ラインとモーゼルの出会う町(続)

 
 コブレンツのユースホステルは城塞を利用したもので、眺めも良いと聞いていたので残念だったが、それよりも、その日中に次の行き先を決めて、移動しなくちゃならない、そっちのほうがストレスだった。
 取り敢えず、コブレンツの旧市街までてくてく歩くことに。でもすぐに疲れて、ヘルツ・イエズ(“イエスの心臓”の意)教会で休憩。この辺りから、車を乗り入れることができなくなって、今度は人のほうが多くなる。

 ヘルツ・イエズ教会もそうだったが、私たちがドイツを訪れたこの時期、歴史的建造物の多くが改修工事されていた。観光のベスト・シーズンに向けて準備しているのか、それともイタリアのように、ダラダラと改修し続けているのかは知らないが。ちょっと見苦しいけれど、まあ仕方ない。

 旧市街をてくてくと散策。教会への入り方が分からないでいたら、門の前に、施しを得るために帽子を持って立っていた老人が、門の横の小さな扉を教えてくれる。別の教会では、結婚式に出くわした。
 で、緑豊かなモーゼル川沿いの道に出、そこからモーゼル川とライン川との合流点、ドイチェス・エックのある公園を歩く頃には、随分と気持ちも楽になってきた。

 まだ明るいけれど、もう夕方。
「ケルンのほうに行くのはもう無理だから、コッヘムに行ってみよう」と、相棒が言う。
 ダウン・ビートな気分が甦る。コッヘムがダメだったら、どうしよう。

 公衆電話を探して、コッヘムのユースホステルに電話をかける。
「ハロー。今晩、泊まりたいんですが。僕の名前は……」
「OK、来てちょうだい」
「二人なんですが……」
「OK、OK、来てちょうだい」

 受話器を置いた相棒が首をかしげる。
「よく分からないけど、来いって言ってるよ」

 で、訳の分からない東洋人二人、コッヘムへと向かうことに。

 To be continued...

 画像は、コブレンツ、ドイチェス・エック。

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ラインとモーゼルの出会う町

 
 当初、相棒は、ケルン方面から北に向かい、エルベ川以東を回る計画を立てていた。で、コブレンツから先、北に行くか、西に行くかの選択に迫られることに。

 個人旅で転々とホテルを泊まり歩く場合、厄介なのが次のホテルの予約。電話での外国語のやり取りにまったく自信のない相棒と私、チェックアウトの際にユースホステルの受付に頼んで、次のユースを確保してもらっていた。
 ところが、ザンクト・ゴアールを発つ朝、予定していたコブレンツのユースは閉鎖中。他のどのユースも、予約を取ることができなかった。

「取り敢えず、コブレンツまで行こうか」
 で、ザンクト・ゴアールの無人駅で、あーだこーだと四苦八苦しながら、券売機で切符を購入。

 この日も雨。ドイツでは、これからずっと春雨ばかりなんだろうか、とダウン・ビートになる。
 “父なるライン”と“母なるモーゼル”が合流する町、コブレンツ(Koblenz)。ロマンティックな言い回しだが、他のラインの小さな町々を見てきた後では、コブレンツはやけに大都市に見える。車の量が多いので、余計にそう感じる。車嫌いな私たち、ダウン・ビートな気分が昂じてくる。

 宿泊先が決まっていないのは、さすがに不安。で、ツーリスト・インフォメーションで、ユースを予約して欲しいと頼んだら、受付の金髪の綺麗なお姉さんが、にっこりと答える。
「申し訳ないけど、ここではコブレンツのホテル以外、予約できないんです」
「じゃあ、コブレンツのユースホステルなら?」
「あら、残念だけど、閉鎖中ですわ」

 ……

 To be continued...

