世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
もう一人の印象派女流画家
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印象派に括られる女流画家の有名どころは、ベルト・モリゾとメアリー・カサット、そしてエヴァ・ゴンザレスだろうか。家庭の日常のワン・シーンを、女性らしい感性で描いた画家たち。
悪く言えば、女性の、しかも社会的に恵まれた女性の、制約された狭い視野で描いた風俗画なのだろうが、それでも新鮮だし、柔らかでこやまかだし、愛情にも満ちているしで、つまらない絵ではない。ので、私は悪くは言わない。
このうちゴンザレスは、早世したため、彼女の絵に出会う機会はあまりない。
エヴァ・ゴンザレス(Eva Gonzales)はモリゾやカサットと同じく、良家の出で、当時、上流階級に人気のあったお教室、シャルル・シャプランのアトリエで、絵を学んだ。
女性にはまだまだ制約の多かった時代。絵を描くことも、趣味のよい嗜みとして奨励されていたにすぎなかったのだが、ハタチのときに、父親の紹介でマネに出会い、一気に人生が画業へと傾く。このときマネは、美貌のゴンザレスにすっかりまいってしまって、すぐさま、モデルになってくれと申し込む。
こうしてゴンザレスはシャプランのアトリエを飛び出し、マネの弟子兼モデルとなる。彼女は、マネが唯一認めた、正式な弟子だという。
ところで、マネのモデルを務め、マネから強い影響を受けつつ絵を描いた、美しい女絵描きと言うと、やっぱりモリゾを思い出す。
マネとモリゾの関係には、当時からいろいろ噂のあったところだが、モリゾがマネを恋い慕っていたのは、どうやら本当らしい。モリゾがマネに出会って、モデルとなるようになったのは、彼女が27歳のとき。それまでも本格的に絵を描いていたモリゾは、マネの斬新なスタイルを熱心に学ぶ。
翌年、自分より8歳も年若いゴンザレスが、マネのお気に入りの弟子として登場する。ゴンザレスの絵は、彼女が早くに死んでしまったせいもあるだろうが、主題も色使いも、マネのスタイルに似通っている。ゴンザレスは印象派に括られることが多いが、モリゾとは異なり、師マネに倣って、印象派展に出品しようとはしなかった。
マネが容赦なく手を加えて描き変えてしまった絵が、サロンに入選し、モリゾは大いに嘆いた、というのは、有名なエピソード。そんな彼女だから、マネへの尊敬と愛情、自身の画家としての自立心のあいだで揺れ動くなか、ゴンザレスの存在はとても気になるところだっただろう。
「マネはゴンザレスのことしか褒めやしない」、「でも、思いがけず私の絵を褒めてくれた。ゴンザレスのより私の絵のほうが、よかったのね」……とかなんとか、モリゾが言っていたと、どこかで聞いたことがある。
で、そんななか、マネとは似ていない、マネの弟ウジェーヌからのプロポーズに、モリゾがOKしたのには、彼女の強い理性を感じてしまう。女性は、自分が愛する男性とよりも、自分を愛してくれる男性と一緒になったほうが、幸福になれると言うもんね……
一方、ゴンザレスは、マネの友人と結婚するが、産褥後、塞栓症の発作で死んでしまった。わずか34歳。このとき、マネの死後、一週間と経ってはいなかった。
画像は、ゴンザレス「コップの薔薇」。
エヴァ・ゴンザレス(Eva Gonzales, 1849-1883, French)
他、左から、
「朝の目覚め」
「こっそりと」
「白いドレスの女」
「扇を持つ婦人」
「繻子の靴」
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地上の楽園を求めた画家
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人間にはセンスというものがある。その画家の人間性はさておき、その絵の社会的価値を認め、その画業の歴史的意義を認めた上で、やっぱりその画家の絵を個人的に好きになれない。そういう画家もいる。
で、私の場合、ゴーギャンの絵をよいと感じたことがない。今までゴーギャンの絵は何枚も観てきたし、これからもゴーギャン展には足を運ぶだろうに、あのプリミティブな神秘性を実感できない。……つまり、私はゴーギャンとはセンスが異なるわけだ。
ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)は、ご存知、後期印象派の最重要な画家の一人。後期印象派というのは、どちらかと言うと誤訳で、実際にはポスト印象派(Post-Impressionism)、つまり印象派を超えた画派、という意味。
ゴーギャンはもともと株式仲買人で、ただの日曜画家だったところが、趣味が高じて、当時前衛だった印象派のピサロから教えを受け、印象派展にも出品。この頃は仲間内から、「ピサロの下手糞な模倣」なんて評されている。
株価の暴落をきっかけに、画業への専念を決意。生来、ゴーガン不遜な、尊大な、自信過剰な、楽天的なゴーギャン。金に詰まり、妻子と別居しても、
「最後には僕は第一級の仕事を成し遂げるよ。芸術において僕は結局、常に正しいのさ」
ちょうど、自然を追求する印象派への反動から、画家自身の内面を暗示する象徴主義がブームとなりつつある頃。土俗の伝統を持つブルターニュの小村、ポン=タヴェンに移ったゴーギャンは、そこで自分の半分くらいの歳のエミール・ベルナールの、七宝細工(cloisonne)から霊感を得たという、単純な太い線で区切ったなかを純色で塗り潰して色面を作るスタイルに、感銘を受ける。
これが、ポン=タヴェン派が用いたクロワソニスム(Cloisonnism)で、彼らの総合主義の理念を表現する手法となった。これによってゴーギャンもまた、対象の絵画的、装飾的な要素を様式化・図案化して表現する画風を確立する。
