聖書あれこれ:聖ヨセフ(続)

 
 聖ヨセフと聞いて私が思い出すのは、次のようなジョーク。

 ある日、イエスが天国を散歩していると、一人の老人に出会った。真っ白な髭、縮んだ背、曲がった腰といった、いかにも老人然としたその老人は、悲しげな様子で物思いにふけっていた。
 イエスが声をかけると、老人は答えた。
「息子のことを考えていました。私は大工でした。その息子は天からの授かりもので、私とは血は繋がっていませんでしたが、私は我が子同然に大切に育てていました。ある日、息子は家を出て行き、そのまま帰ってはきませんでした」
 イエスは胸を高鳴らせ、老人に近づくと、そっと呼びかけた。
「……お父さん?」
「ピノキオや!」
 ……

 ヨセフは身重のマリアを保護し、キリスト誕生後にはキリストをも献身的に保護、養育した。ガラリヤのナザレにて大工を営み、キリストは彼に仕えて育った。
 キリストの死の際には、ヨセフは姿を現わさない。キリストが活動を始める前に死んだのだそう。

 画像は、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工聖ヨセフ」。
  ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour, 1593-1652, French)

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聖書あれこれ:聖ヨセフ

 
 プラハの王宮美術館に、赤ん坊のイエスをあやすように抱いたヨセフを描いたグイド・レーニの絵があった。こういう聖ヨセフは初めて観た。
 帰国後、画像を検索してみたところ、レーニは同じテーマで聖父子像を何枚も描いているらしく、いくつかのバージョンがあった。が、プラハのものは一枚もヒットしなかった。
 私が観たのは、ヨセフが慈しみ深く見つめながら、両手で裸ん坊の赤ちゃんイエスを抱いている。イエスのほうは仰向けに抱かれながら右手に紐のようなものを握り、その先を眺めている。紐は風船紐みたいに上へと伸びていて、先には白っぽい小鳥のようなものがくっついている。……という、あまり大きくない絵。 
 館内は撮影禁止で、ポストカード等もなかったので、これを観るには実物に会いに行くしかない。

 聖ヨセフ(ナザレのヨセフ)は、イエスの養父という重要なポジションにある人物なのだが、その割には影が薄い。しかも、なぜか老人。ちなみにヨセフとの婚約時、マリアは14歳なので、父娘ほど年齢の離れた夫婦、ということになる。
 ヨセフが老人というのには理由があって、結局、マリアの処女性を尊ぶ教義のせいらしい。つまりヨセフはすでに生殖不能の枯れた男であって、夫としては形式的な夫にすぎなかった、ということ。

 以下は、「マタイ福音書 第1章」からの備忘録。

 キリスト誕生の次第。すでにヨセフと婚約していたマリアは、結婚を前に聖霊によって身籠った。
 ヨセフは正しい人だったので、このことを表沙汰にせず、密かに離縁しようと決心した(公に離縁すると、当該女性は姦淫の罪により、律法に従って処罰されるという)。ところが、悶々と悩むヨセフの夢に、天使が現われてこう告げる。
「マリアを妻に迎えるがよい。その胎内に宿るのは聖霊の子なのだ。その子をイエスと名づけなさい。やがて救い主となるだろう」
 ヨセフは眠りから覚めると、天使に命じられたとおり、マリアを妻に迎える。が、彼女と関係することはなかった。

 To be continued...

 画像は、レーニ「幼子キリストを抱く聖ヨセフ」。
  グイド・レーニ(Guido Reni, 1575-1642, Italian)

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破滅の未来も楽観的に

 
 ライレブ氏の意見をご紹介します。市民A氏との対話です。文責はチマルトフにあります。

  

