英国紳士の画家

 

 ラファエル前派と聞いて私がまず思い浮かべるのは、永遠の理想美を担う女性の像。そのプロトタイプが、ロセッティの描いた、かなり偏った女性の像。
 当時のアカデミーへの不満、芸術の蘇生への野心で結ばれて、結成されたラファエル前派。が、結成自体、提唱したのはロセッティだったし、神秘の数字7にこだわって、結成メンバーの頭数を無理に揃えたり、ラファエル前派の頭文字PRB(Pre-Raphaelite Brotherhood)という謎めいた署名を絵に書き添えて、秘密組織のように振舞ったり、と、ラファエル前派というのは、プロトタイプの女性像と相俟って、何かとロセッティ色が濃い。

 けれど、もともとラファエル前派の共通の理念は、聖書や文学をもとに高邁な主題を描き、芸術に道徳性を反映させる、といったもの。その際、自然に学ぶという姿勢を重んじたけれど、これは、「芸術は自然に忠実でなければならない」という、美術評論家ジョン・ラスキンの思想からの影響。
 で、自然性と、道徳性、象徴性とを兼ね備えた絵を描くという、当初の理念を最も体現したのは、ロセッティなんかではなく、むしろミレイのほうだったと、私は思う。
 ミレイの自然描写は、彼の風景画を観れば分かるが、ハンパじゃない。細部描写の苦手なロセッティは、このミレイの、写実による細部描写が、怖ろしく気に食わなかったとか。

 ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais)は、ヴィクトリア朝美術界のビッグ・スター。クルクルの巻き毛に、「ペーパーナイフのような」細身のスタイル、おまけに非常なハンサムで、まさに生粋のイギリスお坊ちゃん。
 ジャージー島の裕福な家に生まれ、幼い頃から優れた画才を発揮。両親は立派なことに、彼に絵の勉強の機会を与えるため、ロンドンに移り住む。結果、ミレイは、わずか11歳、史上最年少でロイヤル・アカデミーに入学。アカデミーの新星となる。

 この早熟の天才、若気の到りか、この時期にラスキンの思想に共鳴し、異端の画家グループ、ラファエル前派の創立に加わる。悪評を浴びても動じなかったらしいけれど、内心は葛藤だらけ(多分)。
 と言っても、最初の子が産まれたときには、喜びのあまり、「ラファエル前派のメンバーがもう一人誕生した」と言ったというから、やはり愛着は持ってたみたい。

 が、その後、若くしてアカデミー会員に選出され、これをきっかけにロセッティとの関係は、嬉しく疎遠となる。結局、ロセッティにはミレイが、ラファエル前派を捨てアカデミーを取ったと映ったのだろう。実質、ラファエル前派はこれでジ・エンド。 
 それからはミレイ、一路、美術界の主流を歩み続ける。美しい子供や女性をテーマに、卓越した画力で、甘美で感傷的な絵を描いて人気を博する。絵は飛ぶように売れ、当時最も裕福な画家となったとか。
 
 が、一抹の翳りは、妻エフィのこと。彼女は、ラファエル前派を擁護してくれたラスキンの、美しい前妻。ラスキン夫妻と親交を結ぶうち、ミレイはエフィと恋に落ちる。
 エフィがラスキンとの満たされない不幸な結婚生活の悩みをミレイに打ち明け、……というエピソードも聞くけど、プライベートなことだからよく分からない(ラスキンは不能だったという)。とにかくエフィは、勇を振るって婚姻無効訴訟を起こす。が、これは、離婚よりもタチが悪かったらしい。当時のヴィクトリア社会では。
 で、当然スキャンダルとなり、エフィは社交界から排斥される。ミレイと結婚後、エフィは宮廷への出入りを許されなかったが、ミレイが臨終の際に女王に願って、ようやく拝謁を許されたという。

