ギリシャ神話あれこれ:黄金大好き、ミダス王(続)

 
 そうこうするうちに晩餐の時間。大満足のミダス王、にわかに空腹をおぼえてパンを手に取った。と、パンはたちまち黄金に変わってしまう。慌てた王が今度は肉を食べようとすると、歯が肉に触れた途端、肉もまた黄金に。葡萄酒を飲もうとしても、喉を通る瞬間、それは黄金の滴に。

 黄金に取り憑かれた束の間の幸せが過ぎてみると、王は自分が大いなる危難に直面していることに、はたと気づいた。そのときから王は、眼前に盛られた料理と酒の山を見ながらも、それらを一切口にできない、飢えと渇きにさいなまれる。
 で、黄金が大好きだったミダス王は、にわかに悟る。黄金が何だ。富なんて虚しい。味も潤いもないくせに光り輝くとは目障りな。黄金なんて嫌いだ。忌まわしや。

 とうとう飢えと渇きに耐え切れなくなった王は、ディオニュソスに祈る。どうか愚かな私を憐れんで、強欲の罪をお許しください、と。
 別に神罰を与えるつもりでもなかったディオニュソス神は、この願いを聞き入れた。

 ミダス王はリュディア山間を流れる川をたどって、その源流の泉で罪を洗い清めた。こうして厄介な能力は王の身体から取り除かれ、流れに洗い捨てられた。このため、パクトロス川には砂金が出るのだという。

 ちなみに、黄金の呪いに懲りたミダス王は、神から与えられた黄金の恩恵を神に返上して以来、もっぱら黄金嫌いとなって、質素な生活を送るようになったのだとか。

 画像は、プッサン「パクトロス川で洗い清めるミダス王」。
  ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594-1665, French)

     Previous

     Bear's Paw -ギリシャ神話あれこれ-
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ギリシャ神話あれこれ:黄金大好き、ミダス王

 
 ギリシャ神話というのは、残酷で情念的にドロドロとしたものが多い。なので、柔らかい物語に出くわすと、ちょっとホッとする。ミダス王の物語は多分に寓話的で、イソップでも取り上げられている。

 プリュギアの王ミダスは黄金が大好き。きんきらきんの宮殿に住まう大富豪なのに、もっともっと黄金が欲しくて、こんなことを思いついた。

 王は、シレノス爺さんがいつも水を飲みにくる泉に、酒をしこたま混ぜておかせた。いつものように腹いっぱいに水を飲んだシレノスは、したたかに酔っ払って、ふらふらと薔薇の咲き乱れる庭園に入り込んで、いい気分で眠りこける。
 まんまとシレノスを捕まえたミダス王。王宮まで家来に連れて来させると、10日間、大酒盛りの饗宴でこの珍客をもてなした。で、11日目の朝、シレノスを住み慣れた野へと帰してやった。

 さて、この話を聞いた寛大な酒神ディオニュソスは、養父のシレノスを歓待してもらった返礼に、何でも一つだけ望みを叶えてやろう、とミダス王に言う。
 黄金の大好きなミダス王は、にんまり。待ってましたとばかり、では私の身体に触れるものすべてが黄金に変わりますように、とお願いする。大らかなディオニュソス神は、ミダス王の軽率な祈りを快く聞き遂げる。

 王宮に戻ると、さっそく王はいろんなものに手を触れて、小枝やら石ころやらを黄金に変えてみた。触ったものが手当たり次第に黄金となるのだから、初めの驚愕を通り過ぎると、王はもう天にも昇る喜びよう。

 To be continued...

