世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
ラザロの蘇生(続)
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だが、イエスが村に着いたとき、ラザロはすでに死に、葬られて4日が経っていた。大勢のユダヤ人たちが、姉妹を慰めていた。姉マルタが、村の入り口までイエスを出迎えに行く。
「あなたがここにいてくださったなら、弟は死ななかったでしょう」
イエスは答える。
「お前の弟は蘇るだろう。私は蘇りであり、命である。私を信じる者は、たとえ死んでも生きる。生きて私を信じる者は、いつまでも死なない」
マルタは帰って、妹マリアを呼ぶ。マリアはイエスのもとに行く。慰めていたユダヤ人たちも、あとに続く。
マリアはイエスの足元にひれ伏す。
「もしあなたがここにいてくださったなら、弟は死ななかったでしょう」
マリアが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、イエスは心を揺さぶられ、ラザロはどこか? と尋ねて、涙を流す。
それを見たユダヤ人たちが口々に言う。
「なんとラザロを愛しておられたことか」
「盲人の眼を開けたこの人も、ラザロを死なせないようにはできなかったのか」
イエスは墓の前に立つ。墓穴は洞穴で、そこに石が嵌めてあった。「石を除けなさい」と言うイエスに、マルタは、もう腐っているから、とためらう。
人々が石を取り除けると、イエスは、「ラザロよ、出てきなさい」と呼びかける。すると、死んだはずのラザロが、全身を布で巻かれたまま現われる。
イエスは人々に、「ラザロをほどいてやって、帰してやりなさい」と言う。こんなことを見てしまってはもう、ユダヤ人たちもイエスを信じた。
だが、このことを聞きつけた司祭長たちは、このままではみんながイエスを信じるようになる、と、互いに怖れをなす。大司祭カヤパが、
「お前たちは何も分かっていない。一人の人間が、民が滅びないように、民に代わって死ぬことは、我々にとっては得だとは、考えもしない」
この日から、彼らはイエスを殺そうと計画する。
画像は、ゴッホ「ラザロの復活(レンブラントの模写)」。
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890, Dutch)
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ラザロの蘇生
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「インターステラー」というSF映画のなかで、人類という種の保存を課題とした「ラザロ計画」が登場する。これは新約聖書の、神の奇跡によって復活した死者ラザロからのネーミング。ついでに、人類が移住可能な新しい惑星、約束の地カナンを目指すのも、聖書(「出エジプト」)のイメージ。
欧米ものは、こういう含みは奥が深いなあ、と感じ入った。反面、すべての生物を一つがいずつ乗せた「ノアの方舟」とは異なり、人類だけが、自分が自業自得で滅ぼした地球を、他の一切の動植物の種をあっさり捨てて去っていく、というところが、いかにもアメリカ的だなあ、とげんなりもした。
以下は、「ヨハネ福音書 第11章」からの備忘録。
イエスがヨルダンに滞在していた頃のこと。イエスのもとに、「弟ラザロが病気です」との知らせが届く。
それは、エルサレム郊外、ベタニアの村に住まうマルタとマリア姉妹からのものだった。イエスはかつて彼らの家を訪れたことがあり、彼らを愛していた。
村に行こうとするイエスを、弟子たちは、ユダヤ人たちがまた石で殺そうとするだろう、と制する。
が、イエスは答える。
「人は、昼に歩けば躓くことはない。光があるからだ。だが夜に歩けば躓く。光がないからだ。私は、友人ラザロを起こしに行く。ラザロは死んだが、私がそこに居合わせなかったことを、お前たちのために喜ぼう。お前たちが信じるようになるのだから」
十二使徒の一人、デドモ(双子の意)と呼ばれるトマスが、他の弟子たちに言う。
「じゃ、我々も行って、先生と一緒に死のうじゃないか」
To be continued...
