貧しきプラハ

 

 昨春、くも膜下出血からまんまと生還した相棒は、今春こそはアウシュヴィッツに行くんだ、と意気込んでいる。で、その心の用意だと言って、図書館からナチス関連の本をわんさと借りてきて、読んでいる。で、私にもそれがまわってくる。
 そのなかの一冊、ローラン・ビネ「HHhH」。「ハイドリヒがやって来る、ハー、ハー、ハー」……なんちゃって、実際には、“Himmlers Hirn heißt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)”という意味で、ナチのユダヤ人虐殺の首謀者・責任者だったラインハルト・ハイドリヒの暗殺計画「類人猿作戦」の行方を書いたもの。私、今度猫を拾ったら、きっと「ガブチーク」って名前にすると思う。
 で、この本の舞台がプラハだったせいで、しばらくのあいだ、心がプラハに舞い戻っていた。

 プラハ駅に到着して、てくてく歩いて、ヴァーツラフ広場に出たとき、初めて一国の首都に来たーッ! と実感したものだ。
 チェコ史の節目に必ず登場するというヴァーツラフ広場。その名は、広場に設けられたヴァーツラフ像に由来するらしい。現在は、ヨゼフ・ミスルベクによるヴァーツラフ騎馬像がある。

 このヨゼフ・ミスルベクは、チェコ・リアリズムを代表する有名な彫刻家で、チェコ現代彫刻を創始したとされる。彼は、当時、彫刻部門のなかったプラハ・アカデミーで絵を学んでいる。のちに自らアカデミーで教鞭を取り、生涯のほとんどをプラハで過ごした。

 なので、国立美術館にあるミスルベクの絵は、この彫刻家ヨゼフの絵かと勝手に思っていたのだが、実際はその息子の絵だった。

 カレル・ミスルベク(Karel Myslbek)の絵が館内で眼についたのは、その類の絵が他になかったからだと思う。彼が描いたのは、貧しい人々の生活や労働という、いわゆる社会的リアリズム(social realism)が取り上げるテーマ。
 
 カレルが画家の道に進んだのは、父ヨゼフの希望に反したものらしい。カレルは言語学を学びつつ、偉大な父に隠れて、ほとんど秘密裏にアカデミーに通って画業を積んだ。
 19世紀末、デカダンに影響されながら、ボヘミア近代絵画の先駆者の一人ミロシュ・イラーネクとともに、田舎で制作する。おそらくこの頃には、印象派風の陽光あふれる明るい色彩で、チェコの田園風景を描いていたのだろう。

 が、その色彩は徐々に暗澹としたものになっていく。陰気で憂鬱な色彩が、色彩に劣らぬ意気消沈しそうなテーマを彩る。
 それらは、スペイン旅行の際にゴヤから影響を受けたものだという。カレルは当時の都市プラハを暗示する、虐げられた民衆の悲劇と不運、そして苦悩と絶望のエモーションを、モニュメンタルに深刻に描き出す。家で、街路で、仕事場で、誰に振り返られることもなく、隅のほうに追いやられ、見捨てられて死にゆく人々……

 真面目で繊細な人だったのだろう。自身、第一次大戦から受けた衝撃があまりに深く、苦悩と絶望に耐え抜けずに、45歳で自ら命を絶った。
 
 画像は、ミスルベク「建設現場での事故」。
  カレル・ミスルベク(Karel Myslbek, 1874-1915, Czech)
 他、左から、
  「流浪の民」
  「霊安室にて」
  「黒いピエロ」
  「物乞いたち」
  「闘牛」

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ギリシャ神話あれこれ:クリュティエとレウコトエ(続々)

 
 厳格な王はまず驚愕し、次に激怒して、娘の不義密通の罪に対して裁きを下す。レウコトエの弁解にも哀願にも耳も貸さずに、生きたまま砂に埋めてしまった。

 すべてを眼にする太陽神ヘリオスのことだから、もちろん、この父王の無情な所業も眼にしたに違いない。太陽の運行という務めとどう折り合いをつけたのかは分からないが、とにかくヘリオスはレウコトエの危機に急行し、自らの光で地面に穴を開けて助け出す。が、レウコトエはすでに息絶えていた。
 悲嘆に沈むヘリオスが、レウコトエの亡骸に神酒ネクタルを注ぐと、彼女の身体は乳香の木に姿を変えたという。

 一方、嫉妬の激情に駆られるままにレウコトエを破滅させたクリュティエだったが、彼女の所業もやはり、すべてを眼にするヘリオスの知るところとなる。
 もうこうなっては、一度失った愛を取り戻すことなんてできない。ヘリオスは永久にクリュティエを振り向かなかった。

 それでもなおクリュティエはヘリオスを愛し続ける。力なく大地に立ち、ヘリオスが天空を翔ける姿を、ひたすらに見つめ続ける。9日間、ただ空を仰いで、口にするものは雨露と、自分の流す涙ばかり。太陽の行く先を追ううちに、いつしか足は地に根づき、ヒマワリ(あるいはヘリオトロープ)に姿を変えた。
 花になってもやはり、クリュティエは太陽を追って、その行方を見つめ続けているという。

 画像は、F.レイトン「クリュティエ」。
  フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1830-1896, British)

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ギリシャ神話あれこれ:クリュティエとレウコトエ(続)

