ギリシャ神話あれこれ:12の功業その2

 
 難業その2は、レルネの水蛇ヒュドラを退治すること。

 ヒュドラもやはり怪物テュポンとエキドナの子で、レルネの沼に住みついていた怪蛇。で、これが現われたのも、やっぱりヘラの差し金だという。
 9つの首を持ち、そのうち中央のひときわ大きな首は不死。他の首も厄介なことに、切り落としてもすぐに切り口から新しい首が、しかも二つずつに増えて生えてくるという。

 ヘラクレスは甥イオラオスを連れてレルネの沼へとやって来る。ヒュドラの吐く毒気にやられないよう、口と鼻を覆い、まずはその住処に火矢を放ってヒュドラを追い立てる。
 ヒュドラは毒を吐き、尾でまといついてヘラクレスに応戦。おまけに、ヘラの送り込んだ巨大な蟹カルキノスが、チョキン! チョキン! 鋏をかまして、ヘラクレスの足を切り取ろうと頑張る。
 が、ヘラクレス、大蟹のほうはあっさり、べちゃっと踏み潰す(……なんで、こんな弱っちいのを送ったの?)。

 さらに彼はヒュドラの首を切り落とすが、新しい首が生えてくるばかり。そこへ甥が、首が再生する前に、切った先から次々と、その切り口を松明の火で焼いてまわった。
 で、ヘラクレスは最後に残った不死の首を切り落とし、巨大な岩の下に埋めると、残った胴体をバラバラに切り裂く。

 ヒュドラの血には猛毒が含まれていて、以来、ヘラクレスは、自分の矢をこの毒に侵して最強の毒矢を作った。

 ヒュドラも大蟹も、やはり天に昇ってそれぞれ海蛇座、蟹座となったという。

 無事ミュケナイへと帰還したヘラクレスだったが、さて、エウリュステウス王は、甥の助けを借りたのはイレギュラーだ、とイチャモンをつけ、この難業をノーカウントとしてしまった。
 セコい王だこと。

 To be continued...

 画像は、モロー「ヘラクレスとヒュドラ」。
  ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898, French)

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ギリシャ神話あれこれ:12の功業その1

 
 エウリュステウス王というのは、卑劣で臆病なくせに権力欲だけは持ち合わせている、しかもそれをしっかり自覚している、という、権力者によくあるタイプ。正直で勇敢なつわもの、ヘラクレスが煙たくてたまらず、彼が贖罪にやって来たのをこれ幸いと、無茶苦茶な難題を出して、彼を亡き者にしようと画策する(ヘラがそう吹き込んだともいう)。
 こうして、王がヘラクレスに出した難題が、いわゆる「ヘラクレスの12の功業」。

 さて、難業その1は、ネメアの森の獅子の皮を取ってくること。まずは近場から。

 ネメアの森には人畜を喰らうライオンがいて、人々から怖れられていた。このライオンは百頭の大蛇テュポンと半人半蛇エキドナの子で、不死の身体を持ち、剣も槍も矢も通さない、鋼鉄のような分厚な皮をしている魔性の猛獣。
 この怪物が突如この地に現われたのも、ヘラの差し金だったという。
 
 森に向かったヘラクレスは、ライオンを見つけるとさっそく矢を放つ。が、効き目なし。で、今度は棍棒で、ボカン! と殴る。
 さすが不死なので死にはしなかったが、彼の馬鹿力に仰天したライオンは、とっとと逃げ出す。ヘラクレスはライオンを洞穴へと追い込んで、その首に腕を巻きつけ、3日3晩絞め上げる。で、ライオンがヘロヘロにのびたところで、皮を剥ぎ(肉は食って。いくら不死でも、これではもう何もできまい)、ミュケナイへと持って帰る。

 このライオンが、天に昇って獅子座となったという。……ヘラクレスが倒した怪物には、星座になったものが多いのだが、これは、彼を苦しめた褒美にヘラ神が与えた栄誉であるらしい。