画像は、H.O.タナー「ラザロの復活」。
ヘンリー・オサワ・タナー(Henry Ossawa Tanner, 1859-1937, American)
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バビロンの大淫婦(続)
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天使がヨハネに言う。
あの獣は、昔はいたが今はいない。やがて来たり、ついには滅びるものだ。7つの頭は7人の王、10の角は10人の王のことだ。彼らは獣とともに王としての権威を受け、子羊に戦いを挑むが、王の王である子羊は彼らに勝利する。子羊とともに死んだものたちも勝利する。
淫婦の座る水は、あらゆる民族と言語のことだ。獣はこの淫婦を憎み、惨めにし、裸にし、肉を食らい、火で焼き尽くすだろう。淫婦とは、地上の王たちを支配する大いなる都のことだ。
すると、もう一人の天使が、大いなる権威を持って天から降りてくる。天使は叫ぶ。
大いなるバビロンは倒れた。それは悪魔とあらゆる汚れた憎むべき霊の巣窟となった。地上のあらゆる民が、彼女の姦淫に対する怒りの葡萄酒を飲み、王たちが彼女と姦淫し、商人たちが彼女の贅沢により富を得ていたために。
さらにもう一人の天使が言う。
民よ、その罪にあずからないよう、彼女から離れ去れ。彼女の罪は積もり積もって天に達した。彼女の不義を倍にして報復せよ。あらゆる災いが一日のうちに彼女を襲い、彼女は火で焼かれてしまう。
彼女と姦淫し、富をほしいままにしてきた地上の王たちは、彼女が焼かれる火を見て嘆き悲しみ、彼女の苦しみに恐れをいだくだろう。
「大いなる都バビロンは災いだ。お前に対する裁きは一瞬にしてやって来た」
商人たちも嘆き悲しむ。
「大いなる都は災いだ。これほどの富が一瞬にして無に帰してしまうとは」
天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ、大いに喜べ。神はお前たちのためにこの都を裁いたのだ。
さらにもう一人の天使が、巨石を持ち上げ、海に投げ込んで宣言する。
大いなる都バビロンは、このように打ち倒され、まったく姿を消したのだ。
画像は、デューラー「大淫婦バビロン」。
アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471-1528, German)
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バビロンの大淫婦
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「人間の絆」のミルドレッドやら「痴人の愛」のナオミやら、「ルパン三世」の峰不二子やらが話題になると、相棒は決まって、ついでに「バビロンの大淫婦」を思い出す。……すごい名前だな。
その昔、聖書に「バビロンの大淫婦」なるものが登場すると教えてあげて以来、その響きがやたらに忘れがたくて、何かにつけて思い出しているうちに、「バビロンの大淫婦」は、どんな淫婦もかなわない、あらゆる淫婦に勝る、淫婦たちに君臨する淫婦の女王、淫婦中の淫婦のようなイメージに膨らんでしまった。
「バビロンの大淫婦」というのは、「ヨハネ黙示録」に出てくる、女の姿で表わされた反キリストの暗喩。「バビロンにいる大淫婦」ではなく、「バビロンという大淫婦」、つまり「大いなる淫婦バビロン」、「大淫婦バビロン」という意味。
以下、「ヨハネ黙示録 17~18章」の備忘録。
7つの鉢を持つ7人の天使の一人がヨハネに言う。
「水上に座る大淫婦に対する裁きを見せよう。地上の王たちはこの女と姦淫し、地上の住人たちはこの女の姦淫の葡萄酒に酔いしれている」
天使はヨハネを荒野へと連れて行く。そこには、緋の獣に乗った一人の女がいた。獣は7つの頭と10の角を持ち、神を汚す数々の名で覆われていた。
女は紫と緋の衣を纏い、金・宝石・真珠で身を飾り、憎悪と姦淫の汚れで満ちた金の杯を手に持ち、額には一つの名が記されていた。
“大いなるバビロン、淫婦どもと地上の憎むべきものらとの母”
女は聖徒の血とキリストの証人の血に酔いしれていた。
To be continued...
画像は、ブレイク「大淫婦バビロン」。
ウィリアム・ブレイク(Wlliam Blake, 1757-1827, British)
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聖書あれこれ:ノアと洪水(続々々)
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さらに7日待って、ノアは再びハトを箱舟から放つ。ハトは夕方にノアのもとへと戻ったが、そのくちばしにはオリーブの若葉をくわえていた。さらに7日後、ハトを放つと、ハトはもう戻ってこなかった。
水が引いたことを知ったノアに、神は、箱舟から連れ出て、地上に増え広がれ、と言う。ノアは箱舟を出、鳥獣たちもあとに続く。
ノアは祭壇を築き、燔祭を捧げる。神は、もう二度と、人間ゆえに地を呪い、生命を滅ぼしたりはしない、その永遠の契約の印として、雲を起こすときには虹をかけよう、と誓う。そして、生めよ、増えよ、地に群がり、地に満ちよ、と、ノアらを祝福する。
ノアにはセム、ハム、ヤペテの三人の息子がいた。今やアダムに代わって、ノアが人類の始祖となる。
さて、その後ノアは農夫となり、葡萄畑を栽培する。あるとき葡萄酒をしたたか飲んで酔っ払い、天幕のなかで真っ裸のまま眠ってしまった。
ハムが裸の父を見つけ、兄弟に吹聴する。セムとヤペテは父の裸を見ないよう、後ろ向きに歩み寄り、父を上衣で覆った。
やがて酔いから醒めたノアは、このことを知って、なぜかハムの息子カナンを呪う。カナンはセムとヤペテに仕えるしもべとなれ! と。
画像は、G.ベッリーニ「ノアの酩酊」。
ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, ca.1430-1516, Italian)
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