チェルノブイリは遺伝子のなかで荒れ狂う(続々)

 
 転載、続き。

  

Tagesschau:チェルノブイリ事故の被害者数に関してはいろいろな説がありますが、これはどうしてでしょうか?

Siedendorf:統計を取っている方から聞いたのですが、行政から「これくらいの数字にしてくれ」と指示されるようですね。お上の言う通りのことを書かないと報奨金がもらえない。2010年の統計には癌患者はほとんど含まれませんでした。若くない人は皆、老衰で亡くなったということになってしまうのです。癌患者の中には他の原因で亡くなる人もいますし。ですから、ベラルーシやウクライナのような独裁的な国の統計は当てになりません。病気の原因を被曝以外のものにした方が国にとっては安く済みます。原子力ロビーと独裁政治は相性が良い。どちらにとっても、チェルノブイリは終わったものとした方が都合がよいのです。しかし、人々はこう言います。「チェルノブイリは私達の人生そのものだ」とね。

Tagesschau:WHOやIAEAはどのような役割を担っているのでしょうか。

Siedendorf:チェルノブイリの健康被害について私達の知らないことがたくさんあるのは、1959年にWHOとIAEAの間に結ばれた秘密の協定のためです。WHOに被曝による健康被害について何を調査し、何を発表するかはIAEAが決めているのです。そのために多くの国際学会の開催が中止になり、ロシアやベラルーシ、ウクライナの研究者の低線量被曝に関する研究は発表されませんでした。しかし、幸いにも2009年にニューヨーク科学アカデミーがこれらをまとめて発表しました。

Tagesschau:フクシマの被害はどのくらいになると予想されますか?

Siedendorf:フクシマの被害はチェルノブイリ以上になるのではないかと思います。まだ事故は収束の目処が立っていませんし、非常に毒性の強いプルトニウムが放出されています。どれだけの量の放射性物質が海に流れ込んだのか、そしてそれはどこへ向かっているのかについて私達はまったくわからない状態です。それに、日本は人口密度が高く、ベラルーシとは比較できません。また、日本では飲料水は山で採集されています。山が放射性物質を含んだ雲の拡散をせき止め、放射性物質は海岸沿いの狭い地域に溜まっています。9ヶ月で事故処理すると日本政府は言っていますが、まったく馬鹿げています。そんなことは空約束に過ぎません

デルテ・ジーデンドルフ女史は現在は退職した一般医で心理セラピスト。1990年よりチェルノブイリ事故で被曝したベラルーシの村々を定期的に回り、特に被害者に対する医療体制の改善に力を尽くして来た。ジーデンドルフ氏の組織は1991年以来、合計800人以上の子どもとその付添人を保養のためにドイツへ招待している。組織が所在するディーツェンバッハ市とベラルーシのKostjukowitschi市は姉妹都市となった。氏は国際組織「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)の会員でもある。69歳。

  

 画像は、ノルデ「歌う灰色の老人」。
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)

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チェルノブイリは遺伝子のなかで荒れ狂う(続)

 
 転載、続き。

  

Tagesschau:放射性物質はどこにあるのですか?

Siedendorf:ベラルーシでは放射性物質はもうとっくに地下水に入り込んでいます。ベラルーシには湿地や砂地があり、地下水脈はそう深くありません。放射性物質は一年に2cmのペースで地下を降下すると考えられています。今は地下50cmくらいです。その地下水から放射性物質は植物や動物に取り込まれます。砂地ではガイガーカウンターを当てても、今ではもう反応しません。その反対に、森では枯れ葉やコケがあって放射性物質は地中に入り込みませんから、地表に残っています。落ち葉の多い場所や森の縁ではガイガーカウンターが反応します。雨水が溜まる窪地も線量が高いです。

Tagesschau:どのような援助をなさっているのですか?

Siedendorf:最初の10年間は薬品の原料を現地に運び、薬局で点眼薬や点耳薬、座薬などが調合できるようにしていました。10年前からそれは許可されなくなり、現地の薬局は国が購入して配る医薬品しか販売してはいけないことになりました。

Tagesschau:それはうまく行っているのでしょうか?