 ところで、ヘラクレスが肩にかけているライオンの毛皮は、先のキタイロンのものではなく、ネメアのライオンのものだともいう。ま、こっちの化け物の皮のほうが、剣も槍も通さないのだから鎧としての使用価値は大きい。

 さて、難業を果たしたヘラクレスの存在を、エウリュステウス王は本気で怖がるようになる。以来、王はヘラクレスがミュケナイの門内に入ることを許さず、彼が戻ってくると聞くと、地中に埋めた青銅の甕に隠れ(……おいおい)、コプレウス(=糞)という男を仲介に、やり取りするようになったという。
 度胸のない王だこと。

 To be continued...

 画像は、スルバラン「ネメアのライオンと戦うヘラクレス」。
  フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbaran, 1598-1664, Spanish)

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ギリシャ神話あれこれ:ヘラクレスの選択

 
 さて、テバイの王クレオンは、テバイを勝利に導いた戦功を称えて、娘メガラをヘラクレスに娶らせる。ヘラクレスはメガラと幸せに暮らし、3人の子にも恵まれる。
 が……

 生まれながらにヘラ神の嫉妬を受けているヘラクレス。しかもヘラの復讐は半端じゃない。
 このときもヘラは、狂気の女神リュッサを遣わして、ヘラクレスを狂乱させてしまう。
 ぐおおーッ! 単純な彼の頭は呆気なく狂気に支配され、妻メガラと子供たちを、あっという間に竈に燃えさかる火炎のなかに投げ込んで、焼き殺してしまう。怪力を持つ彼を相手では、妻子はひとたまりもない。南無。

 時遅く現われたアテナ神にしたたか頭を殴られて、ヘラクレスはようやく正気に戻る。が、妻子はすでに死んでいる。
 自分のしでかした所業に驚愕し、おいおいと悲嘆するヘラクレス。やがて彼は沈痛な思いを胸にテバイを去る。彼が赴いたところはデルフォイ。いかにして贖罪すべきかを神々に乞うために。

 すると神託は告げる。……ティリュンスとミュケナイを統治するエウリュステウス王に仕え、彼の命ずる10の難業を成し遂げよ、と。
 エウリュステウスは、ヘラの画策でヘラクレスより先に生まれ、結果、ゼウスの図らぬ祝福により王となった、王の器じゃない王。前途は多難そう。

 ちなみに、ヘラクレスが両親から授かった名はアルケイデス。彼はこのとき、デルフォイの巫女によって初めて、ヘラクレス(=ヘラの栄光)という名を与えられた。
 ヘラにいびられまくるヘラクレスが、「ヘラの栄光」だなんて、なんだか皮肉。

 こうしてヘラクレスは、ベートーヴェンのごとく、敢えて苦難の道を選択する。

 To be continued...

 画像は、ベネル「美徳と悪徳のあいだのヘラクレス」。
  エマニュエル・ベネル(Emmanuel Benner, 1836-1896, French)

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生と死を貫きて

 
 大学受験のとき級友から聞いたのだが、受験勉強をするのがイヤで、勉強なしに高校3年間を過ごし、さて、受験の2日前から、他のことを一切せずにひたすらに神に祈り続けた人がいて、その人は志望校に合格したという。
 実は私も、大学入学頃まで毎晩神さまにお祈りしていたのだが(もちろん、大学に合格しますように、とも祈っていた)、大学に入って、ひょんなきっかけから唯物論なんて勉強するハメになって以来、いつのまにか、もう神には祈らなくなった。

