再びシロクマによせて(続)

 
 今までだってずっとそう思っていた。が、この数年、私はとても恵まれていたので(と言うのは、それまでの数年が本当につらかったから)、それらを今すぐに実現しなくても、少しぐらい先延ばしにしても構わない、とも思っていた。
 けれども、もし、私にあと7年しか残されていないのなら、今日この日から、できることから実現していかなければならないのではないか。

 私は自分が100年早くに生まれすぎたと思ってきた。相棒は、自分が社会にメッセージを残さなければ、人類の社会進歩は100年遅れると自負してきた。
 私はつらい数年の後、人と接するのがすっかり億劫になって、人との接点を作らずに済ませて過ごしてきた。
 
 けれども、もし、私にあと7年しか残されていないのなら、次の若い世代のために、その意味の理解できる人々に、メッセージを残しておくべきなのではないか。

 何事についてもそうだが、物事が進行すると、科学がまずそれに対して解答を出し、次に社会の知的な人々がその解答を認め、次第にそれが社会全体に浸透し、最後に政治や法が対応に乗り出す。
 科学は地球環境について二つの解答を出している。それが滅亡に向かっていること、だが回避できる道がまだ残されていること。
 絶滅危惧種のシロクマは、あと7年で死に絶えてしまうかも知れない。が、それを回避するために私たちがメッセージを出したら、シロクマは生き残ることができるかも知れない。
 そしてシロクマが生き残ることができたなら、もしかしたら私たちも、7年経った後にも、生き続けることができるかも知れない。

 死ぬまで生きて。生きている限り生き続けて。

 画像は、チュルリョーニス「太陽礼讃」。
  ミカロユス・コンスタンチナス・チュルリョーニス
   (Mikalojus Konstantinas Ciurlionis, 1875-1911, Lithuanian)


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