Siedendorf:まあ、大体は。でも、特殊な医薬品が不足しています。どういう医薬品が認可されるかは薬を登録しようとする医薬品メーカーが払う賄賂の額で決まるのです。たとえば、ベラルーシには国に認可されているインシュリン薬は二種類しかないのが問題です。子どもに投与するには別のインシュリンが必要な場合が多いのです。糖尿病は、チェルノブイリ事故の後、子ども達の間に急激に増加した病気の一つで、新生児でも糖尿病を発症するケースがあります。そのような場合には私達は個別に援助します。

Tagesschau:何故、子どもの糖尿病が増加しているのですか?

Siedendorf:セシウムによる低線量被曝が原因だと考えられます。食物連鎖を通じて妊婦の腸内に取り込まれます。子宮内で胎児の膵臓の発達が阻害されるのです。膵臓はインシュリンを分泌する、非常に繊細な器官です。子どもは三歳になるまで修復機能を備えた免疫系を持ちません。また、子どもは大人よりも細胞分裂が速いです。細胞がちょうど分裂するときに放射線を浴びると、影響が大きいのです。ですから、子どもの場合、ほんの少しの線量の被曝でも成長が妨げられてしまいます

Tagesschau:残存する放射線の影響は他にはどんなものがありますか?

Siedendorf:たとえばよく言われるのは、チェルノブイリの近くに住む人達は神経質で、「放射能恐怖症」にかかっているということですね。だから、彼らは何をやっても集中できないのだと。でも、これは明確に定義することのできない脳障害なのです。人が生まれて来た後に最も頻繁に細胞分裂する器官の一つが脳ですから。チェルノブイリ事故後の最初の世代では夫婦の30%が子どもに恵まれていません。ドイツでも10%がそうです。遺伝子が傷つけられたことで流産や早産、そしてその結果、乳幼児の死亡が増えています。胎児の段階で死なずに生まれて来れば、障害は次の世代へと受け継がれます

  

 続く。To be continued...

 画像は、ノルデ「浅黒い色の男女」
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)

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チェルノブイリは遺伝子のなかで荒れ狂う

 
 前略。ドイツ国営放送ARDのニュース番組TagesschauのHPに、チェルノブイリ被害者救済活動を続けるドイツ女医、デルテ・ジーデンドルフ氏へのインタビュー記事が掲載されています。以下、Eisberg氏による日本語訳の転載です。
 なお、下線は転載者のものです。

  

「チェルノブイリは遺伝子のなかで荒れ狂う」

チェルノブイリ事故から四半世紀が経過した。しかし、被曝被害は広がる一方だとデルテ・ジーデンドルフ氏は語る。ジーデンドルフ氏は20年前からベラルーシで医療支援活動を行い、同時に反核運動にも関わって来た。

Tagesschau:ジーデンドルフさん。あなたは1990年以来、ベラルーシの各地を定期的に訪れてチェルノブイリ事故の被害者の救済活動を続けていますね。ベラルーシではどんな事故の影響が見られるのでしょうか。

Siedendorf:風で運ばれた放射性降下物の量はベラルーシが最大でした。私達の組織のある町の姉妹都市であるKostjukowitischi市はベラルーシ東部の、チェルノブイリから約180km離れたところにあります。その地方の1/3が放射性物質で汚染されました。3万5000人の住民のうち8千人が移住しなければなりませんでした。30以上の村が取り壊されるか、埋められました。

Tagesschau:現在はどうなっていますか。

Siedendorf:他のどんな災害とも異なり、被曝被害というのは時間が経つにつれて拡大します。逆さにしたピラミッドのようなものです。フクシマ事故に関しては、今、そのピラミッドの一番下の先の部分にある状態です。チェルノブイリはそれよりももう少し進んでいる。チェルノブイリは遺伝子の中で猛威を振るっています。いえ、遺伝子だけではない、遺伝子が操作するすべての細胞にチェルノブイリが巣食っているのです。25年経った現在は、主に低線量被曝が問題となっています

Tagesschau:どのような経路で低線量被曝するのでしょうか?

Siedendorf:たとえばストロンチウムやセシウムなど、半減期が30年ほどの核種に被曝するのです。この30年という半減期ですが、10倍にして考えなければなりません。これらの核種が生物学的サイクルからなくなるまでにそのくらいの時間がかかります。300年という年月はヒトでいうと8~10世代に当たりますが、この間は被曝による病気が増えると考えられます。

  

 続く。To be continued...