「自然をあまり模写しすぎちゃいかん。神に到る唯一の方法は、神のなすこと、つまり創造をすることだ」
が、後にゴーギャンは、このスタイルを生み出したのは自分だ、と豪語。これにはベルナール、大憤慨。
こんなゴーギャンだから、ゴッホと一緒にやっていけるはずもない。ゴーギャンを迎えるべく、心を配って丁寧に部屋を準備したゴッホ。だがゴーギャンは、寝室の壁をポルノグラフィで埋め尽くすような男なのだ。
費用はゴッホ(実際は弟テオ)持ち、というウマい話に飛びついただけの彼は、ブルターニュでと同様、指導者を気取り、ゴッホを弟子扱いして、描き方まで横柄に指図したからたまらない。二人の生活は、あっという間に破綻。ゴーギャンは耳を切り落としたゴッホを捨てて、さっさとパリに逃げ帰った。
そして数年後、突然、タヒチへと旅立つ。
ペルーで育ち、若き日には船乗りとして中南米や南洋を渡航したゴーギャンが、西洋文明に失望し、色鮮やかでエキゾチックな未開地を希求してやって来た、南海の孤島。だが、すでにそこも西洋文明に蝕まれていた。
それでもパリよりマシだろう、と、13歳のヴァヒネ(愛人)と暮らしつつ、絵を描く。が、相変わらずの貧困に加えて、やがて自業自得の梅毒にも冒され、やむなく帰国。
だが、一度捨てた祖国では居場所がない上に、絵も売れない。再びタヒチへと渡り、14歳の新しいヴァヒネと暮らして絵を描く。
そしてそのまま、辺鄙なマルキーズ諸島で客死した。
ゴーギャンは確かに、芸術家ではあったと思う。野垂れ死に、万歳!
画像は、ゴーギャン「アハ・オエ・フェイイ(おや、妬いているの)」。
ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848-1903, French)
他、左から、
「少女」
「“黄色いキリスト”のある自画像」
「イア・オラナ・マリア(マリア礼讃)」
「アレアレア(楽しいとき)」
「マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)」
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印象派の巨匠
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ちょっと前になるが、「クロード・モネの世界展」に行った。日本では印象派が一番人気だし、クロード・モネ(Claude Monet)はその印象派の巨匠だからして、モネの絵を観る機会はダントツに多い。
「鳥が歌うように、絵を描きたい」
こう言ったのは、確かモネだったと思う。
絵画とは多分に右脳的、と言うか視覚的なものだが、印象派の絵は特にそう。今この瞬間に眼前にあるものを描く、というコンセプトにも関わらず、描かれた絵は、いわゆるリアリズムとは随分、趣が異なる。
何が描かれているのか、と思ってよく観ると、何が描かれているか分からないこともある。が、そんなことを思わないで観ると、すっと分かる。
モネは眼の前に見える木を、水を、家を、人を、どんな色でどんな形のもの、という自分だけの印象として捉えるよう、教えたという。……これは実に絵画的で、絵を絵のように描けるやり方らしい。
そして長寿の生涯を描き続けたモネだから、いつからか、きっと、鳥が歌うように絵を描けるようになった、と思う。
有名な話だが、絵が得意だった少年モネは、地元ル・アーヴルで風刺画を描いて小遣いを稼いでいた。これがル・アーヴルの海景画家、ウジェーヌ・ブーダンの眼にとまる。
ブーダン先生、戯画で才能を終わらせるのを惜しんだか、あるときモネ少年を連れて、いつものとおり戸外で風景画を描いてみせた。
突然、眼から鱗の落ちたモネ少年。以来、風景画にハマり、やがて絵の勉強のためパリへと旅立つ。
一時ル・アーヴルへと戻ったモネは、今度はそこで、オランダ出身の夜の風景画家、ヨハン・バルトルト・ヨンキント先生に出会う。
く~、モネってば運好すぎ。さすが、優美なる港町、ル・アーヴル!
再びパリに出た彼は、同じ画塾のルノワールやシスレー、バジールらと親交を結び、後にグループ展を開催。このときモネが出品した「印象、日の出」から、「印象派」という名称が生まれた。
愛妻カミーユと幼子ジャンとともに、セーヌ河畔のアルジャントゥイユで暮らした頃のモネの絵の、印象派に特有の明るい陽光は、現在の幸福と未来への希望とを照らすかのように輝いている。
が、依然、絵はブレイクせず、極貧を甘んじる印象派の面々。モネも例外ではなく、しかも彼のどん底生活を支えてきた実業家オシュデが、いきなり破産。自殺し損なったあげくに、妻子を残してトンズラする。
パトロンを失ったモネ一家と、破産したオシュデ一家は、やがて一緒にヴェトュイユへと移り住む。モネ一家4人、オシュデ一家8人の大家族。で、モネとオシュデ夫人アリスとは、この頃から恋愛関係にあったらしい。
カミーユの夭死後、この大家族は転々とした後、終生の地ジヴェルニーに落ち着く。が、晩年、白内障に眼を冒され、アリスにも先立たれると、モネはジヴェルニーに籠もり、庭園の睡蓮の池を描くのに没頭するようになった。
奇妙に感覚的な睡蓮の絵を観ると、光とは必ずしも明るいものではないと感じる。
画像は、モネ「アルジャントゥイユのひなげし」。
クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926, French)
他、左から、
「アルジャントゥイユの線路橋」
「散歩、日傘を持った女」
「サン=ラザール終着駅」
「川岸のほとりの花」
「ジヴェルニー近郊、霧のセーヌ川入り江」
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