木曽馬の里(続々々々々々)

 
 ここでもスタッフが、いろいろ答えてくれた。

 馬は気持ちを耳で表わす。耳を前にピンッと向けたら、前方に集中している。後ろにピタッと倒したら、怒っている。また、前脚でカッカッと地面を掻いたら、おねだりしている(サバちゃんは確かに、私が餌を見せると、カッ、カッと掻いた)。
 馬のたてがみには痛点がないので、引っ張っても痛がらない。
 馬は後ろだけは視界に入らないので、後ろに立つものを警戒し、蹄で蹴飛す(だから後ろに立っちゃいけない)。
 人参などが好物だが、栄養があるので、食べ過ぎると却ってお腹を壊し、死んでしまうこともある。いつもブンブンまとわりつかれているが、虫は嫌い。
 誤って手を噛まれると、骨が折れる場合もあるだろうが、それよりも、馬が口を開けてくれない限り、手を抜くことができないほうが厄介だ(つまり、馬がフンッと首を翻せば、腕ごと引っこ抜かれる)。

 それから、顎下や頬っぺたが、触るとプニュプニュして気持ちがいい、と教えてもらったので、サバちゃんのそこばっかり触った。

 馬たちはトレッキング労働の後、放牧場でフリーに過ごせる。お利口に繋がれている馬たちだけれど、繋がれるのは馬にとってはやはりストレスで、牧場に放される時間になるとそわそわし始め、いそいそと自分から牧場に向かい、放されると草の上で駆けまわったり寝転んだりして、喜ぶのだという。
 草原を自由に駆け、寝そべり、仲間と戯れ、美味しい草を食べる。……これが馬の幸せだよね。

 いつもそばにいておくれ、なんて言ってゴメンね。大好きだよ。

 画像は、開田高原、バス停近くの野仏。

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生と死と愛

 

 生と死は表裏だと言うが、生を描いたある種の印象派絵画は死を感じさせず、死を描いたある種の象徴派絵画は生を感じさせない。ムンクの絵は、生と死との両方が同居する珍しい絵だと思う。
 学部生の頃、一番惹かれた画家がムンクだった。この頃、私は死にたかったからかも知れない。今、私は生きていたいと思うけれど、あの頃と同じように、やはりムンクの絵は好きだ。

 エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)は、ノルウェー近代絵画の代表的画家であり、ノルウェーの国民的画家でもあり、ノルウェー国外でも表現主義の重要かつ有名な画家。

 父は軍医。母はムンクの幼少期に、姉ソフィエも彼の思春期に、結核で死ぬ。ムンク自身虚弱な子供で、生き延びられないだろうと心配されていたが、予想に反して長命だった。
 身近な死に直面し、もともと神経質だった父は病的な信仰心に犯されて、感受性の強い、内省的なムンクの精神も、絶えず生の不安に怯えることとなる。
「病、狂気、死は私の揺籠を見守り、生涯にわたって私につきまとった黒い天使だった」。

 やがて美術学校に入学、クローグのもとで絵を学ぶが、伝統的アカデミズムのスタイルに飽き足らず、前衛芸術家グループ「クリスチャニア・ボヘーム」と交際。病と死は、彼の最初期の絵の直接のテーマとなる。
 死によって家族を失ったムンクは、結婚・家庭を極度に怖れ、生涯独身だった。が、この時期、女性とはボヘミアンらしく奔放に交際したという。
 タウロヴの援助でパリへ。そしてベルリンへ。

 長生きした彼だが、傑作と呼ばれる絵のほとんどは、若い時期、この19世紀末に描かれている。この頃の「叫び」、「マドンナ」など、彼が連作した「生命のフリーズ」(「フリーズ(frieze)」は、古典建築の柱列に施された横長の帯状彫刻のこと)は、生と死、そして愛がテーマとなっている。生きる希望を脅かす死の影、愛憎と恍惚に見え隠れする不吉な嫉妬・破滅、人間存在の孤独。画家の繊細で鋭敏な感受性や告白的なテーマを表現する、度肝を抜くような強烈な構図と不気味で扇情的な色彩は、黙示録的なインパクトで観る者に迫り、圧倒する。
 この時期、夏ごとに過ごした故国、オースゴードストランの海岸線は、彼の絵の心理的な背景として多く登場する。満月と、水面に長々と伸びるその反映は、それぞれ女性と男性の性器、つまり生命を、表わしているのだという。

 この地で、かつての恋人でありモデルでもあったトゥーラ・ラールセンと再会、結婚を望む彼女を拒み、口論となる。彼女はムンクに銃を向けて発砲、彼の中指を吹き飛ばす。
 もともと精神を病んでいたムンクは、強迫観念にさいなまれ、アルコールに溺れるようになる。デンマークの精神科医のサナトリウムで療養し、絵筆を取ることで回復。ノルウェーに戻り、以降、晩年まで故国を離れることなく、絵を描き続ける。
 破局へと突き進む世相のなかで、彼の色彩はますます明るく、輝きを帯びていった。

 相棒は、私がムンクの描く女性に似ている、と言う。自分でも、洒脱なパリジェンヌ、モリゾよりは、こっちの、背後に夜影を伴うマドンナやバンパイアのほうに、似ているような気がする。

 画像は、ムンク「声」。
  エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年-1944, Norwegian)
 他、左から、
  「病める子」
  「月光」
  「ヴァンパイア」
  「マドンナ」
  「星明かりの夜」