 画像は、W.クレイン「ミダス王とその娘」。
  ウォルター・クレイン(Walter Crane, 1845-1915, British)

     Next
     Related Entries :
       ディオニュソス
       シレノス


     Bear's Paw -ギリシャ神話あれこれ-
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(続々々々々々々)

 
 人間は決して自然をないがしろにしてはいけないのです。自然はそれを許しません。反対に懲罰を加えるからです。
(インガ・サドフスカヤ「子供たちみんなに願いたい」)

 ……チェルノブイリ事故を人類への最終警告であると評したのは、アメリカの科学者ゲイルである。「ニガヨモギの星」に焼かれた人にとって、それに毒された水や空気で生活せざるを得なくなった人にとって、それは既に警告ではなく、苛酷な現実になってしまっている。……
 ……ある日、テレビで原子力エネルギー研究の指導的立場の人の演説を聞いたことがある。彼はこう言った。「科学には犠牲がつきものだ、その犠牲のなかには、人間までもが含まれているのだ」と。ドストエフスキーが言ったように、赤ちゃんを殺すような人間が平気で暮らしているような社会のなかに、調和などあり得ない。この科学者は野蛮な人間だと思う。私たちは科学の虜にはならない。かと言って無知のままでいるわけでもない。人類だけではなく、すべての生命に対して関心を寄せるべきである。……
 私の祖父が話していた。……子供や孫たちは今、占領中や占領直後よりももっと恐ろしい時代に生きている。草原を走り回ることもできず、川で泳ぐこともできず、日光浴もできないと。祖父は放射能を恐れていない。「わしらは放射能を吸い、放射能を食べるさ。放射能はどこにでもあるんだ。年寄りにはどうってことはない。……だけど、お前たちはどうなるのかね」
 ……人間は、自分たちが自然の一部であると認識しないかぎり、いつでもどこでも、このようなことが起こり続ける。自然への感謝がなければ、人は自然とともに滅びるだろう。今日、まだこのことを理解できていない人がいることは、大変残念である。
(ナターリヤ・ヤスケービッチ「エコロジーの鐘が鳴る」)

  

 チェルノブイリの放射能汚染で起こったことはすべて、確実にフクシマでも起こるという。だが日本人は、ヒロシマ・ナガサキを遠い過去の出来事と思い、チェルノブイリを遠い国の出来事と思って、今度はフクシマを、どこか遠い次元、遠い将来の出来事だと思っている。
 今回の事故が価値観の転機となると言う人もいる。それにしては、価値観を転じた先に展望の持てないほどの、取り返しのつかない致命的な犠牲を伴った転機だ。真実を手に入れるために犠牲など必要ではなかった。あまりにナンセンスなことだ。

 画像は、ゴンチャロワ「踊る農民たち」。
  ナターリヤ・ゴンチャロワ(Natalia Goncharova, 1881-1962, Russian)

     Previous
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(続々々々々々)

 
 ……そしていつかまた大きな災難が国民を襲ったとき、誰も「何でもなかった」とか「放射能では死なないし、病気にもならない」などと言えないように。忘れてはならないのです。こんなことは、もう二度とくりかえされてはならないのです。
(エレーナ・ドロッジャ「チェルノブイリの黄色い砂」)

 私の知り合いが、悲しいことに有名になってしまったミンスクのボロブリャン(腫瘍学研究所があるところ)で実習をしたときのことを話してくれた。
 「病院を駆けまわっている子供たちはまるで宇宙人のようだ。髪はなく、睫毛もなく、顔には眼だけ。ある男の子は骨に皮がついているだけ。体は灰色だった。最初は避けていたが、あとでは慣れてしまった」
 慣れた……。私たち、みんなが慣れてしまったら、この先どうなるのだろう。誰かの怠慢で原発が爆発し、海や川や空気を汚し、人が死んでいくのに慣れてしまうとしたらどうなるのだろうか。
(ビクトリア・ルゴフスカヤ「鏡さん、話しておくれ」)

 人はときに自分を騙したいときがある。生きていくために自分に嘘をつく。だがそうすることは、チェルノブイリを再び生み出す可能性があるということなのだ。
(スベトラーナ・ジャーチェル「チェルノブイリのジレンマ」)

