海流のなかの島々(続)

 
 舞台が南海とあってか、自然描写は優れている。そんな楽園のような自然のなか、ヘミングウェイ独特のハードボイルドな、短い簡潔な会話が淡々と続く。
「厄介なのは、悪党どもが実に大勢いるってことだ。時代が良くないんだな」
「良い時代なんてあったかね?」
「僕らは楽しい時を過ごしたじゃないか、いつだって」
「確かにな。だが時代そのものは良くなかった」
「僕は全然気がつかなかったね」
 ……と、こういう具合。

 画家は別に、特に虚無的だったわけじゃない。心の安住を求めて、南の島で絵を描いて暮らしている。意に介することと言えば、絵と息子たちのことだけ。そして初めて愛した女性をまだ愛し続けている。
 最初から死にたがっていたわけじゃない。が、死にたがっていたヘミングウェイが、画家を、死にたがる状況に置きたがる。で、画家はとうとう、こんなふうに言う。
「ほかにもいろいろ、悲しみを麻痺させ、鈍らせてくれるものがある。時間も悲しみを癒すはずだ。しかし、死以外のもので癒しうるような悲しみは、多分真の悲しみではあるまい」

 画家が死にたかった気持ちは分からないでもない。が、ヘミングウェイ自身は、どうしてこうも死にたかったんだろう。
 彼に画家のような悲しみがあったとは聞かない。でも、こういうことって、当の本人以外には誰にも分からないことだけれど。

 ところで、「海流のなかの島々」を読むと、読後にグリーン・アイザックだのフローズン・ダイキリだののカクテルを試してみたくなるそうだが、私は玉葱のサンドイッチを試してみたくなった。画家はいつもパンに、ハムエッグだのピーナッツバターだののと一緒に、玉葱のスライスをどっさりサンドする。
 ……おいしいのかな?

 画像は、W.ホーマー「メキシコ湾流」。
  ウィンスロー・ホーマー(Winslow Homer, 1836-1910, American)

     Previous
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

海流のなかの島々

 
 以前、どこかで読んだことがあるが、ヘミングウェイは日本で一番人気のある外国人作家なのだそう。
 私はどちらかと言うと、ヘミングウェイの小説は好きではない。いかにもアメリカ的な、しかも暴力的で虚無的なのが、どうもしっくりこない。が、どういうわけか主要な作品は全部読んでしまった。

 「海流のなかの島々」は、ヘミングウェイなかでは最もヘミングウェイらしいと感じた小説。主人公の画家が、ボスやらゴーギャンやらの歴史上の画家に言及したり、交流のある芸術家、例えばピカソやパスキンや、「ユリシーズ」のジョイスが登場したりして、そのあたりは面白かった。
 が、ヘミングウェイ文学に貫くテーマ、愛と暴力と死、は、ここでもやはり貫いていて、後味が悪いと言うか、やりきれないというか、どうしても好きになれない。

 舞台はフロリダからキューバにかけての南洋で、タイトルにある海流とはメキシコ湾流のこと。いかにも南の海らしい、バカンス的な開放的な生活のなかに、随所に現われる南海のイメージが、画家ハドソンのやるせなさを却って際立たせる。
 ……カクテルや魚介料理、ココ椰子、舟や流木、魚や海鳥、波や潮風や白砂。画家は自由で、絵を描き酒を飲み、そして心は空虚のまま。
 
 3部構成で、最初はビミニ島。画家の息子たちが夏休みに遊びに来、南海での生活を繰り広げる。父の子供たちへの愛情、鮫に襲われる少年、巨魚と闘う少年の姿が印象的。
 次はキューバ。戦争が始まり、画家は軍務に就いている。失われた愛を、猫と酒とに紛らわせ、一時の安らぎを、かつて愛した女性に求めて。
 最後は洋上。画家は絵筆を捨て、海を逃走する敵兵を追う。虐殺された死体、マングローヴの繁みの小島の偵察、スコール、蚊とブヨ、銃撃戦。緊迫した描写のなかに、画家の死の影が刻々と予見される。

 To be continued...

 画像は、W.ホーマー「フロリダの椰子の木」。
  ウィンスロー・ホーマー(Winslow Homer, 1836-1910, American)

     Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

天才と秀才とバカ

 
 知的環境が十分に備わった社会を前提した場合、当然ながら社会には、知を基準として、頭の良い人間と頭の悪い人間とがいる。

 頭の良い人間の基準にはいろいろあるが、私の場合、知識のある人間ではなく、知恵のある人間を指す。幅広い教養や深い知識も、あるほうがよいには違いないけれど、やはり、思考する力を持っていなければどうにもならない。
 さらに、頭の良い人間には、天才肌と秀才肌とがいる。

 「天才とは1%の霊感(inspiration)と99%の発汗(perspiration)の賜物である」という有名な言葉がある。霊感を「閃き」、発汗を「努力」と訳す向きもある。

