聖書あれこれ:トマスの不信(続々)

 
 三、やはり派生して改めて思う、信仰を無理強いする者の、信仰のなさ。信仰というのは本来、神との契約であって、個人が神と交わす関係だ。だから、個人間の関係でも、個人の集団に対する関係でもない。ましてや、一方が他方に強要するものでは絶対にない。

 四、トマスが復活したキリストを前に、「神よ!」と叫んだことの意味。「眼に見えなくても存在するものがある。それを信じることができるなら幸いだ」というのが、キリストの教えるところだ。
 が、眼に見えなかったものが眼に見えたら、誰だってトマスのように叫ぶのではないだろうか。認識していても信仰していても、知覚はできなかったものが、もし知覚できれば、叫ぶのではないだろうか。知覚にはそれだけの独特な歓喜があるのではないだろうか。

 ……云々。きりがないのでやめておく。

 以下、「ヨハネ福音書 20章」からの備忘録。

 十二使徒の一人、デドモ(双子の意)と呼ばれるトマスは、復活したキリストが次々と弟子たちを訪れたとき、一度もそこに居合わせなかった。で、彼らが口々に「復活したキリストを目撃した」と言うのを聞いて、こう言う。
「私は、自分の眼で見、自分の指をその手の十字架の釘痕、脇腹の槍痕に、差し入れてみなければ、決して信じない」

 8日後、他の弟子たちと一緒にトマスも家に居たところ、キリストが入って来た。そしてトマスに言う。
「私の手を見、触りなさい。脇腹に、お前の指を差し入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」
 トマスは一言、「我が主よ、我が神よ!」
 キリストは答える。
「お前は私を見たから信じたのか。見ないで信ずる者は、幸いである」

 画像は、テルブルッヘン「聖トマスの懐疑」。
  ヘンドリック・テルブルッヘン(Hendrick Terbrugghen, ca.1588-1629, Dutch)

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聖書あれこれ:トマスの不信(続)

 
 トマスの反応は神に対する、畏怖というよりも単純な驚愕だ。次に来るのは、自分の懐疑に対する悔悟や狼狽ではなく、神の存在に対する感激だ。彼の不信仰は誠実で、その懐疑は信仰を排除しないからだ。

 私はこのトマスの率直さが好きだ。そして、その率直さを良しとするキリストが好きだ。

 実際に見るまでは信じない、と言ったトマスを、他の弟子たちは咎めない。ましてや、「不信心な罰当たりめ」とか「お前以外の者は全員信じているんだぞ」とかとは詰らない。
 キリスト本人も、トマスが疑ったことを叱りも責めもしない。トマスのほうも、自分が疑ったことを恥じたり謝ったりしない。

 このエピソードから、私の想念はてんでに勝手な方向へと広がってゆく。

 一、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」で述べたこと。無理強いされた信仰には何の意味もない。信仰に、物的証拠などナンセンスだ。聖トマスにはもともと信仰があったから、復活を信じたのだ。現実主義者は物質主義者ではない。そして現実主義と理想主義とは、相容れないものではない。……

 二、その派生で思い出す、かつての相棒の言葉。おそらく自分のことを含めて言った、「まったきリアリストは、まったきロマンチストだ」。

 To be continued...

 画像は、グェルチーノ「聖トマスの懐疑」。
  グェルチーノ(Guercino, 1591-1666, Italian)

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聖書あれこれ:トマスの不信

 
 ずっと以前、企画展で、「聖トマスの不信」を主題とした絵を観た。そのときは作者を確認しなかったのだが、絵そのものは今でもはっきり覚えていて、最近調べてみるとカラヴァッジョの絵だった。
 ……カラヴァッジョのあんな有名が絵が、来日なんかしてたんだろうか? そう考えると、今ひとつ自信がないのだが。

 絵の前で、いかにも人間臭い宗教ドラマをふむふむと堪能していると、相棒がすっと横に立って肘で突っついてくる。
「チマルさん、これ、何のドラマ? ねえ、知ってるんでしょ、教えて、教えて」

 いくらその都度、私が神話や聖書の知識を教えても、その知識は相棒のなかで持続しない。相棒がその都度野球の知識を教えてくれても、その知識がいつの間にか私から抜け出てしまうのと同じように。
 なので、面倒くさかったので、お座なりにしか解説しなかったような気がする。が、「この聖トマスは相棒に似ている。そして、キリストのほうもやはり相棒に似ている」と、思ったのを覚えている。

