ロハスな生活

 
 元アイドルが使っていたとかなんとかと曰くのある、裏ワザを駆使しなければ動かなかった、我が家のポンコツPC。とうとう天寿をまっとうした。
 ようやく新しいPCをゲット。で、放置していたブログを、取りあえず更新。

 この間、我が家ではかなりの生活改善をした。坊のアトピーがなかなか治らないので、思い切って、余計なものを可能な限り排除することに。

 まず、中和剤で浴用の水道水の塩素を除去。それから、合成界面活性剤を除去。肌や髪はもちろん、食器や衣類を洗うのにも、石鹸(と重曹とクエン酸)を使うことに。
 それから、食品添加物をできるだけ排除。着色料ダメ、保存料ダメ。これで市販の加工食品の大半を食べることができなくなった。

 マーガリンやショートニング(トランス脂肪酸)もダメ。私はバターの風味が好きなので、パンにはバターを使うからいいとして、マーガリンがダメだと、市販のお菓子はほとんどすべて全滅。
 これには参った。甘いものって、オフのときには欠かせないのにね。……仕方がないので、お菓子は手作り。ついでなので、ビタミンBを消費する砂糖も減らすことに。
 で、一昔前の子供が食べるような、冴えないスイーツをもぐもぐ食べている。

 植物油(リノール酸)を減らし、炒め物には、和食だと味がいまいち合わないけれど、オリーブ油(オレイン酸)を使用。それ以外には、アマニ油やシソ油(リノレン酸)を使用。
 ご飯を玄米(プラス雑穀)に変えて、豆腐とワカメの赤味噌の味噌汁をつける。肉や魚は脂身の少ないものを選び、野菜をできるだけどっさり食べる。

 は、は、は。なんだか色気のない食生活になったもんだが、たったこれだけで、他に何もしないのに、3週間で3キロ減った。高校時代と同じ体重。
 私の身体って、随分と余計なものがくっついてたんだねえ……

 欧米には、食品添加物がどんなに人間を異常にするかは、日本を見れば分かる、という意見もあるのだそう。……ここでもか、日本。 

 とにかく、食べることと洗うことに関しては、かなりロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability)な生活になったみたい。

 画像は、ゴヤ「皿のものを食らう二人の老婆」。
  フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya, 1746-1828, Spanish)
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魅惑のサバラン

 
 サバランというお菓子は、ブリオッシュをくりぬいて、洋酒の効いたシロップにどっぷりと浸し、生クリームやフルーツを詰め込むものを言うらしい。
 別名はババ。なんだかヘンな名前だけど、ババは、“アリババ”のババ、なのだとか。
 
 私が中学生のとき、母がパン教室に通っていて、最後の日に作ってきたのがこれだった。母の持って帰ってきたのは、真ん中の穴が貫通していないドーナツのような形のサバランで、私たち家族にはみんな、初めてお目見えする代物だった。
 なんじゃこりゃー、と言いながらみんなで試食したのだけれど、ジュワッとしたブリオッシュと生クリームとのハーモニーがなんとも絶妙で、美味しいねー、美味しいねー、と言いながら食べた。
 が、あとになって、も一回サバラン作って、と、いくら母にねだっても、「とっても手がかかるから作れないわよ」と、にべもなく断られ、あれきり二度と食べることはできなかった。

 ずっと前のことになるが、私もサバランを作ってみた。私のサバランは、ブリオッシュの代わりにスポンジケーキを使った、簡単レシピ。ブリオッシュを焼くのは面倒臭いもんね。
 で、これをブランデーたっぷりの紅茶のシロップにどっぷり漬けて、クリームと苺を添える。
 相棒もまた、サバランなるものを知らなかった。で、散々、へー、とか、ふーん、とか言ってから、さて、食べてみるとやっぱり好評だった。