 何のために作文のテーマがこれに選ればれたのか分からない。あなたたち大人は僕たちから何を聞きたいのか。……あなたたちの運命のなかのチェルノブイリ、あなたたちの子供の運命のなかのチェルノブイリノ意味については、あなたたち自身がよく知っているのではないか。……
 僕たちはチェルノブイリノ事故の後、多くのことを考えさせられた。僕個人も、考えざるをえなくなった。善と悪と正義の問題である。……チェルノブイリノ事故の前には、エゴイズム、無関心、無責任が強まっていたし、指導部には指導力が欠如していたし、不道徳な考えもはびこっていた。「上のほうは何でも知っている。われわれはノルマを達成するだけだ」と。チェルノブイリは、その総決算なのである。
 しかし、今日こうしたことはすべてなくなったのだろうか。でなければ、チェルノブイリが再び起こらないという保証はどこにあるのか。……
 チェルノブイリノ影響は今のところ直接僕の運命にはない。僕の健康状態はよい。だが、チェルノブイリの悲劇が5年後の我々の運命、我々の健康にどのような影響を与えるのか、僕の未来の子供たちには影響がなくなっているのかは、誰にも分からない。だから、僕の運命において、チェルノブイリとは時限爆弾なのだ。
(ビクトル・トロポフ「時限爆弾」)

 To be continued...

 画像は、スーティン「祈る男」。
  シャイム・スーティン(Chaim Soutine, 1893-1943, Belarusian)

     Previous / Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(続々々々々)

 
 随分昔に、ヒロシマ・ナガサキの話を聞かされたことがある。……頭では分かっていても、その本当の恐ろしさを私は理解していなかった。ヒロシマ・ナガサキの人々の苦しみや痛みを、はるか遠くの見知らぬ人のそれのように感じていた。ただ、「ヒロシマが、ここでなくてよかった」ぐらいに思っていた。
 ところが、この恐怖がこの国でも現実のものとなってしまった。
(ナタリヤ・スジンナャ「ニガヨモギの香気」)

 ……そのとき、私は自分の肉体のなかで何が起こっているかを知らなかった。つまり、セシウムが骨に蓄積し、筋肉が被爆したということを。何年も経ってから、医者へ行ってきた母に、私は末期の癌であると聞いたのだ。
 どうすればいいのか。私はそれほど頭がいいほうではない。死とは素晴らしいことであると証明するような、何か美しい哲学を考えつくことはできない。そして、私は神も信じない。……
 人は、将来への幸福の夢で現在を慰めるために神を考え出した。私は強い。信じないから、慰めは要らない。もし神がいるのなら、チェルノブイリノ悲劇は起こらなかったはずだ。……
 チェルノブイリが語られるとき、私はなぜか巨大な原発、石棺、黒鉛棒の山を連想することもなければ釘付けされた家、野生化した犬、死と腐敗の匂いのする汚染地区の姿が現われてくることもない。私はただ、死んでいくオーリャを見つめているだけだ。
 オーリャはお母さんを愛していた。オーリャは生命を愛していた。
 可哀相なオーリャ。どうしたら、放射能が充満し、神さえも見離してしまったこの世に生きることが好きになれるの。人間の愚かしさに呪いあれ。チェルノブイリに呪いあれ!
(オリガ・ジェチュック「ハッカの匂いがした」)

 有刺鉄線、重苦しい通達、居住禁止区域。これは戦争の記録映画ではないのだ。今、ここベラルーシで起こっていることなのだ。チェルノブイリゾーンは、穀物を栽培してはいけない。水も飲んではいけない。空気を吸うのも危険で、父祖の家も永久に住めないところなのだ。チェルノブイリで汚染された土地には、僕たちの子も孫も帰れない。それでも、セシウムやストロンチウムに冒された畑や森や草原が治った後、いつの日にか、子供たちが帰れるようになるだろう。大地は、太古から住み続けた主人の子孫を分かるだろう。大地は、必ず誰だか分かり、許すことだろう。僕は心からこのことを信じる。
(ミハイル・ピンニック「死のゾーンはいらない」)

 To be continued...

 画像は、フェーチン「キャベツ売り」。
  ニコライ・フェーチン(Nicolai Fechin, 1881–1955, Russian)

     Previous / Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