大掃除の妙(続)

 
 あと、裏や余白に何やらごにょごにょと書き付けた紙を、次々と発掘。例えば、

  音楽はいいね。
  思想を介してわざわざ自由の必要性を説く必要なんてない。
  それ自体が自由なんだもの。

 ……これは確か、亡き友人が夢に出てきて、夏祭りの笛太鼓の音を聴きながら語った言葉。

  神は人間が嫌だと言っても助けてくれる。
  前衛党は社会が嫌だと言っても革命を起こそうとする。

 ……これは相棒の言葉だろう。

  今夜の月は鋭く細くて、真っ白で、死人の斜視の眼のようで不気味。
 
 ……これは、小説に使えそうな表現を思いついて書きとめておいたのかな。

  人間であることが許されないことほど、腹立たしいことはない。
  権威は往々人類をして、一歩も先へと歩かせぬようにする。

 ……これはゲーテだっけ?

  屑のような人間! 人間の屑!

 ……何、これ??

 こういう紙々って、どうすればいいんだろう。普通の人は、ファイリングとかするんだろうか?
 そんなこんなで、はかどらない。年内には関西の美術館にも行く予定なのに。

 画像は、チュルリョーニス「プレリュード」。
  ミカロユス・コンスタンチナス・チュルリョーニス
   (Mikalojus Konstantinas Ciurlionis, 1875-1911, Lithuanian)


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大掃除の妙

 
 一大決心および覚悟のもと、大掃除に乗り出すことにした。と言っても、私の基準から見ての「大」掃除。実際は、世間並みの掃除だと思う。

 私にとってモチベーションのほとんどない掃除には、限定的な目標を設置すると、確実な成果が出やすい。で、とりあえず、チャバネゴキブリの温床となっていそうな場所を重点的にキレイにすることに。
 我が家では、ホウ酸団子でゴキブリ駆除をして以来、あのデカ黒いゴキブリは姿を消したのだが、代わりにチャバネが一気に増えてしまった。つまり、あの節操のないゴキブリどもは、チャバネのこともせっせと食ってくれていたわけだ。
 調べてみると、チャバネという奴は、家庭での駆除は不可能だという。グゲッ、マジ!? ……なるほど、ホウ酸団子、効かなかったもんね。

 とにかく、今いる奴らの温床だけはなくしておこうと、重い腰を上げて行動に出た。
 奴らは暖かいところが大好き。キッチン・シンク(どうしてここが暖かいのかは分からないが)の他、冷蔵庫やモデムなどの、常に熱を帯びる電化製品、あと、紙が束になって重なっているところあたりが怪しい。で、シンクや冷蔵庫で一戦交えた後、ちょっと休憩、どっかと座って、PCデスクやピアノ横のシェルフなどに重なっている紙類を整理。

 どうしてこんなに紙を取ってあるのか、と我ながら疑問に思うのだが、どうやら意味がある。まず、読もうと思っていた新聞の記事や連載小説。これを読みながら片付けるので、なかなかはかどらない。
 それから、作ろうと思って切り抜いた料理のレシピ。それと、ハンドメイドの参考にしようと思った、可愛い雑貨の載った広告や、後で絵に描いて試そうとでも思ったのか、ちょっといいなと感じるポーズやコーディネート・カラーの載った広告。

 To be continued...

 画像は、ゴッホ「床を掃く農婦」。
  フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890, Dutch)

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ミリオンダラー・ベイビー(続)

 
 フランキーはいつもゲール語で書かれたイェーツの詩集を読んでいて、マギーの初めてのウェルター級の試合で、鼻血まみれで勝利を喜ぶ彼女を見て、「モクシュラ」と呟く。イギリス・チャンピオンへのチャレンジ・マッチの際、彼はマギーに、このゲール語“モクシュラ”と刺繍されたグリーンのガウンをプレゼントする。緑は確かアイリッシュ・カラー。
 会場のアイルランド人たちは「モクシュラ!」と叫んで熱狂、以来、これがマギーのリング・ネームとなる。

 だから多分、この映画はアイリッシュな要素が一つのポイントなのだろう。家族愛が重要なエレメントだし。フランキーは熱心なカトリック教徒だし、イェーツを愛読しているし。タイトル・マッチではマギーがバグパイクの演奏で登場、アイルランド系がアイルランドの国旗を振って声援を送っていたし。
 レモンパイに目がないフランキーをマギーが連れて行った、国道沿いの食堂の看板には、“IRA'S DINER”。……おいおい。

 このレモンパイもポイントで、フランキーがマギーにイェーツの詩、「イニスフリーの湖島」と読んで聞かせ、この詩のように小屋を建て、そこで一緒に平穏に過ごすかい? と尋ねると、マギーは、じゃあレモンパイを焼くわ、と答える。
 フランキーはマギーに“モクシュラ”の意味を告げた後、姿を消す。国道沿いの店のカウンターでレモンパイを食べているイメージ・シーンで終わるが、フランキーが持っていた注射器が2本だったことが、彼の行方を暗示している。

