シャンバラを求めて

 

 人類初の宇宙飛行士ガガーリンは、帰還後にこう語ったという。
「地球は青かった。まるでレーリフの絵のように」

 実際はこんなに単純な表現ではなかったようだが、ガガーリンが地球の青に、「シーニー(синий 濃青)」ではなく「ガルボイ(голубой 淡青)」を用い、それをレーリフの青に例えたのは本当らしい。
 レーリフの澄んだ、深い青と紫には、そんな至高の神秘と威厳がある。

 ニコライ・レーリフ(Nicholas Roerich)というロシアの画家は、思想家、研究者、教育者であり、また詩人、神智学の導師、夢に霊感を得る預言者でもあって、つまり魂を探求するコスモポリタンな知識人。戦時中の文化財保全を目的とする「レーリフ条約」を提唱し、ノーベル平和賞候補ともなった。
 人類には、何千人もの無知無能の対極に、こういう一人の知識人の人格者が存在する。

 科学者や作家、芸術家が出入りする、サンクトペテルブルクの公証人の家に生まれ、豊かな知的文化的環境のなかで知識欲旺盛に育つ。幼くして地元の古墳発掘に連れられ、以来、考古学への関心は生涯のものとなった。一方、ロシアの歴史や民俗、信仰や伝説も熱心に学ぶ。世界を遍歴したレーリフだが、ロシアの古都めぐりも半端ない。
 子供ながらに先史の遺物や鉱物、植物の研究するなかで、彼はせっせと素描し、その才能を伸ばしていく。高じて、早くから画家を志すのだが、法律家の父に断固反対され、結局、アカデミーと同時に大学にも入学、絵と法律のふた筋道を行くことに。

 この時期、批評家ウラジーミル・スターソフを通じてムソルグスキーや、ストラヴィンスキー、リムスキー=コルサコフ、シャリアピンらと出会い、俄然、レーリフは音楽の世界に傾倒する。
 のちに、法学部の先輩ディアギレフに誘われて、「バレエ・リュス」にて、ストラヴィンスキー「春の祭典」の舞台・衣装デザインを担当(それどころか、着想や構想にも深く関わったという)。異教的な古代ルーシをモチーフとした革新的なデザインで、観客の度肝を抜いた。

 学業を終え、美術見聞のためにヨーロッパ旅行を計画していた矢先に、ムソルグスキーの姪でピアニストでもあるイレーナに出会う。二人はたちまち惹かれ合い、婚約。帰国後すぐに結婚した。
 以降、レーリフの多岐にわたる創造活動と国内外の流浪はすべて、イレーナ夫人とともにある。 

 第一次大戦勃発の翌年、肺炎を患ったレーリフは、療養のため家族とともにフィンランドに転地する。やがて、ロシア革命が勃発。帰国は危険となり、一家はロンドンへ、さらに、シカゴ美術館に招かれてアメリカへ渡る。
 アメリカでの展覧会の巡回は成功を収め、一家はついに、念願だったインドへの航海を決行する。

 レーリフ夫妻の後半生、インドは彼らの第二の故郷となる。ボンベイに上陸し、道中、インドの古都や史跡を訪れ、科学者や哲学者、芸術家、作家らに会いながら、ヒマラヤを目指す。
 さらにトルキスタン、アルタイ、モンゴル、チベット、中国を踏破しつつ、絵を描き、その地の宗教、言語、習慣、文化、自然などを調査。ヒマラヤ山麓のクルー渓谷に研究所を設立し、ここが終の住処となった。

 レーリフにとって、美は神聖であり、真実の探求、創造の知恵、精神の向上を呼び起こす。生命の本質は神性であり、人間の本質は精神性である。人間は宇宙の一部であるにとどまらず、自身が宇宙なのであり、ために世界を変えることができる。
 美と叡知と正義をもって平和へと到れ。旅すべき道を行き、受けるべきメッセージを得よ。それは新しい時代を準備する。山々は、自分がそのために生まれてきた挑戦であり、果たされるべき使命そのものなのだ。

 こういう知識人画家がいるというのは、素晴らしい。確かに世界は、レーリフが変えようとしたやり方でしか、変えられない。

 画像は、レーリフ「クリシュナ、クルーの春」。 
  ニコライ・レーリフ(Nicholas Roerich, 1874-1947, Russian)
 他、左から、
  「忘れないで」
  「幸福の馬」
  「世界の母」
  「アグニ・ヨガ」
  「滝の歌」

     Bear's Paw -絵画うんぬん-
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