 連休に一晩、徹夜してからというもの、いくら寝ても頭がボケーッとしたまま、シャキッとできない。
 徹夜なんて修論以来。こういうとき、夜中に甘いものが食べたくなる。なのに、口のなかがパサつくのは嫌。歯でしつこく噛むのも嫌。ただ甘いだけのジャンクなものも嫌。……小腹の空いたときとは違って、頭を使うと、大食漢の脳味噌は、贅沢なものしか受けつけなくなる。私の場合。
 リッチなプリンとか、レアチーズケーキなんかが食べたかったのに、冷蔵庫のなかにはほとんどなにもない。チョコレートすら切らしてる。仕方がないから、コンデンスミルクをぺろぺろ舐めて、朝まで凌いだ。

 そのとき、なぜだかサバランを思い出した。

 画像は、P.ディキンソン「静物、ティー・テーブル」。
  プレストン・ディキンソン(Preston Dickinson, 1891-1930, American)
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メロンのババロア

 
 坊がまだちっちゃかった頃、保育所の入所資格を得るために、実家の隣町にアパートを借りて、坊と二人で住んでいた。が、最初の1、2年は修論やら何やらで忙しく、食事や風呂の手間を省くため、しょっちゅう実家に帰っていた。その距離、自転車で20分。
 実家からアパートまではほとんど一直線の道で、途中に公園やら図書館やらスーパーやらがあった。で、夏になるとその道路脇に、メロンの屋台が出るのだった。
 
 このメロンの屋台、道々に、50メートルくらいごとに、立て看板を置いて宣伝している。この文句が結構笑える。
 まず、「この先300メートル、美味しいメロン販売!」なんて看板があって、次に50メートル先に「キスより甘いメロン!」、さらに50メートル先に「美人には半額!」と続く。一直線の道路を自転車で走っていると、面白い看板が次々と出てきて、けらけらと笑ってしまう。
 そして最後に、ミニバンにメロンを詰め込んだ、茶髪でロン毛のにーちゃんが、汗をかきかき、メロンを売っているのに出くわす。「買ってって~」と声をかけられるのを、笑いながら、スイーッと素通りする。

 ……メロンと言えば思い出す、夏のエピソード。

 さて、ババロアというのは、贅沢なお菓子として有名。アングレーズソース(カスタードソースのこと)と生クリームとで作るのが、ババロアの定義らしい。
 ゼリーの仲間かと思いきや、卵黄や生クリームのせいで、とても濃厚。ドイツのババリア地方発祥のために、その名がついたのだとか。

 緑系のメロンの果肉をたっぷりピューレにして混ぜれば、そのままメロンのババロアになる。キレイなグリーンのババロア、出来上がり。皮の近くまで果肉をほじくったから、ちょっと苦かったけど。
 
 ま、ババロアなんて滅多に作らないから、それはそれで好評だったけど、別にメロンでなくてもよかったかな、というのが正直な感想。メロンって、果物の王さまらしいけれど、わいわい喜んでメロンを食べるのは、実は坊だけ。
 私はもっと甘酸っぱい果物のほうが好きだし、相棒ときたら、「メロンって、所詮、瓜だろ」と言う始末。可哀相なメロン。
 で、メロンのババロアは、もう二度と作らないと思う。

 画像は、モネ「メロンのある静物」。
  クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926, French)
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ティラミス

 
 相棒は毎週、駅のベーカリーで、チーズケーキやレモンパイなどの焼き菓子を買ってきてくれる。
 が、生菓子は買ってくれない。パティシエの作る本格スウィーツなんて、問題外。せいぜい、コージー・コーナーの一番安いクレープだけ。最近じゃ、それすらない。う~む。

 この頃、風邪がぶり返してばかりで、どうもシャキッとしない。洟が詰まって息ができないし、頭もぼーっとする。で、気分転換にティラミスを作った。

 ティラミスと言えば、イタリアの代表的なドルチェ。材料の、マスカルポーネというフレッシュ・チーズは、最近じゃスーパーで売っている。日本もグルメになったもんだ。
 私はフランス菓子よりも、イタリア菓子のほうが好き。チーズが入っているからね。
 
