夢の話:閉鎖系の恐怖 その1(続)

 
 私は窓を探している。外に通じる窓を。だが窓はない。窓のない家というのはそれだけで不気味だ。

 壁と障子と襖だらけの、細かく仕切られた、だだっ広い屋敷。どれだけ障子や襖をスルーしても、次から次へと同じような部屋が現われる。ある部屋には何もないが、ある部屋には揺り椅子やミシンなど、とりとめもない調度品が置いてある。ある部屋には和式便器や湯船。ある部屋にはだらしなく物が詰まった押入。
 部屋は細かに仕切られていて、障子が二枚並んでいても左と右とでは別の部屋に行き着くし、天袋の襖の向こうにも中二階の独自の部屋が存在する。

 こういうとき、できるだけ扉や障子や襖をスルーしたほうがよい。壁や、ましてや天井をスルーするのには危険が伴う。
 なぜなら、私がスルーした先の部屋は、誰かにスルーされることなど予期しない(と言うのは、夢ではそうした特殊能力を持つのは私一人なのだ!)、極秘の部屋であることがしばしばだからだ。そこには仏像が並んでいたり、いかにも何かが入っていそうな長櫃が安置されていたり、何かが書かれていそうな羊皮紙や布が積み重ねてあったりする。 

 そして、何十、何百の壁や障子や襖を通り抜けて、ようやく窓を見つけて外に出ることができても、そこもまだ屋敷内の、だだっ広い中庭や温室なのだ。

 ようやく窓の外に出たのに視野が開けないときの、愕然とした恐怖! もしかしたら世界は、この屋敷のなかで閉じられてしまっているのかも知れない、という感覚の恐怖は、誰かに追われるという直接的な恐怖なんかよりも、はるかに怖ろしい。
 なぜなら、その恐怖には、救いようのなさがあるからだ。逃げ道を断たれた者の、それを自覚した者の、けれども血路を開くべく努力を続けなければならない者の、じわじわと締めつけられるような恐怖だからだ。

 To be continued...

 画像は、J.A.グリムショー「雨上がりの月光、古いイギリス屋敷」。
  ジョン・アトキンソン・グリムショー(John Atkinson Grimshaw, 1836-1893, British)

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