楽も、甘く切ないメロディーがいい感じ。この曲、昔、映画音楽鑑賞会で聴いたとき、あー、バイオリンの音色ってこんなに甘いんだな、と思ったっけ。
 で、ジュリエットの可憐さと、音楽の甘さと、映像の美しさで、合格の一本。

 あと、ジュリエットって、日本の布施明と結婚してたってホント?

 画像は、F.ディクシー「ロミオとジュリエット」。
  フランク・ディクシー(Frank Dicksee, 1853-1928, British)
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ギリシャ神話あれこれ:12の功業その6

 
 エリスからの帰途、ヘラクレスがオレノスの王デクサメノスの館に立ち寄ったときのこと。

 館ではちょうど、王女ムネシマケを花嫁として送り出すところだった。先にヘラクレスと戦って散り散りに逃げた、乱暴なケンタウロス族の一人、エウリュティオンが、こんなところにやって来て、ムネシマケに激しく恋慕、是非妻にくれと脅迫したのだという。 
 生贄同然の花嫁を前に、単純なヘラクレスは断固、義侠心を発揮。早速、ケンタウロスを待ち伏せて、花嫁を受け取りに来たところを、とっとと殺してしまう。

 ヘラクレスはこんなふうに、難業の往路、帰路の先々で、人々を困らせる人間やら半人半獣やら猛獣やらを一掃しながら進んでいる。

 難業その6は、ステュンパロスの森から鳥を追い払うこと。

 ステュンパロスのそばの湖は、鬱蒼たる森に覆われていて、そこに青銅の翼、爪、嘴をした無数の鳥たちが住み着いていた。鳥たちはとてつもない騒々しさで人々を脅かし、穀物を荒らしまわるばかりか、鋭い羽や嘴で人々を傷つけ、人畜まで喰らったという。
 ヘラクレスは、ない知恵を絞った末に、青銅の大銅鑼を作る(鍛冶神ヘファイストスに作ってもらったともいう)。これを、ジャアァ~ン! と鳴らし立てると、凄まじい響きに仰天した鳥たちが一斉に飛び立った。空は一転、真っ暗に。
 ヘラクレスは毒矢を放ってそれらを射落とし、どれくらいの数を射たかは知らないが、とにかくそれ以降、鳥たちは森を出て行ってしまった。

 To be continued...

 画像は、モロー「ヘラクレスとステュンパロスの鳥たち」。
  ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898, French)

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性の商品化について(続)

 
 もし女性に金が腐るほどあったら、あるいは、もし売春が金儲けにならなかったら、その女性は多分、売春などしない。刺激が欲しいだけなら、より相手を選択できる別の方法を選ぶだろう。
 だから売春において、少なくとも女性の側には、完全な、内的な自由意思は成立していない、ということになる。性が人格と不可分である以上、内的な自由意思によらずに肉体を売るという行為によって、多かれ少なかれ女性の心は頽廃し、人格は崩壊する。

 この点から、女性の意思を重んじ、心を重んじ、人格を重んじる男性たち、そして女性たちは、性の売買に反対するし、自身はその売買に加担しない。

 性の商品化自体は市場社会で不可避である以上、それをモラルによって規制しようとしても、大した成果にはならないだろう。一番いいのは、性を売買する欲求そのものを減らすことだと思う。つまり一人一人が、互いに愛し合い理解し合うパートナーを求め、豊かな性を追求することだと思う。

 蛇足だが、気に入らない社会現象についてはことごとく、それらに対する商業主義による影響を非難するくせに、一方で平然と、ポルノ映画を見た、などと公言するようでは駄目だ。その同じ口で、閣僚の失言をあげつらったところで、何の説得力もない。
 その人がどういう人かは、その人の両性観を見れば分かるという。他のことでどれだけ良いこと、正しいことを言ったにしても、先の一言ですべてチャラだ。

 性の商品化というのは、そういう性格の問題なのだから。

 画像は、トゥールーズ=ロートレック「シュミーズを引き上げる女」。
  アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
   (Henri de Toulouse-Lautrec, 1864-1901, French)


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