 通例、人間は努力次第で誰もが天才に近づき得る、と解釈されがちなこの言葉、弟によればこうだ。
 ……努力なんて誰でもできる。アホでもできる。要は、1%の霊感があるかないかで、天才かどうかが決まるのだ。1%の霊感を得なければ、99%の努力をしたところで、それは徒労に終わるだけだ。
 私もそう思う。

 人の優秀さというものは、必ずしもその人の努力に比例しない。真理というものが客観的に存在する以上、努力に努力を重ねてその真理に到達しようが、霊感によって一瞬にして到達しようが、真理を獲得することに変わりはない。
 むしろ、努力が少なければ少ないほど、無駄な労力を割かない分、真理に対するセンスは曇らないで済む。
 で、努力で苦労してたどり着くのが秀才肌、霊感で楽にたどり着くのが天才肌、だと思う。……ついでに言えば、天才肌はほとんど努力しようとしないため、遊び人とは紙一重。

 さて、頭の悪い人間はと言うと、ただのバカである。

 私の父方の家系は父も含めて、人柄はともかく、知力においてはただのバカの家系だ。彼らの判断を左右するものは、因習、世評、損得、そして権威。で、優秀な人間に出くわすと、彼らはこう反駁する。
「人間の価値は、頭の良し悪しで決まるもんや、あらへん」
 そのくせ、自分たちの身内を持ち上げて、彼らは同じ口でこう自慢する。
「わての息子は、嫁は、孫は、ようできた、賢い奴やて、みんなから褒められるんや」

 ……バカにつける薬はない。げろげろげ~っ。

 画像は、ブレイク「賢い乙女と愚かな乙女」。
  ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827, British)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

三位一体社会(続)

 
 以前、「今、日本は急速にファシズムに向かっている。早く海外に脱出しなければならない」と言ったとき、こんな説教めいた反論をされたことがある。
「あなたのように意識の高い方が、自国をなんとかなさろうとされずに、安易に海外へ逃れようとなさることに、遺憾の意を禁じ得ません」
 私はこう答えてやりたかった
「あなたこそ、もっともっと意識が高けりゃ、私と同じことを考えるでしょうよ」

 世界には、より自由な生活を営む人々が存在し、また、より困難な状況を抱える人々も存在する。自分がそこに生まれたという理由だけでそこに住んできた国を、まず第一に基準とし、その枠内で力を割かなければならない理由など、どこにも見当たらない。
 
 意識の低い人々を啓蒙しなければならない、という意見もある。が、途上国の子供たちを教育するならいざ知らず、自分や、相棒や亡き友人や、弟や、そのほか少数の人々が、同国という同じ条件のもとで獲得し得た認識を、どうしてわざわざ教えてやらなければならないのか。
 私は、同国の人々を高めるくらいなら、その同じ力を、途上国の子供たちと、自分自身とを高めるために使いたい。

 そして、もし私と同じように考え、日本というこの仮面の国を脱出したいと思う人があるなら、私はその人にエールを送りたい。
「おめでとう。一足先にいってらっしゃい。私もあとからすぐに行きますからね」と。

 画像は、ステヴァンス「日本の仮面」。
  アルフレッド・ステヴァンス(Alfred Stevens, 1823-1906, Belgian)

     Previous
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

三位一体社会

 
 日本は知る人ぞ知る、ねたみ・うわさ・いじめの三位一体社会だ。そしておそらく世界一のストレス社会だと思う。

 諸悪の根源は、リアリズムの欠落だろう。現実を直視しない。考える姿勢や能力を持たない。普遍的な真理の存在を信じない。
 そのために、外的な判断基準を持ってくる。例えば、「みんながそうしているから」、「そのほうが得だから」というような。

 で、自分たちと同じように考え、行動しない人間のことを、あるいはやっかみ、あるいは畏怖し、あるいは憎み、あるいは鬱陶しがって、程度はどうあれ潰しにかかる。彼らの気持ちの奥には、こんな心理があるのだ。……「あなた、ズルいよ。僕だって、私だって、みんな我慢しているんだから」
 つまりあの、おどろおどろしい私物化感情が渦巻いている。虐げられる人間が一人増えれば、自分たち一人一人の不幸は軽減される。すべての人間が虐げられ、自由な人間など存在しないなら、自分の不幸も耐えやすくなる。不幸は平等に分かち合うべきだ。……というわけだ。

 あいにく私は、そんなことを我慢するだけの無神経さは持ち合わせていない。で、とかくねたまれ、うわさされ、いじめられてきた。今でもそう。

 To be continued...

 画像は、L.W.ホーキンス「仮面」。
  ルイス・ウェルデン・ホーキンス(Louis Welden Hawkins, 1849-1910, French)

     Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