アカデミズム再考

 

 連休に、「ヨーロッパ絵画名作展」に行ってきた。
 これは山寺・後藤美術館のコレクション。以前からいろんな企画展で、オッと思う絵のプレートを見ると、この美術館の名前に出くわした、ってことがたびたびあった。
 山寺の(テンテンテン)、和尚さんが(テンテンテン)、毬を突きたし、毬はなし、猫を紙袋に押し込んで、……♪
 子供の頃はやったこの歌のせいで、私はこの美術館は寺で、絵を収集したのは和尚さんだと、ぼんやりと思い込んでいた。で、ずっと疑問だった。どこにあるんだ、そんな山寺??? ……今回、山寺は地名だったと知った。

 今度の企画展では18、19世紀のアカデミズムやバルビゾン派の絵が中心だったが、山寺・後藤美術館は他にも印象派など、秀逸な絵をたくさん所蔵している。一度は行ってみたい美術館。

 さて、印象に残った絵の一つに、カバネル「アラブの美女」というのがあった。他も、アカデミズムの絵は結構良かった。
 
 絵画史においてアカデミズムと言うと、古代ギリシャ・ローマ様式を理想美とする新古典派を、基本原理として継承しつつ、当世の旧貴族や新興ブルジョアジーの趣味にも迎合した、19世紀のアカデミー(特にサロン)に支配的だった様式を指す。
 アカデミズムの巨匠と呼ばれるブーグローやカバネルらは、サロンにて印象派画家たちをことごとく落選させた当人たち。で、アカデミズムというのは、ときどきの前衛に対立する価値観としても捉えられる。

 もともとアカデミーは、学芸に関する教育・研究機関のこと。絵画史でもアカデミーは、芸術は知的な学問分野であるという理念から、旧弊な徒弟制に反対する、きちんとしたカリキュラムを持つ芸術教育機関として登場する(それまでは、画家となるには工房に入り、匠の技を伝授してもらうしかなかった)。
 やがてアカデミーは、国家の芸術政策のもと、芸術家の教育、表彰、展覧などの特権を独占。サロン(官展)への出展は芸術家の登竜門となるが、審査員であるアカデミー会員の芸術観に照らして、このサロンに近代の新しい絵画が受け入れられることはほとんどなかった。
 で、サロンの基準に乗らない新しい画家たちは、印象派展やアンデパンダン(無審査)展などに出展。20世紀にはアカデミズムよりも、これら近代の画家たちのほうが高く評価されるようになり、現在に到っている。

 絵画に限らず学芸全般で、アカデミズムという範疇は、保守的、権威的、技巧的、形式主義的、現実逃避的、非実践的、講壇的、等々という形容を含んで用いられる場合が多い。
 が、私自身は、学問や芸術の分野で理論を重視し、学芸の純粋性、正統性を擁護する立場にある、そういう意味でのアカデミズムには、意義があると思う。

 アカデミズムの絵は、面白味は少ないかも知れない。凡庸、退屈なものも結構ある。けれども、優れた技術のせいか、古典的な美意識のせいか、概ね美しい。
 そして、この美しさが人間の手を介したものだと思うと、やはり、ハッと眼を奪われ、ツツツと惹かれることがままある。

 画像は、クール「ジェルマンの留守に気晴らしをしようとするリゴレット」。
  ジョゼフ=デジレ・クール(Joseph-Desire Court, 1797-1865, French)
 他、左から、
  ランデル「アルジェリアの少女」
   シャルル・ランデル(Charles Landelle, 1821-1908, French)
  カバネル「パンにさらわれるニンフ」
   アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823-1889, French)
  ブーランジェ「甕を持った女」
   ギュスターヴ・ブーランジェ(Gustave Boulanger, 1824-1888, French)
  ムニエ「特別の瞬間」
   エミール・ムニエ(Emile Munier, 1840-1895, French)
  ブーグロー「愛しの小鳥」
   ウィリアム・アドルフ・ブーグロー
   (William Adolphe Bouguereau, 1825-1905, French)


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