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木曽馬の里(続々々々々)

 
 お馬! お前は賢いねえ。どうしてマルクス主義まで知ってるのさ! お馬、お馬、いつも私のそばにいておくれ。
 ……馬が喋るわけないので、夢だったんだろうけれど、私を覗き込んだ馬の、宇宙のように黒い眼だけは、なんだか異様にリアルで、今でも本当に見たような気がしている。

 翌朝は早起き。高原の朝食はいつも美味しい。このペンションは全館禁煙で、リビングには、野鳥とか水彩スケッチとかウッドハウスとかの本がたくさんある。
 そのなかに、以前、書店でも見つからず、図書館にリクエストしても入手してもらえなかった、水彩画の本を見つけた。

 相棒に、借りて、としつこく頼んだが、結局、自分で頼みなさい、と断られた。対人恐怖症の私、意気地なく悩んだ挙句、山に住む野鳥好き、煙草嫌いの人になら、頼めるかも知れない、と思い切り、勇気を振るって、キッチンにいるミストレスに頼み込んだ。
 結果、無事、本をゲット。私、まだまだ人と喋れるじゃん(本はその後、ハンドメイドをお礼に付けて、郵送で返却した)。

 その日は尾ノ島の滝でポケーとした後、馬を見にトレッキングセンターへ。性懲りもなく、馬を撫で撫で。
 でも、母馬が恋しくてブヒーッ! と気が立っている仔馬には、近寄れない。眼を爛々と輝かせて睨むオス馬(種馬)にも、近寄れない。

 相棒にねだって、馬の餌をゲット。手のひらに乗せて餌をやる。
 私が気に入ったのは、どこか相棒に似ている、サバちゃんという馬。脚を怪我して治療中だという。治るといいね。

 To be continued...

 画像は、トレッキングセンターのサバト。

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木曽馬の里(続々々々)

 
 温順で忍耐強い木曽馬は、けれども、小柄なために軍馬には適さないという理由で、繁殖が禁止され(種馬が去勢され)、外来種を導入して改良されたため、昭和初期には激減。戦後は農業の機械化によって、絶滅の危機に瀕した。

 現在は貴重な在来種として保護されている木曽馬。……見かけがずんぐりむっくりな分、余計に可哀相。

 散々馬を触って満足してから、牧場を後にした。手打ち蕎麦を食べるつもりだったけど、例によって機会を逸して、蕎麦まんじゅうとアイスクリームで我慢。……私たちの旅の食事は、本当にグルメとは程遠い。
 バスに乗らずに、ハイキングしながらペンションへ。疲れたら途中、バスに乗ればいいよ、ということで歩き出したのだが、結局、最後まで歩いた。あとでペンションのミストレスにびっくりされた。
 でも林道は野鳥がピ~ピョロロ~、ホ~ホケキョ、ケキョケキョ、とさえずっていて、心地がいい。こういう鳥のさえずりは、車のなかじゃ聞こえない。

 途中、休憩したベンチで、とても眠くなって、横になってクーと寝てしまった。

 頭の上でブヒ、ブヒと鼻息が聞こえるので、眼を覚醒ますと、なんと馬が覗き込んでいる。馬は私に鼻先をすり寄せて、こう言った。
 ……役に立たないという理由で切り捨てる、軍国主義日本の土壌には、芸術なんて育ちようがなかったんだよ。芸術に実用性はないんだから。生産的かどうかを、精神ではなく物質を生産するかどうかで計るマルクス主義だって、似たようなものなんだよ。

 To be continued...

 画像は、開田高原、蕎麦畑。

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木曽馬の里(続々々)

 
 爺さんが慌てて孫を抱えて牧柵から出ていくところを、相棒の奴、怒る、怒る。
「あんた、自分のことしか考えてないだろう! 他の子供らがみんな真似したらどうするんだ、責任取れるのか! あんたみたいな老人が、孫を駄目にするんだよ! 馬は前歯で噛むことがあるんだぞ! 子供が怪我して、迷惑するのは馬なんだぞ!」
「ハイ、ごめんなさいね」と、小さくなってすたこら退散する爺さんの背に、なおも相棒、
「馬に謝れ、馬に! ブヒヒッ!」

 かつて木曽谷の人々は、人間よりもむしろ馬のほうを大事にしたという。相棒も、そんなところがある。この人の言うことは、正論だが極論なのだ。

 ちなみに落合監督は、馬に噛まれた手を無理に引き抜こうとせず、馬が口を開けてくれるまで、辛抱強く馬の行く先々に、手を噛ませたままついていったという。
 ……馬に餌をやるときは、手のひらを広げて、そこに餌を乗せて、やるようにね。

 木曽馬というのは、相棒の言うとおり、ずんぐりむっくりしている。つまり頭でっかちで体躯は小さく、腹がぽってり出ていて、首や脚は太くて短い。スマートなサラブレッドに比べると、確かに見栄えが悪い。
 が、山間の農耕馬として木曽谷の人々とともに生きてきた木曽馬は、そのずんぐりむっくりなおかげで、足腰が頑強で傾斜を行き来もでき、ただの山野草という粗食にも耐えられる。また、農婦たちに子供同様、鞭を使わずに育てられてきたせいか、温和な性質なのだという。

 To be continued...
 
 画像は、開田高原、馬舎の窓から外を覗くお馬。

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