 危なげないスマートな男性が、決して悪くはないのに世間から悪く囁かれる女性を愛し、傍目には足引っ張りなその女性と連れ添って、世評なんて何のその、最後までその手を離さずに生きてゆく。
 ……これって、なんだか親近感が湧く。よくあるパターンなんだろうか。

 画像は、ミレイ「シャボン玉」。
  ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais, 1829-1896, British)
 他、左から、
  「オフィーリア」
  「黒きブランズウィック騎兵隊員」
  「塔のなかの王子たち」
  「秋の落ち葉」
  「二度目の説教」

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手紙

 
 今では、電子メールというもののおかげで、手紙なんて書かなくなった。味気ない気もするけど、文章を書く、という点では基本的に同じなんだから、手軽で便利なメールは結構なものだと思う。
 だからだろうが、昨今では、喫茶店でも電車でも、みんながみんな、携帯電話を手に黙々とメールを打っている。私は携帯電話を持ってないので妙味が分からないが、つまり世の中、そういうふうになってきてるわけかな。やっぱり、ちょっと味気ない。

 モーム「手紙」は、モームの短編のなかで最も優れた、かつ有名なものらしい。
 
 モームのいわゆる南洋ものの一つで、美貌の人妻が、ある殺人事件を引き起こす。一見、正当防衛かに見えた事件だが、一通の手紙が現われ、思いもよらない新局面が展開する。……ま、ホントは思いくらいはよる展開なんだけど。

 モームの描く女性というのは、この「手紙」のレズリーもそうだし、「人間の絆」の悪女ミルドレッドもそうで、「月と六ペンス」の、ごく普通の平凡な主婦ストリックランド夫人すらそうなんだけれど、なんとも皮相で、情念的で、どろどろしている。私には不吉な印象がする。
 同じく情念的な人間でも、抑圧された性である女性がそうである場合、殊更に陰湿で、ねちねちしているような気がする。同性ながら怖ろしい。
 
 その人の価値観は両性観に最もよく現われる、と言うが、モームってきっと、ニヒルでおどろおどろしい人間だったに違いない。どうもモームには、好い印象を持てない私。

 結局、真相は闇に葬られる。で、そのとき一役買ったのは、弁護士事務所で見習をしている、ある中国人だった。
 私は個人的な訳があって中国を好きになれない。が、中国人というのはホントに、狡知に長けたコスモポリタンだな、と思う。愚直なほど勤勉でマメな国民性に憤りさえ感じない日本人とは、随分な違い。
 
 ちなみに、器用な中国人ではあるけれど、日本人と同じく、RとLとを区別して発音するのはできないらしい。

 画像は、メルチャーズ「手紙」。
  ガリ・メルチャーズ(Gari Melchers, 1860-1932, American)

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モンマルトルの白

 

 「モーリス・ユトリロ展」に行ってきた。金券ショップで、200円のチケットをゲット。信じられない。日本じゃ人気の画家らしいユトリロ。ユトリロ展が開催されるたびに、私はせっせと足を運ぶ。
 が、ユトリロって、知れば知るほど幻滅する。総じて画家には、バランスが悪く、自由でない人が多いけれど、ユトリロも極端にその部類。

 ごくありふれた、だが独特の哀愁と詩情を漂わせた、パリの白い街並みの絵。もしパリを去るなら、パリの形見に漆喰のカケラを持ってゆく、と答えた画家。あー、ユトリロって、なんだかいいな。……と第一印象。
 が、二度、三度と足を運ぶうちに、どうもゲップが出てくる。ユトリロの絵って、なぜだか絵を愛してた画家の絵とは思えない。パリを愛してた画家の絵とも思えない。

 そしてワケを知ると、げんなりする。母の愛情に飢え、若くしてアルコール中毒に陥ったユトリロは、治療のために絵を描き始めた。ここまでは、まだいい。
 が、パリ市民から好評を博したユトリロが、母ヴァラドンに疎外されながらも、その贅沢な生活を支えるために、ドル箱となって描き続けた、と聞くと、情けなくなる。なんという共依存。

 モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)は、女流画家シュザンヌ・ヴァラドン18歳のときの私生児。この頃彼女は、ルノワール、ロートレック、シャヴァンヌなどなどの画家たちのお気に入りのモデルで、彼ら画家たちと交錯した情交関係にあり、ユトリロの父親が誰なのか、彼女自身も分からなかったという。
 恋に忙しいヴァラドンはユトリロ坊やを祖母に預けたまま、ほったらかし。ユトリロのほうは人一倍母親を恋しがり、突発的に暴れたり、鬱いで閉じ籠ったりと、次第に精神の安定を欠くようになる。

 10代半ばですでに酒に溺れ、アル中のため精神病院への入退院を繰り返すうちに、医師から勧められて、絵筆を取る。多分、母ヴァラドンが画家だったからだろう。
 が、ここに、絵を介して母子の交流が生まれたかと思いきや、ヴァラドンがユトリロに絵を指南するようなことはなかったという。ユトリロは独学で絵を描いた。独学と言っても、他の画家の絵から学ぶ、というのではなく、それこそ自分の好きに描いたらしい。
 
 憂愁と孤独のパリの絵で早くから名声を得たユトリロだけれど、本人は、絵を描いて酒を飲む以外には関心がなかったみたい。母ヴァラドンは相変わらず不在で、ユトリロのことなんて構いやしない。
 それどころか、ユトリロの友人ユッテルと結婚してしまう。ヴァラドン45歳、ユッテルとの年齢差23歳。
 これにはユトリロ、大ショック。なのに、二人の豪勢な生活のために、絵を描き続けたって。
 バカなユトリロ。

 ユトリロの絵中の女性のお尻は、次第に風船のように膨らんでくる。これは、彼の女性嫌悪の現われだって。実際に街で妊婦を見かけると、お腹を蹴飛ばしにかかったって。……解説にそうあった。

 哀れなユトリロ。

 画像は、ユトリロ「コタン小路」。
  モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883-1955, French)
 他、左から、
  「モンマルトル、オルシャン通り」
  「サン=ピエール教会とサクレ=クールの丸屋根」
  「雪のアベス広場」
  「モンマルトルのイタリア家屋」
  「モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット」

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読書癖

 
 私の下の弟は活字を読まない。それでどうやって修士号を取ったのかは知らないが、とにかく読まない。自他ともに認める、活字読まへん人間。その代わり、授業などの説明は、一度聞くだけですべて記憶する。
 こいつが本を読まなく育ったのは、多分私のせいだと思う。私は弟がかなり大きくなるまで、本を読み聞かせてあげていた。よく、いかにも面白い展開となりそうなところで、読むのをやめて、からかった。弟は小学校に上がるまで、本を上下逆さにして見る癖があった。読む私の対面にいる弟にとっては、「僕、いつもこうやって見てるもん」というわけだった。

 私も子供の頃は、読書の習慣というものがなかった。本は読んだ。が、コツコツと読むことはしなかった。気が向いたらガーッと読むだけで、普段はあまり読まずにいた。漫画のほうが、よく読んだと思う。
 高校の頃まで漫画を描いていて、それまでは本もあまり読まなかったし、絵もほとんど観なかった。

 が、あるとき突然、漫画を描くのをやめてしまった。どうしてだか、自分でもよく分からない。
 そのときから、私のなかで絵と物語とが分離した。私は漫画の代わりに、日常的に絵を観るようになったし、本も読むようになった。その代わり、漫画にはもう戻らなくなってしまった。

 今じゃ、どこへ行くにも文庫本一冊を携えている。昨今では、ブックオフのような古本屋で、本は百円で手に入る。あるいは図書館で借りることもできるけれど、とにかく、本を読むのにお金はかからない。