 
 美と愛の女神であるアフロディテは、本領発揮、ヘリオスの胸に救いがたい恋の炎を吹き込む。相手は、ペルシア王オルカモスの娘である絶世の美女レウコトエ。
 ある日、いつものように炎の戦車で天空を駆けていたヘリオスは、ふと、地上に美しいレウコトエの姿を見かけて、一目で恋の虜になってしまう。もう、考えるのはレウコトエのことばかり。彼女の姿を見たいばかりに、東の空に早めに昇り、彼女の姿に見とれて西の空にいつまでも沈まない。

 あるときとうとう、矢も楯もたまらずに、日没早々、レウコトエの館へと赴いた。母である王妃エウリュノメに姿を変えてレウコトエに近づくと、たちまち正体を明かして熱烈に求愛する。
 こんなふうに神さまに無理やり迫られては、人間の女性は何が何やら状態。自分でもよく分からないうちに、気がついたら受け入れていた、という感じなんだろう。

 さて、太陽神ヘリオスというのは、結構浮気な男神で、突如レウコトエに夢中になったときにも、すでにクリュティエという愛人がいた。クリュティエは極洋神オケアノスの娘である、オケアニスと呼ばれる水のニンフの一人。
 で、どこで聞きつけたのか、ヘリオスが王女レウコトエにメロメロの首ったけだと知ったクリュティエは、身を焼くような激しい嫉妬に狂わんばかり。愛人の愛を奪ったレウコトエを傷つけてやりたい一心で、父王に、あることないこと誇張して、娘の密通について中傷まがいに告げ口する。

 To be continued...

 画像は、ワッツ「クリュティエ」。
  ジョージ・ フレデリック・ワッツ(George Frederic Watts, 1817-1904, British)

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ギリシャ神話あれこれ:クリュティエとレウコトエ

 
 ギリシャ神話の神さまというのは、オリュンポスの最上級神から、ニンフのような下級神に到るまで、概ね、かなり嫉妬深い。嫉妬は身を滅ぼすというが、自己愛的な神さまたちは、自分を滅ぼすような行為には出ない。大抵は嫉妬の矛先を、相手ないしそのまた相手に向けて、情け容赦なく攻撃する。相手ないし相手の相手が、見るに忍びないほど痛々しく惨めなさまになったのを見届けて、ようやく自尊心を保って引き退がる。

 受ける罰は、犯した罪には相当しない。往々にして、身に覚えのない不条理な罰が、唐突に与えられる。因果応報だなんて仏教臭いことだけでは、罰は免れない。
 罰を引き受ける覚悟を常に持った上で、だができるかぎり罰から逃れるために、身につけなければならないものは、ひとえに強運だ!
 ……とまあ、子供の頃、私が最も知りたかったことの一つが、「強運の上達法」だった。

 さて、地上をあまねく光で照らし、明るみに出す太陽のもとでは、あらゆる事象は太陽神ヘリオスの知るところとなる。公明正大なヘリオスは、それをわざわざ告げ知らせる。で、美神アフロディテが軍神アレスと密通に及んでいることを、アフロディテの夫、鍛冶神ヘファイストスに密告したのも、このヘリオスだった。
 このことを根に持っていたアフロディテは、ヘリオスに復讐することにする。

 To be continued...

 画像は、L.W.ホーキンス「クリュティエ」。
  ルイス・ウェルデン・ホーキンス( Louis Welden Hawkins, 1849-1910, French)

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ギリシャ神話あれこれ:パエトンの墜落(続)

 
 が、いつもとは御者が違うと気づいた馬たちは勝手に走り出し(あるいは、自分を馬鹿にした友人たちを地上に見つけたパエトンが、馬車を見せつけてやろうと地上に近づいたともいう)、戦車はたちまち軌道を外れて暴走し、パエトンは手綱を取り落としてしまう。
 
 炎の戦車は上へ下へと天空を狂奔する。あっという間に野も森も山も燃え上がり、山頂の雪は解けて、湖も川も蒸発する。
 都市も焼かれ、火を逃れたエチオピアの民族の肌は黒く焦げ、リビュアは砂漠へと変わる。地上はことごとく火炎に包まれて火の海と化し、極洋オケアノスまでもが剥き出しとなる。天には熱気と黒煙がもうもうと立ち込め、天空を支える巨神アトラスも、足の裏は熱いし息は苦しいしで、もうダメポの様相。
 ……まさに全世界が崩壊しようとしていた。
 
 この惨状に、ゼウス神は雨を降らせようとした。が、灼熱の大気のなかで雲は集まらない。やむなくゼウスは、雷霆を放ってパエトンを撃ち殺す。
 パエトンの身体は、長い炎の尾を引いて、地上へと落ちていった。
 (御者などいないも同然に暴走していた天馬たちが、御者が消えれば、おとなしくなったのはなぜだろう? とだけ、子供心に疑問だった)
 
 彼の亡骸はエリダヌス川へと落ち(これがエリダヌス座)、ニンフたちによって葬られた。
 パエトンの5人の姉妹であるヘリアデスたちが、パエトンの死を悼んで泣き続け、やがてその姿はポプラへと変わる。流れ落ちた彼女らの涙は、琥珀となって川底に沈んだという。

 画像は、モロー「パエトン」。
  ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898, French)

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