 画像は、ノルデ「踊る女たち」。
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)

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逃げる逃げないの選択は

 
 ライレブ氏の意見をご紹介します。市民E氏との対話です。文責はチマルトフにあります。

  

「なぜ福島県民は福島から逃げないのでしょう?」
「同じように外国人は、なぜ日本人は日本から逃げないんだろう、と思っているだろうね」
「そりゃ、あれこれ考えると踏み切れないからですよ。注意しさえすれば生活できるのなら、これまでどおり生活したいのです。本当に危険と判断したらば、何があっても逃げます」
「今がその、本当の危険かも知れないが?」
「いいえ、逃げるべきだったのは初動で、今はできるだけ被曝しないように折り合いをつけるほうが現実的です。低線量被曝の影響は人類の誰もがまだ知らないのですから、これからゆっくりと現われる放射能の影響という、不確実な未来と引き換えられるだけのものが、これまでの生活にはあるかも知れません」
「汚染が一過性のものなら、あるいはね」
「これまでの生活というものは、そう簡単に投げ捨てられるものじゃありません。まずお金の問題がありますし、仕事や家や子供の学校、家族や友人などの人間関係、そういうものすべてを含めた心の問題なんです」
「逃げた後にもそれまでと同じ生活を前提しすぎていると思うがね」
「誰だって放射能汚染に不安を抱いています。でも、放射能からは逃げることができるかも知れませんが、人間は健康であれば幸福とも限りません。逃げたって残ったって、いずれにせよリスクを負うんです」
「つまり、逃げるか逃げないかは、汚染の客観的な事実ではなしに、その人が自分の人生で何に重きを置いているかにかかっているわけだ」
「残る人たちに、遠くから、逃げるべきだ、と言うのは簡単です。でも残る人たちは、被曝を避けるために命懸けの努力をしているんです。そんな努力もなしに、努力の必要のないところから、逃げろだなんて言うのは、上から目線の無責任な意見です」
「もう起こってしまったことだからと現実を受け入れて、逃げない理由を自分に言い聞かせるわけだ。福島県民が逃げない答えを実地で分かってるじゃないか。それが自分の選択であって、他人はつべこべ言うなというんなら、自分も他人につべこべ言わない、フェアな姿勢でいることだね」

  

 画像は、クレー「避難民」。
  パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940, Swiss)
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音楽の誇り(続)

 
 北欧の人々が、金髪の頭を陽ざらしにして、平気でいるのが信じられない。つば広の帽子をかぶり、水も飲んでいるのに、公園を歩いてしばらくすると、私はふらふらと眩暈がし、気分が悪くなってきた。
 これは、暑熱環境下での適応障害、平たく言えば熱中症。熱中症が注目される昨今よりずっと前から、炎天下の夏にはよくこうなった。

 このとき相棒が向かっていたのは、かの有名なテンペリアウキオ教会。世界中の人々がこの教会を見るのを第一義の目的に、大挙して観光バスに乗り、はるばるヘルシンキを訪れるのだという。

 そんな観光名所なので、できるだけ人の少ない道を、と相棒、わざわざ辺鄙な道を進んでいると、いつしかそれは岩がちの登り坂となり、やがて大岩の丘となった。積み上げられた岩伝いに歩いていると、ついに観光客らが蠢々とうよめくのを眼下に見下ろす岩棚へと出た。
 今また新しい大型バスで運び込まれた観光客たちが、元いた観光客たちのなかへと投げ出され、彼らは渾然と一緒くたになってへし合いながら、こちらに向かってカメラのシャッターを切っている。

 よく見ると、うず高く積まれた岩のなかに、円盤のようなものがすっぽり隠れている。私たちは、岩盤をくりぬいて建造されたテンペリアウキオ教会が埋もれた岩山の、その正面に出てしまったわけ。
 あー、もー、やな気分。意図せず観客たちを前にした舞台に出た感じ。私たちを見てか、数人の観光客らが、脇からよじよじと、教会出入り口の屋根部分の岩棚に登ってくる。

 ちょうど時分どきだったのか、半端じゃない人、人、人の群れ! おまけに教会の出入り口は修復中で手狭く、行き来する人いきれでむんむんしている。
 休息するために来たのに、人酔いで余計に気分が悪くなった。よろよろと教会内に逃げ込んで、適当な椅子にペタリとくずおれる。

 To be continued...

 画像は、ヘルシンキ、テンペリオウキオ教会。

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