儚くも美しき祝祭

 

 美術展に行くたびに、相棒は、案内のリーフレットをゲットする。切り抜いた場合に備えて、表、裏のために2枚ずつ。ついでに、別の美術館で開催されるものもすべてゲットする。
 駅に案内のリーフがあれば、ダブるのも構わずゲット。巡回先の、仕様の変わったリーフがあれば、それもゲット。各2枚ずつ。
 で、一つの美術展について、案内のリーフレットが5~6枚溜まってしまう。溜まったリーフをクリアファイルに整理すると、結構な量になる。

 随分、いろんな美術展を観たものだと回想するが、半分くらいしかレビューを書いていない。小説も映画も音楽も、レビューほったらかし。

 春に東京方面に美術館ハシゴ旅行に行ったとき、ガンガンに主張して、神奈川、葉山の「パウラ・モーダーゾーン=ベッカー展」を組み込んでもらった。
 一つ手前のバス停で降りて、一色海岸を歩いた。御用邸があるくらいだから、比較的品の良い街。犬を連れた年配の女性も、マダム、という感じ。
 が、こんなくらいの環境じゃ、静養はできないだろう。せっかく海を見下ろす美術館のテラスにも、ベンチの横には灰皿があって、煙たくて出て行けなかったし。

 パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(Paula Modersohn-Becker)という画家のことは、ゴーギャンから影響を受けたドイツの女流画家、というくらいしか知らなかった。絵も、ナマで観たことはなかった。
 自画像のパウラはカエルのような顔をしてるけど、写真を見ると、パウラって紛れのない美人。これ、最初の感想。
 
 彼女は、ちょうどドイツで表現主義が生まれようとしている時期に、出産後まもなく死んでしまった夭折の画家(享年31歳)。
 最初、両親の勧めで教師を目指すが、その後許しを得て画家を志した。故郷ブレーメンに近い、「悪魔の沼地」と呼ばれる湿地に囲まれた小村、ヴォルプスヴェーデに移り、そこでの芸術家コロニーに参加して、この質素な農村をモティーフに描くようになる。ヴォルプスヴェーデは、現在もなお芸術家村の感があるのだそう。
 洗練されていない農村と、そこに根を張ろうとした芸術家コロニー、という独特の精神風土の上に生まれたパウラの絵は、人間を見つめた、内省的な雰囲気を持つ。

 パリに出て、セザンヌやゴーギャンらの絵に感銘を受け、ナビ派の絵に共感した彼女の絵は、模索していた自身の芸術の方向性に、確信と自信を得たかのように、いっそう単純な、いっそう大胆なものへと、変化していく。深みが増し、存在感が増す。絵は、単純であっても容易に表現が可能だ、とでも言うように。
 描かれた人々、殊に女性や子供の、眼差しは温かく、手は赤ん坊や猫をしっかりと抱き、足は大地をしっかりと踏んでいる。
 
 画業半ばで死んでしまったパウラだけれど、惜しいと思う反面、仮にもし長生きしていたら、その後、あるいはピカソのキュビズムへと向かったかも知れない、と思い、ホッとしたりもする。

 ドイツのブレーメンには、モーダーゾーン=ベッカー美術館がある。ヴォルプスヴェーデにも、いくつかギャラリーがある。いつか行ってみるつもり。

 画像は、パウラ・モーダーゾーン=ベッカー「白い布をかぶった子供の頭部」。
  パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(Paula Modersohn-Becker, 1876-1907, German)
 他、左から、
  「赤いチェックのクッションに座った農家の子供」
  「白樺林のなかの猫を抱いた少女」
  「母の手に抱かれた乳飲み子」
  「湿原の堀」
  「結婚六周年の日の自画像」

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雨晴海岸(続)

 
 雨晴あたりまで来ると、ゴツゴツとした岩礁が目立ってくる。男岩とか女岩とか、義経岩とか、とにかく岩だらけ。あー、これで、海の向こうに連峰が見えたら、最高だろうな。
 けれど、連峰は霞んで見えなかった。雲が一定の高さに、横一線に浮かんでいるのから推して、ぼんやりと、山々の存在を感じはするけれど、そこに山があると知っていなければ、まさか山などないだろう、と思ったと思う。

 海上の立山連峰は、晴れてさえいれば見えるわけではないらしい。空気も澄んでいなければダメなのだという。一年のうち、見えるのはたった80日ほど。この日は快晴で、風も強かったのに、見えなかった。能登半島が見えただけ。
 冬の晴れた日には見えるというから、「冬に、も一度来よ」と言ったら、相棒に、
「雪だし、寒いし、どうせ凍えて動けんよ」と言下に却下された。ぶー。

 海岸で、坊が、波間にしゃがんで何かを採っていた。貝殻でも集めているのだろう、と思って、見せてもらうと、坊の手のひらの上には、小指の爪ほどの小さな、ずんぐりしたのやら細長く尖ったのやらの巻貝が、7、8個。と、巻貝たちが一斉に、てんでの方向に、あたふたと走り出した。
 よく見ると、ヤドカリだった。ヤドカリって初めて見た。最初はあんなにちっちゃな貝殻に住んでるんだねえ。

 あー潮風、あー波の音。やっぱり私は、山よりも海のほうが好きみたい。

 画像は、雨晴海岸のちっこいヤドカリたち。

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雨晴海岸

 
 富山で下車して夕食。宿泊は金沢。
 翌朝、高岡から氷見線に乗り換えて、氷見へ。途中、伏木で、港に客船が停泊しているのが見えた。
「あれに乗ったら、ウラジオストックまで行けるんだよ」と相棒。
 ウラジオストックは、帝政ロシア時代の町並。ちゃんとチェックしてますとも。そーか、ここから行けるのか。