 画像は、コブレンツ、モーゼル川畔。

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ラインの古城たち(続々々々)

 
 ユースの裏の2階のテラスから、幾重もの城壁を交えながら、城への石段が続いている。アスファルトで舗装されていない、緑滴る土の道、石の道を、相棒は好む。そんな道が、自分たちの宿舎の裏から延びているなら、これはもう進むしかない。
 ってことで、霧雨のなか、城への上り坂をてくてくと歩く。お城は山の上に聳え立っている。見上げればすぐ頭上に見えるのに、なかなか行き着かない。
 時折、行く道々にベンチがしつらえてあって、灰皿が置いてある。「きっと、ここで休んでけってことだよね」と、いちいち休む。そうしたベンチからは確かに、視界が開け、眼下の景色が眺めよく見渡せる。同じく徒歩で上ってきた人に出会うと、自然とにっこり。共感と慰労を込め合って、親しげに挨拶を交わす。

 ようやく城へとたどり着いた相棒、「お城よ、お城」と、両腕を広げて城を抱き締める。私も真似して、ペタッとお城に身体をくっつける。

 雨の日は、すべてがワン・トーン落ちて、しっとりと落ち着いているなか、緑だけが鮮やかに映える。緑がなければきっと、人間は歪んでしまうだろう。
 ラインフェルス城はホテルとレストランになっている。ホテルからの眺望を売り物にホテルを建て、そのホテルの存在自体で全体の景観をぶち壊す日本と違って、こういう古城ホテルというのは、とてもグッドな発想。……ま、私たちには縁がないけど。

「夕食を頼んでおいてよかったね」と相棒。
 一日中、濡れて歩いた、この日のユースは夕食付き。宿泊しているドイツ学生たちの若さと賑やかさに圧倒されながら食べた、ジャガイモのポタージュ。ドイツに来てから初めての、温かい食事。 

 To be continued...

 画像は、ザンクト・ゴアール、ラインフェルス城。

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ラインの古城たち(続々々)

 
 チョコレートのなかには、底にバターたっぷりのビスケットを敷いた上に、多分、ナッツやラム酒漬けのフルーツを細かく刻んで混ぜ込んだものだと思うのだが、とにかく洋酒のたっぷり効いた濃厚な風味のバタークリームが、ぎっしりと詰まっていた。ドイツのバタークリームは、生クリームのように食感が軽くて、食べていて嫌にならない。
 
 相棒の喜んだことと言ったら。パンにチョコレートかけて誤魔化した、インチキお菓子だなんて、日本人のチープな発想だよ! こんなケーキを食べれるだなんて、幸せだなあ!
 私も半分貰ったが、本当にドイツらしい、美味しいケーキ。ちなみに私が選んだのは、シュトロイゼル・クーヘンという、小麦粉とバターと砂糖をそぼろにして上に振りかけた、オーソドックスなケーキで、これはこれで、素朴で美味しい。

 ライン川沿いの道で見かけた汽車ぽっぽが、山への道を走っていく。きっと山の上にお城でもあるんだろう、と思っていたら、ライン最大の城、ラインフェルス城があるのだという。ザンクト・ゴアールのユースホステルは、このラインフェルス城の麓にある。
 ユースへの道々、同じ方向へと向かう旅行者風の人々の姿を、何人も見かけた。で、みんなユースに泊まるのかな、と思ったのだが、あの旅行者風の人々は、ラインフェルス城に向っていたのだった。

 To be continued...
 
 画像は、ザンクト・ゴアール、ラインフェルス城。

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ラインの古城たち(続々)

 
 ザンクト・ゴアール(St. Goar)も、リューデスハイムのように小さな町。が、ヨーロッパの町にはどこでも教会があって、そこを中心に広場があって、目抜き通りがあって、旧市街が広がる。

 ザンクト・ゴアールの目抜き通りを散策していると、美味しそうなパン屋を発見。ドイツのパン屋さんには、ケーキも売っている。
 寒かった後でもあって、奮発してカフェに入ることに。思えば旅行中、カフェテリアでお茶したのは、このとき一度きり。パン屋でもケーキ屋でも、ケーキそれ自体の値段は、日本とは比較にならないほど安いのだが、店内で食べるとなると、コーヒーの値段が高くつく。

 まあ、とにかくこの貴重なカフェ体験で相棒が選んだケーキは、ローレライの岩を模って、全体にもっこりと丸く、だがデコボコと不均質に盛り上げたものに、表面をチョコレートでコーティングした、その名も「ローレライ・フェルゼン(ローレライの岩塊)」。1ユーロ也。
 パンか何かを適当に切って、チョコレートをぶっかけた、観光客用のチープなお菓子かもよ。相棒が後でがっかりしないよう、私は忠告してみたのだが、何の相棒、このローレライのケーキを試みると言って聞かない。で、お皿に供されたこのケーキを、相棒、わくわくしながら割ってみたら……

 To be continued...

 画像は、ザンクト・ゴアール、ライン川沿いの道。

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