 この主題は、眼に見えない神の存在を信じることを説いている。

 キリスト磔刑の数日後。実際に実物を見て、その傷跡に指を突っ込んでみなければ、キリストの復活など信じられない、と、他の弟子たちに言うトマス。すると不意にキリストがやって来て、自ら衣を脇腹まではだけて身体を差し出し、トマスに言う。さあ、指を突っ込んでみなさい。
 え、いいの? それじゃあ……と、トマスは顔を近づけてまじまじと傷痕を眺めながら、遠慮もなく深々と傷痕に指を突っ込む。怖る怖るなんて様子はない。傷口をペラリとめくるようにして、内臓に触ればそれを引っかけかねないほどに、興味津々といった様子で調べる。それを、他の弟子たちも後ろから覗き込む。キリスト本人さえ覗き込む。

 肉体の苦悶を見せながら眼前で死んでいった自分の主。その死を確かめるために脇腹に突き刺された槍の傷を、その復活を確かめるために、今度は自分が触るのだ。
 「我に触れるな」……復活後のキリストの言葉だ。そのキリストが、トマスにだけは、触れることを許す。復活したキリストの体に触れたのは、ただトマス一人だけなのだ。

 To be continued...

 画像は、カラヴァッジョ「聖トマスの懐疑」。
  カラヴァッジョ(Caravaggio, ca.1571-1610, Italian)

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ギリシャ神話あれこれ:オデュッセウス帰還-キュクロプスの国(続々)

 
 ポリュペモスは洞窟をつんざく悲鳴を上げ、怒号して、近隣のキュクロプスたちを呼び集める。それを聞きつけたキュクロプスたちが、洞窟の岩戸の外から口々に尋ねる。どうした? 誰かにやられたのか?
 ポリュペモスは答える。俺を殺そうとしているのはウティス(=誰でもない)だ!

 で、キュクロプスたちは、なら病気なのだろう、せいぜいお前の父神ポセイドンに祈ることだ、と呆れ笑いながら引き上げていった。

 翌朝、眼を潰されたポリュペモスは、洞窟の戸口の巨岩を除け、そこに座り込むと、羊を外へと追い出す。が、オデュッセウスらが羊に紛れて逃げ出さないよう、出てゆく羊の背を一匹ずつまさぐって確かめる。
 さて、どうやって盲のポリュペモスを欺こうか。オデュッセウスは再び思案する。
 
 オデュッセウスは、羊を3匹ずつ並べて藤蔓で括り、真ん中の羊の腹に部下たちをぶら下がらせて、一人また一人と洞窟の外に出す。最後に自分もとりわけ立派な牡羊の腹にぶら下がって、まんまと洞窟から逃れると、羊の群れを掻き集めて追い立てながら、一散に船へと戻る。

 羊を船に積み込んですぐに海へと漕ぎ出し、さて十分に島を離れたところで、オデュッセウスが怒りに任せて、船上から嘲って叫ぶ。愚かな巨人め! お前の眼を潰してやったのは、知恵者で名高いイタケのオデュッセウスだ!

 To be continued...

 画像は、ジェローム「ポリュペモス」。
  ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Leon Gerome, 1824-1904, French)

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ギリシャ神話あれこれ:オデュッセウス帰還-キュクロプスの国(続)

 
 絞った山羊の乳を飲んで満腹すると、ポリュペモスは横になり、大鼾をかいて寝てしまった。オデュッセウスは寝首を掻こうかと考えたが、巨人が死んでは洞窟を塞ぐ巨岩を除くことができない。

 翌朝、眼を醒ましたポリュペモスは、2人の部下をつまんで殺し、朝食に食らうと、岩戸を外して羊たちを駆り出し、再び塞いでオデュッセウスらを閉じ込めてから、口笛を吹き吹き放牧へと出かけていく。
 万事休す、このままでは全滅は必定。オデュッセウスは得意の知恵で一計を案じる。

 夕方、帰宅したポリュペモスが、さらに2人の部下を殺して食らったところに、オデュッセウスが葡萄酒の皮袋を勧める。
 美味い! こんな美味いものは初めてだ! すっかり機嫌を好くしたポリュペモスが、お前を気に入った、最後に食ってやろう、何て名前だ? と尋ねると、オデュッセウスは、私の名前は“ウティス(誰でもない、の意味)”だ、と答える。

 さて、飲み慣れない葡萄酒をたらふく飲んだポリュペモスは、やがて酔い潰れて眠り込んでしまう。
 オデュッセウスはそれを見計らい、昼間に用意しておいた、先を削って尖らせたオリーブの大木を火に突っ込む。真っ赤に焼けたところを、4人がかりで担ぎ上げ、眠っているポリュペモスの一つの眼にぐさりと突き立てた。

 To be continued...

 画像は、ヨルダーンス「ポリュペモスの洞窟のオデュッセウス」。
  ヤーコブ・ヨルダーンス(Jacob Jordaens, 1593-1678, Flemish)

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