 なんとなく氷見で降りてウロウロし、市の無料レンタサイクルをゲット。海岸線に沿って、雨晴まで走った。
 白い砂浜と青い松林の海岸が続く。道なりに、垣根のように植わったバラが、赤い実をわんさとつけている。ハマナスのような、海岸性のバラがあることは知ってたけど、私、海岸のバラって初めて見た。ときたま根元に、紫のハマゴウが花を咲かせている。
 ……相棒は、「バラに実なんてあるか?」と言うけど、ローズヒップってバラの実のことでしょ。
 
 雨晴海岸は、富山湾越しに、3000メートル級の立山連峰を望むことができるので有名。 

 とあるサイトでは、「海から3000メートル級の連峰が見えるのは、オーストラリア、北欧、雨晴の、世界で3個所だけ」とある。別のサイトに尋ねてみたら、「イタリアのベネチアからのアルプス山脈、チリのバルパライソからのアンデス山脈と、雨晴海岸の3個所らしい」との答えが返ってきた。
 すると、相棒が口を挟む。
「でもビクトリアからも、海の向こうにカナディアン・ロッキーが見えたよ」

 ……う~む。とにかく日本では、ここ雨晴海岸だけらしい。

 To be continued...

 画像は、雨晴海岸。

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親不知・子不知(続々)

 
 北陸線はトンネルが多い。長いトンネルだと、途中、電話マークの表示灯があったり、避難坑のようなものがあったりする。……親不知の怪談みたい。
 そして、駅まであったりする。まだトンネルが終わらないのに、列車が減速すると思ったら、筒石という駅が現われてビックリ。トンネルの駅なんて、初めて見た。

 糸魚川を通り過ぎると、もうすぐ親不知。親不知子不知海岸は、青海・市振間の海岸線の総称で、青海・親不知間を「子不知」、親不知・市振間を「親不知」と呼ぶのだそう。
 北アルプスの大断崖が連なって日本海に迫る、哀史をもって語られる景観は、比類ないものと想像できる。が、相棒、親不知の駅では下車しないと言う。どうして? と尋ねると、
「それがねえ」……
 
 親不知に着いて、それが分かった。断崖の合間に広がる、わずかばかりの砂浜の上には、コンクリートの高速自動車道の高架が……
 弟の表現を借りれば、「何してくれんねん」て感じ。古来からの最難所とはいえ、あんまりひどい。海岸線が台無し。まったく日本は、信じられない土建屋国家だ!

 次の市振で降りて、海岸に出た。本当に山塊が海際ぎりぎりまで迫っている。
 が、その日“北冥の怒涛”は姿を見せず、波はどこまでも穏やかで、日本海らしいコバルトブルーが、沖のほうまで見渡せる。

 私たちは海岸を佇んだだけだが、崖の上には歩道があって、日本海を見下ろせるという。市振・親不知間の海岸線は、駅での地図を見る限り、砂浜が、やがて岩場となり、さらに崖(天険)へと行き当たって、歩くのは無理らしい。
 ただ、海水に足を突っ込んで、ぬめる岩肌に足を滑らせたり、大岩をくぐり抜けた高波に打たれたりと、びしょ濡れになりながら、どうやら歩き切った、というレポートもあるから、もし時間と体力があって、天気と干潮のタイミングに恵まれれば、歩く(途中、一部泳ぐ)こともできるのかも知れない。
 
 いつか再訪したら、崖まで最接近したい。親不知の駅から、翡翠の原石を拾いながら、崖に阻まれるまで海岸線を歩きたい。

  カモメが鳴きつつ飛び交い
  海を潜り波を滑る
  カモメの歌の悲しさよ
  じっと見つめる苔むした地蔵も夕暮れる
  親知らず子知らずの沖もぼうぼう夕暮れる

 もっと海にいたいと主張する坊に、相棒が諭す。「明日は富山湾だよ」と。

 To be continued...

 画像は、富山湾の海鳥たち。

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親不知・子不知(続)

 
 穴に二人が入る余裕はない。男は老婆をつかむと、荒海めがけて投げ落とした。
 ギャアアアァァァ……断末魔のしゃがれた絶叫が、砕ける波の轟音のなか、海へと消えていった。こうして男は穴にもぐり、無事、親不知を通り過ぎた。

 その夜。宿で寝ていた男は、廊下から聞こえてくる物音で、ふと眼を醒ました。男は耳を澄ませた。物音は廊下の奥から、徐々にこちらへと近づいてくる。廊下を歩き、部屋の障子をスーッと開け、何やらブツブツと低く呟いてから、再び廊下を歩いてくる。
 男はますます耳を澄ました。足音は、ピシャ、ピシャと、水に濡れているよう。
 ……ピシャ、ピシャ、ピシャ。スーッ。ブツブツブツ。ピシャ、ピシャ、ピシャ。スーッ。ブツブツブツ。
 こうして一つ一つ、部屋の障子を開けては閉め、開けては閉めして、徐々に男の部屋へと近づいてくる。

 とうとう足音が男の隣の部屋までやって来た。ピシャ、ピシャ、ピシャ。スーッ。
「……ここでもない……」
 昼間の断崖の老婆が自分を捜しに来たのだと悟った男は、ガクガクと震え出した。ピシャ、ピシャ、ピシャ、足音が部屋の前で止まり、スーッ、部屋の障子が開き、そして……
「ここだあああああッッ!!!!」

 ……ま、ずっとボソボソ声で話して、最後だけ、思い切り大声で叫ぶと、聞く側はビビッてしまう。 

 で、どうしてこんな話になったのかと言うと、ずっと山や高原ばかりで、私に気を使った相棒、日本海での途中下車を目論んで、私たちは、親不知の海岸に向かっているから、というわけ。

 To be continued...

 画像は、親不知海岸近く。

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