世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
花咲ける敬虔
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ジョージ・ヒッチコック(George Hitchcock)は、その絵の画面いっぱいに輝きわたる独特の風俗風景と、かのサスペンス映画の神さまと同じ姓とで、私が一発で憶えた画家。アメリカ生まれだが、オランダで活動した。
日本でも、企画展などで結構よく見かけるし、素晴らしい絵ばかりだと思うのだが、あまりメジャーではないらしい。
名門の家系で(先祖は、彼の生まれ故郷であるロードアイランド州の創始者の一人、ロジャー・ウィリアムズだという)、父親は肖像画家。ハーバード大学で法学を勉強し、順風満帆、若き弁護士として働きはじめる。
が、私のあずかり知らない理由で、さっさと法曹界に見切りをつけて、独学で絵を学ぶように。やがて渡欧。ロンドン、パリで修練を積み、さらにデュッセルドルフで、「オランダ・バルビゾン派」と私が勝手に呼んでいる、ハーグ派の画家ヘンドリック・メスダグに師事した。
いろいろあっても、ハーグ派のロマンチックでムーディな写実風景が、ヒッチコックに決定的な影響を及ぼしたのは、確かだと思う。ヨーロッパ周遊ののちに、彼が居を構えたのは、オランダのアルクマール近郊、北海に面したエグモント・アーン・ゼー(Egmond aan Zee)という小村。
この地でヒッチコックが描いたのは、美装の農婦がたたずむ陽光の情景。エグモントの風土に生きる彼女たちは、しばしば、風車やチューリップ畑など輝く田園を背景に、独特の伝統衣装をまとっている。洗礼や結婚、クリスマス、イースターなどのために。
しかも、眩しいほどの印象派の色彩で描かれる。が、印象派は移ろう光と大気の刻々を追うが、ヒッチコックの画面は移ろわない。リアリズムの伝統を踏襲して、きっぱり、くっきり。ヒッチコックの描きたかったのは、この風土の宗教性、農婦たちの敬虔で健やかな聖母性だった。
まもなく彼は、ヨーロッパで広く知られるようになり、画家たちがエグモントに集まって「エグモント派(Egmond School)」に。かのサージェントも、ヒッチコックの肖像画を描いている。
故国を去ったアメリカ人として、ほとんど帰国せず、冬はパリ、夏は“オランダのチューリップ号”というハウスボートで暮らしたという。オランダ、マルケン港に寄港中に死去。
画像は、ヒッチコック「復活祭の日曜日」。
ジョージ・ヒッチコック(George Hitchcock, 1850-1913, American)
他、左から、
「聖なる母」
「洗礼式」
「庭園のオランダ娘」
「日曜日のゼーラント」
「チューリップ文化」
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ビクトリアンなマドンナ
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19世紀半ば以降、黄金期・爛熟期を迎えたイギリス絵画は、よく、「ビクトリア朝美術(Victorian Art)」というタームで表わされている。
大陸的(と言うより地中海的)な古典主義と、ラファエル前派的な宗教性や象徴性、イギリス中世騎士文学や詩の主題とが融合した、独特の雰囲気。水彩画の伝統を感じさせる透明性。自然への憧憬と質朴さ。貴族的な上品さと、正統を重んじる厳格さ。云々。
加えて、ビクトリア朝の時代、産業の発展に伴う繁栄は、貧富の差の拡大をもたらしつつも、下層の庶民階級にまで洗練や道徳・礼節を浸透させていった。もちろん絵画は、こうした世相をも描き出す。
で、私の「ビクトリア朝絵画」のイメージというのは、自然主義的だが感傷的で、格調高くも通俗的で、質素に見えても装飾的で、つまり、高度に洗練された文化的娯楽の大衆的絵画、という感じ。
それでも一流の画家たちがいる。「ビクトリア朝絵画」の代表的画家と見なされている、マリアンヌ・ストークス(Marianne Stokes)もその一人。
ストークスというのはイングランド風景画家である夫の姓で、旧姓はプラインドルスベルガー(Preindlsberger)。オーストリアの古都グラーツの生まれ。