「もういい加減、福島原発の放射能の流出を止めて欲しいです」
「無理だね。もともと一旦事故が起これば止められないものを、作ったんだから。止まらない以上、悪化の一途だね」
「でも、最悪の状況はもう過ぎたのでしょう?」
「事故後に進み得る可能性の方向がいくつかあって、そのうちの爆発という最悪の方向には進まなかったというだけ。まあ、次善ならぬ次悪の道を進んでいるんだが、この道自体は悪化への一方通行というわけさ」
「このままでは心の平安がありません」
「国民の健康もないがしろにされてるんだ。国民の心の平安なんか誰が気にかけるもんかね」
「では、祈るしかないんでしょうか?」
「うむ、祈るのは有効かもね。チェルノブイリ事故の際に、長老たちが逃げずに祈り続けることで、泉を守ったというエピソードがあるよ。心と言動とが一致した人間の、真の意味でのスピリチュアリズムな祈りなら、あるいは聞き届けられるかも知れない」
「それでしたら、ひょっとしたら……」
「事故以前のこれまでどおりの生活がしたいという、エゴイズムな祈りは、祈りには値しないよ」
「……そうですか」
「じゃあ、どんな破滅的な先行きも楽観的に構えたい人のために、簡単な楽観論を紹介しようか?」
「是非!」
「つまりだ、放射能については今後、状況はますます悪化する一方なんだが、朝起きて、一日の最初にまずこう思うんだ。“今日は、自分がこれから生きていく一生のうち、最良の一日なのだ”と」
「なるほど」
「ちなみに、悲観的に構えたい人のために、同じ論理で悲観論も紹介しておこう。夜寝る前、一日の最後にこう思うんだ。“今日は、自分がこれまで生きてきた一生のうち、最悪の一日だったのだ”とね」

  

 画像は、クレー「英雄的な詐欺師」。
  パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940, Swiss)
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聖書あれこれ:マギの礼拝(続)

 
 以下は、「マタイ福音書 第2章」からの備忘録。

 キリストがベツレヘムに誕生すると、新星を目撃しその誕生を知った東方の占星術の博士(=マギ)たちが、キリストを礼拝するためエルサレムを来訪、ヘロデ王に、「新しくユダヤ人の王として生まれた方はどこにいるのか」と尋ねた。
 ヘロデ王はたいそう動揺する。司祭長ら、律法学者らを集め、キリストがどこで生まれたのかを問うと、「ベツレヘムです。預言者がそう書いています」という返答。
 王は「幼子のことを知らせてほしい。私も拝みたいから」と言って、博士らを送り出した。

 博士らがベツレヘムへと向かうと、東方の星が彼らを導き、キリストのいる場所で止まった。
 彼らは家に入り、母マリアとともにいる赤ん坊キリストをひれ伏して拝み、黄金(王権の象徴)、乳香(神権の象徴)、没薬(死の象徴)を贈り物として捧げた。

 夢で「ヘロデ王のもとへ戻るな」という警告を受けたため、博士らは別の道から東方へと帰っていった。

 画像は、デューラー「マギの礼拝」。
  アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471-1528, German)

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聖書あれこれ:マギの礼拝

 
 ぱっと見の印象だが、ヨーロッパの美術館にある古い宗教画で最も多いテーマというのは、「磔刑」、「聖家族」、それから「マギの礼拝」だと思う。

 相棒はこの「マギ」というのが分からず、「マギの礼拝」に出くわすたびに、「マギって誰? ねえマギって誰?」をしつこく尋ねてくる。「マギ」をマギー審司のような名前だと思っているらしい。
 うるさいな! 「マギ」っていうのは人の名前じゃないの、「東方の三博士」のことなの!
「なんだ、そんならそう書いてくれてれば、僕にだって分かったのに」
 そう、この人、私がプレゼピオのための「東方の三博士」のクマたちを作って以来、「東方の三博士」なら知ってるんだよね。
 ……そんなんでよく、自分を博識だと過去に豪語できたもんだねえ。

 「三博士」は「三賢王」とも言い、後に、メルキオール、バルタザール、カスパールという名前がつき、青年、壮年、老年の三世代の姿をした、アジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸の諸王とされた。

 To be continued...

 画像は、ティソ「ベツレヘムへと旅する三賢人たち」。
  ジェームズ・ティソ(James Tissot, 1836-1902, French)

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