 一旦、読書癖が付くと、本を読まずにいると却ってイライラするようになる。私が一番イライラしたのは、修士1年、赤ん坊だった坊をかかえていた頃。研究書だって、ろくに読む暇なんかないのに、読書なんてできやしない。う~。
 で、歯磨きの時間に本を読んだ。母が、「子供を産んだら、真っ先に歯が弱くなるから、虫歯にならないよう、きちんと磨きなさい」と言うので、お言葉に甘えて、朝晩5分ずつ歯を磨きながら、読んだ。確か、歯磨きタイムをつなげて、ロラン「ジャン・クリストフ」を読了したと思う。
 
 最近、読みかけの本があっちこっちにあるので、一度、全部読み切ってしまおうと思って集めたら、ハインリヒ・マンからモーリス・ルブランまで、7、8冊くらい出てきた。私ってば、こんなにいっぱい、掛け持って読んでたのね。ちょっと反省。
 で、今、読みさしの本を片付けてるところ。

 画像は、モネ「本を読む女」。
  クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926, French)
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内省の肖像

 


 ドイツのミュンヘンに、レンバッハ・ハウスという美術館がある。カンディンスキーを初めとする「青騎士」派のコレクションで有名。が、もともとは、肖像画家であり美術収集家でもあった侯爵、フランツ・フォン・レンバッハ(Franz von Lenbach)の邸宅(アトリエを含む)で、それを美術館に改装したものなのだとか。
 レンバッハ自身の描いた肖像画も展示されているらしいが、「青騎士」に比べると、レンバッハの絵を知っている人は少ないだろう。だから、この美術館を訪れる人々も、多くは「青騎士」の絵を目当てに来るのだろう。そして多分、「青騎士」の絵のあとでレンバッハの絵を観ると、暗ーい、と感じることだろう。

 レンバッハは最初、父の家業を継ぐために建築を学ぶが、兄カールに感化されて絵を描き始める。父の反対をなんとか説得し、許可を得て、本格的に画家を志す。
 ミュンヘン・アカデミーに入り、歴史画家ピロティから指導を受け、奨学金を得て、彼とともにローマに赴く。その後、イタリアやスペインを周遊し、古典的巨匠の絵を模写して技量を磨く。

 レンバッハは初め、戸外で絵を制作し、スケッチ旅行にもよく出かけている。初期の絵は、印象派的な陽光あふれる、眩しいくらい明るい外光風景画が多い。
 が、次第に色調は暗くなってゆく。

 それでもやはり、光の効果を用いている。暗色を基調としたなかに、巧みな光によって、人物が曰くありげに浮かび上がる。こうした明暗対比と言うと、レンブラントの肖像画を思い出すが、それとは雰囲気がちょっと異なる。劇的な演出はなく、どこか内省的。
 このスタイルの肖像画によって、レンバッハは国際的な人気を得た。ビスマルクやワーグナーの肖像画まであるのだから、かなりの人気。彼の描いた19世紀後半は、技術的洗練と心理的洞察とを特徴とする肖像画の時代だというから、彼のスタイルはその流れに共鳴したというわけだろう。
 
 私は、どちらかと言うと肖像画にはあまり興味がない。が、レンバッハの絵には、どことはなしに雰囲気が漂っていて、眼にとまった。で、以前、レンバッハの絵を紹介したことがあった。
 すると、ある音楽家が、「大変気に入った。この絵をテーマに作曲してみようと思う」と言ってきて、びっくりした。絵をテーマに作曲なんて、できるんだな。献呈してもよい、なんて言われちゃったけど、遠慮しておいた。
 絵から音楽をイメージできるのは、音楽のほうが抽象的だからだろうか。絵は具象的だから、音楽からそれをイメージして視覚化するのは、難しいかも知れない。

 画像は、レンバッハ「マリオン・レンバッハの肖像」。
  フランツ・フォン・レンバッハ(Franz von Lenbach, 1836-1904, German)
 他、左から、
  「羊飼いの少年」
  「リリー・メルク」
  「オットー・フォン・ビスマルク侯の肖像」
  「リヒャルト・ワグナーの肖像」
  「婦人の横顔」

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