マリアンヌの絵は大変に女性的で、古典主義的な技量と美意識、オーストリア的な気品と色香、ラファエル前派的な赤や紺への偏好などが、ジュール・バスティアン=ルパージュ的な田園的、自然主義的な明快さ、透明さと見事に溶け合っている。
彼女の描く女性像は、大抵は真正面か真横からのもの。これが多分、彼女の造形的な美のアングルなのだろう。その平面性は、のちに彼女が油彩を捨て、テンペラを用いるようになって以降、俄然、印象深くなる。
が、女性像の象徴する母性が、どことなく抽象的に感じるのは、マリアンヌに子供がいなかったからだろうか。
略歴を記すと……
奨学金を得てフランスを訪れたマリアンヌは、アカデミーで腕を磨きつつ、他の多くの若い画家たちがそうだったように、バスティアン=ルパージュの素朴な魅力の虜となる。画題の関心が田園から、宗教、中世ロマンスや詩へと移った後にも、その影響は変わらなかった。
フランス滞在中、フィンランドの女流画家ヘレネ・シェルフベックとともに、ポン=タヴェンを訪問。ここで、夫となるエイドリアン・ストークス(Adrian Stokes)と出会う。
イギリスに渡り、夫婦でセント・アイヴズに住まって、ニューリン派に参加。女流画家エリザベス・フォーブスらと親交を持つ。が、ラファエル前派に感銘してからは、画題はもっぱら宗教や物語に。美しきヒロインやマドンナを描いて、俄然本領を発揮する。
一方で、しばしば夫婦でヨーロッパを広く旅行。チロルやクロアチア、スロバキア、タトラ山脈など、田園の山々を好んでまわった。
その先々で、夫エイドリアンは農村生活を髣髴とさせる風情ある風景を、マリアンヌはスロバキアの民族衣装を着た繊細な人物画を描いた。幻想性をかもす異国の風俗文化の絵は、コスモポリタンなマリアンヌの良さが最もよく現われている。
あまり実物を観る機会はないけれど、イギリスまで行けばたくさん出会えると思う。
画像は、M.ストークス「聖母子」。
マリアンヌ・ストークス(Marianne Stokes, 1855-1927, Austrian)
他、左から、
「メリザンド」
「貧者のために働く聖エリザベト」
「死と乙女」
「ギリシャ正教会で祝福のために聖水を運ぶルーマニアの子供たち」
「聖燭祭」
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叙事的で叙情的な
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ニコライ・クルィモフ(Nikolay Krymov)というロシアの画家は、革命を跨いでソ連時代を生きたロシア画家の例に洩れず、ソ連時代には数々の賞を授与されたり、地位を歴任したりと、ソビエト的に重んじられている。が、心の琴線に触れる絵を描いたのは、称号など何もない若い時代だった。
特に印象に残る絵というわけじゃない。彼は生涯にわたってモスクワの画家だった。そして郊外の田舎の風景を描き続けた。
初期、ミスティックな若き象徴派グループ「青薔薇」に参加していた彼の絵は、実際の風景を、それを感じ取った画家のエモーショナルなビジョンとして表わしたような、叙情的で空想的なもの。が、次第に、ロシア民俗文化に見られる原始主義に惹かれるようになる。
もともとクルィモフには、自然崇拝の謙虚な気持ちがあったのだと思う。信仰と結びついた粗く拙い伝統民芸に、彼は、どうということもない自然の一場面を描くための、勿体ぶりようのない叙事的な表現を見出した。
後には戸外で制作するようになったというが、彼の絵のなかで、陽光が作り出す陰影は、印象派同様に実に色彩的で、木彫りのようなフォルムとマッチして、リズミカルな画面を作る。だがその色彩は、決して禁欲的ではないにせよ、自然の持つ色彩の域を出ない。
地味で素人臭い、クルィモフの風景画。彼はソビエト時代、風景画の大家として評価されたけれども、私はその評価自体には異論はない。
いつか会おうね、クルィモフ。
画像は、クルィモフ「池の風景」。
ニコライ・クルィモフ(Nikolay Krymov, 1884-1958, Russian)
他、左から、
「虹のモスクワ情景」
「クリミアの朝」
「粉挽き場にて」
「昼」
「冬景色」
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