色めくアルメニア

 

 私が個人的に、まとまった量の絵をナマで観てみたい、第一級要チェック画家の一人が、アルメニアの画家マルティロス・サリアン(Martiros Saryan)。
 ロシア象徴主義に与する「青バラ派」に名を連ねる彼の絵は、ちっともロシア的ではない。そりゃ、彼がアルメニアの画家で、しかもアルメニア文化独特の主題を取り上げて描いたからだ。

 アンリ・マティスからモロに影響を受けたという彼の色使いは、ちょっと困ったところがあった。が、それを消化してからの色彩は、とにかく素晴らしい。明るく、質素で、大胆で、それが、モチーフを最小限かつ几帳面に、リズミカルに描き出す彼の表現に、大いにマッチしている。

 アゾフ海に臨むロストフ・ナ・ドヌの生まれ。モスクワの美術学校で絵を学び、印象派画家セロフやコロヴィンに師事。なので在学中に影響されたのは、フランスの印象派、ポスト印象派、野獣派といった流れ。特に、ゴーギャンとマティスの、強く鮮やかな原色の色彩は決定的だった。
 コーカサス、そして卒業後はトルコやエジプト、イランまで、中近東を広く旅行する。この頃から、マティス譲りの過激な色彩は徐々に落ち着いて、異国情緒あふれるオリエンタルな風景と溶け合うようになる。中近東のロマンに惹かれてやまない彼ではあったが、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺の時期には、難民を助けるために、アルメニア正教会の総本山エチミアジンにまで赴いてる。

 アルメニアに帰り、ロシア革命後は、ソ連とパリを行き来して制作。が、パリ時代の作品は、ソ連へ戻る船上で遭遇した火事で、消滅してしまったという。

 30年代のソビエト芸術の時代、サリアンはやはり苦労したらしい。この困難な時期、それに続く、息子も徴兵された独ソ戦の時期、彼は黙々と風景画に没頭する。描いたのは、ノアの方舟が漂着した、祖国アルメニアの心の故郷、アララト山。
 この頃までの絵が、傑出している。その後、ソビエト画壇で、次々と与えられる名誉を受け入れる一方で、絵の迫力は弱まっていったように思う。

 エレバンにて死去。彼の家は現在、美術館となっているので、アルメニアには美人しかいないそうだよ、と言って、相棒を焚きつけているのだが、ビザの問題があるので、気軽には赴けそうにない。

 ちなみに、独ソ戦を生き延びた息子ガザロス・サリアンは、著名な作曲家となった。また、ボリス・パルサダニアンは交響曲第二番を、サリアンに捧げたという。

 画像は、サリアン「花咲く杏の樹」。
  マルティロス・サリアン(Martiros Saryan, 1880-1972, Armenian)
 他、左から、
  「カイロの路地」
  「泉へ」
  「プーシキン小道からの峡谷の眺め」
  「アララト山と聖フリプシメ教会」
  「室内」

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