 が、私はついに、この間、再び神に祈った。

 ……神さま。もう私はあなたを、以前のように神ではなく、法則か、霊感か、宇宙の声か、精神の源か、そんな名で考えているかも知れませんが、とにかく名称はどうでもよいことで、今もあなたの存在を信じ、ここに祈ります。どうか、私の祈りを聞き届けてください。
 この数年、果たさずに散々サボったり端折たりしてきましたが、あなたに与えられた使命を、私は忘れてはいません。これからは使命に向けて持てる力を割きます。今後一生、あなたが人間に贈った叡知と自由を武器に、あなたが人間に突きつけている試練に立ち向かい、そうすることであなたの存在を、未来ある人々に知らしめることを約束します。科学者として、芸術家として、人間として、闘い切ることを約束します。
 ですから、私の願いを聞き届けてください。……

 先日のこと。相棒が、何度も会っている人物の名前を名簿で見て、ふと違和感を感じ、当の人物もいるみんなの前で、「そんな人、いませんでしたよね」と言ってしまった。当の人物はショックだったが、こんなことは初めてだった相棒自身も大いにショックを受けた。
 相棒は頭脳の人だ。どんな「定在」に対しても「概念」を一致させる。つまり、対象を数字や言語とセットで記憶する。で、いろいろと調べて理由を精査し、最悪の場合を想定して、若年性アルツハイマー病であると自己診断を下した。
 で、大学病院でウン万円払って、CTやMRIで画像検査した。

 私はなぜか、今回については切実に、もうダメポ、と感じていた。それは前兆のせいだった。特にどうということもない話なのだが、相棒が突然、このほんの2、3日前から、亡き友人が私と別れる直前に使っていた言葉と、同じ言葉を使い始めたからだった。

 この数年、大学病院に何度足を運んだことだろう。これで相棒、足の指から脳まで全部、検診を受けたことになる。が、今度もまた結果はシロだった。
 別に私が祈ったからでもないんだろうけど(相棒は私が神と対話すると言って茶化す。私をイタコの口寄せ婆とでも思ってるんだろうか?)、とにかく私は、私の神との約束を果たさなくちゃならない。

  生と死を貫きて
  雄々しく耐うる
  鎖なき魂一つ

 とりあえず、全快祝い(?)にケーキでも焼くことにする。

 画像は、ムンク「太陽」。
  エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年-1944, Norwegian)
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夢の話:無際限の恐怖(続)

 
 私は、一面同じ風景のなか、目印を定めてその方向に飛んでいく。なのに、いつまで経っても景色は変わらない。どこまで行っても同じなのだろうか。それとも、知らずに同じところをグルグルと回っているのだろうか。
 どこまでもどこまでも果てしなく続く、漫然とした茫漠たる風景。そこに、超存在の気紛れによって突如置かれた、ちっぽけすぎて存在しないも同然の自分。風景画家たちは、風景を愛していたわけではない。人間こそを愛していたはずだ。だから風景を描いたのだ。……こんな場違いな悟りが、ふと頭をよぎる。

 惑星のような巨大な空間に、ぽつねんと一人空を飛ぶ私は、釈迦の手のひらを飛ぶ孫悟空のような間抜けさだ。無に等しい、塵のような存在価値。
 ああ、巨大な視野が欲しい。この、惑星のような空間を一望に見渡せる、巨大な視野が! 果てしのなさに追いつめられ、そう心から切願したとき……

 にわかに視線を感じてぞくりとする。私は空を仰ぐが、何も見分けることができない。
 だが、確かに何かがじっと私を見ているのだ。例えば、生物の体内に住まう細菌は、自分にとってあまりにも巨大すぎるその生物を、理解することはできないだろう。同様に私も、この巨大すぎる空間を理解できない。何が私を見ているのかも、永遠に理解できない。

 私は、私を見る何かに対する畏怖に苛まれながら、虚しく空間を駆け続ける。だが、限りある存在が、このような無限の時空に身を置き続けることなどできるだろうか。
 やがて私は疲れ果て、気を失って、眼を醒ます。

 To be continued...

 画像は、チュルリョーニス「永遠」。
  ミカロユス・コンスタンチナス・チュルリョーニス
   (Mikalojus Konstantinas Ciurlionis, 1875-1911, Lithuanian)


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