 本来は、フィンガービスケットに、リキュール入りのエスプレッソをかけ、マスカルポーネと別立てした卵とで作ったクリームを重ねて、上からココアを振りかけるお菓子。ティラミス独特の、ふわふわとしたクリームは、このメレンゲのおかげ。
 ……が、私の場合、生卵はちょっと抵抗があるので、カスタードクリームで代替する。ふわふわにしたいときにはホイップクリームを加えるが、これだと重くなる。
 あまり食欲がないので、生クリーム抜きで軽く済ませた。

 ここ数年、あまり食欲が出ないし、少し食べるとすぐにお腹いっぱいになる。回転寿司なら3~4皿で、もうダメポ。
 精神的なものかも知れないし、病気かも知れない。人はあまり食べずにいると、早死にするのだそう。私は本当に、長くは生きないかも知れない。

 天使のチンクのように、余った食事を鳩に変えて、お腹を空かせた子供たちのところに飛んでやらせることができたらなー。……なんて思う、今日この頃。

 画像は、モネ「ティー・セット」。
  クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926, French)
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ヒジキよさらば

 
 学生のとき、それまで学友や同志だった人々が次々と抑圧する側にまわった。私たちは孤立した。周囲の眼がすべてスパイに見えた。大学には行きづらくなった。自宅にすら帰りづらかった。
 
 あるとき隣町に、寿司チェーン店を見つけた。パックの寿司以外に、ホットコーヒーも注文できた。2階が喫茶店の店舗のようになっていて、そこで自由に食べることができた。昼休みの時間帯以外は、ほとんど貸し切り状態だった。
 私と相棒は一時期、ほとんど毎日、この寿司屋に通いつめた。寿司とコーヒーを頼んで2階に上がり、そこで資料を広げて研究会をした。このとき私たちが取り上げた一般理論は、私たちの抑圧者たちが最終的に拠って立つものでもあった。食べながら、飲みながら、検討し、論点を洗い出し、一つの体系的な批判にたどり着いた。

 私が大学をやめたのは理由の一つは、進学にあたって自分が取り組もうとしていた課題に対する解答の方向性が、このときもう見えてしまったからだった。

 私はいつも、前の晩に作った惣菜の残りを持っていった。寿司とコーヒーと惣菜とで、きちんとした昼食になった。
 坊の保育所入所の資格を得るために、その頃私は実家を出て、アパートを借りて坊と二人で暮らしていた。毎日の夕食は大変だったけれど、翌日に弁当にして包むことを考えるとハリが出た。
 
 ヒジキと根菜の煮物は、この頃初めて作った実験作。ヒジキと油揚げと、人参、蓮根、ごぼう、アスパラガスを炒めて、だし汁と酒とみりんとしょうゆで煮る。しょうゆは関西風に薄口しょうゆを使い、最後に塩で調味する。
 翌日になると、味がしみて一段と美味しいのだけれど、逆に野菜のカラフルな色味はなくなって、すべてがヒジキ色に黒く染まってしまう。一言で言うと、汚い。あまり美味しそうには見えないなー、と思いながら、タッパーに詰めた。

 予想どおり相棒は、ひと目見るなり、何これ、と言いたげに眉をひそめた。が、一口食べると、「こんな美味しい煮物は、食べたことがないねえ」と、ペロリと平らげてくれた。それからというもの、私は俄然やる気になって、ヒジキを使ったレシピを集めた。

 最近、ヒジキから砒素が検出されたとか。こういうことを知ってしまうと、もう、私はヒジキが食べられなくなってしまう。
 ヒジキ入りイワシハンバーグは作らず終いだったけど、仕方がない。バイバイ、ヒジキ。

 画像は、ルノワール「昼食の終わり」。
  ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919, French)
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