 薄明かりが灯るだけの夜のシーンが多く、映像に一貫する光と影のコントラストはとても印象的。
 相棒がすぐに憶えて口ずさんだ、あの単純素朴な音楽は、イーストウッドによるものなのだとか。

 画像は、R.ヘンリ「アイルランド娘」。
  ロバート・ヘンリ(Robert Henri, 1865-1929, American)

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ミリオンダラー・ベイビー

 
 数日前から冬休み。美術館まで遠出したり、映画を観たり、その合間にチャバネを片付けたりして過ごしている。結構元気。このブログには訪問者が多く、心配の声も聞くので、ご報告。
 ついでに、映画のレビューを一つ。「ミリオンダラー・ベイビー(Million Dollar Baby)」(監督:クリント・イーストウッド、出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン、他)。

 ロサンゼルスのダウンタウン。昔ながらの小さなボクシング・ジムを営む初老の名トレーナー、フランキー・ダンのもとに、31歳の女子ボクサー、マギー・フィッツジェラルドが弟子入りを志願してくる。女は教えない、と断るフランキーだが、マギーのボクシングへの情熱に折れて、彼女を育てることに。そのなかで、師弟を越えた絆と愛情も育まれてゆく。
 フランキーの指導のもと、めきめきと上達したマギーは連戦連勝、ついに世界ウェルター級チャンピオン、ダーティなファイトで知られるビリーに挑戦する。百万ドルを賭けたタイトル・マッチはマギーの優勢で進むのだが……、という話。

 物語は、フランキーを唯一理解する初老の黒人、元ボクサーで今はジムの雑用係をしているスクラップを語り手に進む。そしてそれは、フランキーの実娘、ケイティへと当てたものだということが、後で分かる。
 フランキーは過去の何らかの行為のせいで、自分を許せず、また娘からも許されないで、娘とは疎遠な状態にある。彼は毎週、娘に手紙を書いているが、それらは決まって未開封のまま送り返されてくる。スクラップは、何とか君を捜し出して、と言っているから、娘はフランキーの手紙だけを拒絶しているのではなく、フランキーから完全に存在を消してしまっているのだろう。

 一方、マギーもまた、トレーラーで育ち、13歳からウェイトレスをして働くという貧困のなか、家族の愛情には恵まれないでいた。
 こうした、愛情を拒まれる父親と、愛情を知らずにいた娘とのあいだに芽生えた愛情は、互いを慈しむヒューマニズムが貫いていて、最後の結末に説得力を持たせている。

 To be continued...

 画像は、アリンガム「アイルランドの小屋」。
  ヘレン・アリンガム(Helen Allingham, 1848-1926, British)

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告解(続々々)

 
 心臓がバクバク打つ、クラクラと眩暈がする、吐き気がするなどは、まだいい。困るのは過呼吸になることだ。あるとき、子供の父親の家が近い電車のなかで、彼とよく似た男性を見かけて、私は突然、過呼吸に襲われた。
 過呼吸はこのとき一度きりだった。つまりそれは私が、そうした状況に到る前にあらかじめ状況を回避することができるようになったからなのだが、そのために私は多くの社会関係を切り捨てた。

 けれども、こんなことってあるんだろうか? 私はこの3月、坊のせいで過呼吸になったのだ。
 坊はもともと短気な気質だったが、成長するにつれて随分と自制心も身について、普段は父親の面影を見せなくなった。が、まだあまり洗練されておらず、加えて思春期の難しい時期なので、自然と反抗的な態度を取る。背丈ももう、私より少し高い。その坊が、乱暴な口調で、脅すような言葉を発したとき、私は、7、8年来の過呼吸に襲われた。

 望んで産んだ子供なのに、一緒にいるのがどうしてこんなにつらいのだろう。

 他にも理由があるのだろうが、とにかく今年は、知的なことがほとんどできなかった。精神(頭や心)を使うと、さまざまな想念が去来してきて、コントロールできなくなるのだ。
 読書量はガクンと減ったし、もちろん絵も描けなかった。 相棒には随分、迷惑をかけた。

 で、精神を使わずに過ごすのに、手芸をした。途上国では、戦争被害にあった子供たちが、技能習得も兼ねて、トラウマ克服のために手工芸をするという。
 私も同じようなものかも知れない。私の場合、ビーズでテディベアを作るのだが、ずっと調子が悪かったせいで、テディ作りの腕前はオタッキーな水準にまで上達した。きらきらと素朴に輝くガラスの粒でクマを編む。安心できるのだ。

 最近ようやく落ち着いてきた。多分、来年はテディを作らないで済むと思う……のだけれど。

 画像は、J.コリア「告白」。
  ジョン・コリア(John Collier, 1850-1934, British)

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