バーレスクの詩情

 

 ヴィトルト・ヴォイトキェヴィチ(Witold Wojtkiewicz)は、私がポーランドに行く前から知っていた画家。現地の美術館に行きゃ、実物に会えるだろう、と高をくくっていたけど、本当に会えた。

 ヴォイトキェヴィチは「若きポーランド」運動において、特異な画家として紹介されている。彼は、サーカスやピエロ、操り人形、饗宴、耕作、子供たちを連れたキリスト、などの一風変わったテーマを、繰り返し執拗に描き続けた。童話のように夢幻的で叙情的、はかなく、わびしく、だが同時にシュールでグロテスクで、薄気味悪く、不快ですらある。皮肉で戯画的で、バーレスクのように滑稽で茶番めいた世界。
 何かメッセージがあるに違いない。さほど難解ではない、画家の内省的なメッセージが。だが私には分からない。
 そんなこんなで、とにかく独創的で、ポーランドにおいて他に類を見ない画家。

 ヴォイトキェヴィチはたった29歳で死んでいる。 心臓に先天的な欠陥があり、治らないことは分かっていた。だから彼の絵は、晩年になるにつれて、苦痛に苛まれ、歪んでいく。
 彼が、その内面の放射とも言える画風にも関わらず、象徴主義の画家、ただし来たるべきポーランド表現主義を予期させる、なんて解説されているのは、彼が表現主義時代を待たずに死んでしまったから。

 子沢山の牧師の家庭に生まれ、倅にも聖職をと望んだ父親を尻目に、さっさと画家の道へと進んでしまう。短い生涯、やりたくもない仕事なんかできますかってんだ。
 クラクフのアカデミーでレオン ・ヴィチュウコフスキに師事したが、彼が影響を受けたのは、よりモダニストなマルチェフスキやヴィスピャンスキたち。サンクトペテルブルクにも留学するが、8日で祖国に逃げ帰ったという。
 ロマンチックな詩や文学を好み、ペンネームで風刺文も書いた。

 パトロンを得て、同傾向の画家たちと「グルパ・ピエンチ(Grupa Pięciu、五人組の意)」を結成して、展覧会を組織。作品が大いに注目を引きはじめ、かのユマニスト、アンドレ・ジイドにも大絶賛された矢先に、死去した。
 もっと生きたかっただろうな、ヴォイトキェヴィチ。

 画像は、ヴォイトキェヴィチ「行進」。
  ヴィトルト・ヴォイトキェヴィチ(Witold Wojtkiewicz, 1879-1909, Polish)
 他、左から、
  「子供たちの十字軍」
  「操り人形」
  「サーカス」
  「キリストと子供たち」
  「冬のおとぎ話(勝ち抜き戦)」

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色彩は印象を超えて

 

 クラクフの国立美術館にて、「チマルさん、この絵、撮っといて」(館内は写真撮影可)と相棒が指差した一枚が、ナターシャ・ダヴィドワ似のメーテル顔の少女。相棒ちゃんてば、こういうアイスクリームの溶けかかったみたいな顔が、好みなんだよね。
 描いたのはパンキェヴィチ。あっちにもパンキェヴィチ、こっちにもパンキェヴィチが展示してあって、彼が重要な画家だってことは分かるんだけど、どれもこれも画風が異なる。画風を模索し続けて、変転して終わった画家なのかな……よく分からん。

 ユゼフ・パンキェヴィチ(Józef Pankiewicz)。私のメモには、印象派的、後期印象派的、セザンヌ的、ボナール的、象徴派あるいはホイッスラー的唯美派、などなどと書き込んである。
 パンキェヴィチについては、私はまとまったイメージが持てなかったので、以下は受け売り。

 ルブリン生まれで、分割下ポーランドにおける「若きポーランド」派の高名な画家の一人。ワルシャワのアカデミーにて絵を学び、奨学金を得て、ヴワディスワフ・ポトコヴィンスキとともに、サンクトペテルブルクへ、さらにパリへと旅立つ。

 彼はもともと、朧な光でパリの情景を描いたアレクサンダー・ギエリムスキ(Aleksander Gierymski)のリアリズムに心酔していた。が、パリ滞在を契機に一気に印象派の虜になる。ワルシャワに戻ると、彼は早速、印象派の技法を故国のモチーフにて試みる。
 やがて象徴派に心奪われ、今度は暗い、ほとんど単色の色調で、ロマンチックな夜景を描く。彼をその気にさせたのは、影とムードを強調するトーナリズム(色調主義)の画家ホイッスラー(思ったとおり!)。
 が、再び色彩を取り戻し、それに伴いフォルムもまた、はっきりくっきりと描くようになる。
 こうした画風の変転期、彼はオランダ、ベルギー、イタリア、フランスなどなど、広く西ヨーロッパを旅してまわっている。もしポーランドにとどまっていたら、彼の画風はこんなにコロコロと変わらなかったかも知れない。

 帰国し、クラクフ美術アカデミーの教授となるが、再びフランスに赴き、色彩の魔術師ボナールから衝撃を受け、彼と親交を結ぶ(やっぱりだ!)。だがこの時期、ボナール以上にパンキェヴィチが夢中になったのは、モチーフを幾何学的に構成して絵画の平面性を強調する、近代絵画の父セザンヌ(分かっちゃいたけどね!)。
 第一次大戦期にはスペインで過ごし、抽象画の先駆者の一人、色彩と躍動感のキュビスト、ロベール・ドローネーと交流。またもやパンキェヴィチの画風は、フォーヴ的な色彩かつ幾何学的キュビズムの様相を帯びてくる(想定外だ!)。
 その後、激しい純色を捨て去り、装飾的だが現実を反映した、平静な絵を描いた。
 ……パンキェヴィチ、ついてけん。

 クラクフに戻り、再びアカデミー教授に就任。死ぬまでをフランスで暮らし、アカデミーのパリ支局にて指導した。
 さて、パンキェヴィチ最大の功績が、ここでようやく登場する。フランスのポスト印象派をポーランドに取り入れたパンキェヴィチだったが、彼はその哲学を、若き画学生たちに伝授する。彼らは、ポーランド語で「色彩主義者(Colorist)」を意味する「カピシツィ(Kapiści)」と呼ばれるグループとして、従来のポーランド絵画のロマンチックな伝統を斥け、あの暗く怖ろしい30年代と、それに続く戦後、ポーランド画壇を支配する一つの流れとなって、20世紀ポーランド絵画に寄与したという。

 画像は、パンキェヴィチ「マリアとクリスティナ・マニゴヴスカの肖像」。
  ユゼフ・パンキェヴィチ(Józef Pankiewicz, 1866-1940, Polish)
 他、左から、
  「赤いドレスを着た少女」
  「ノクターン、夜のワルシャワ、サスキ庭園の白鳥」
  「日本の女」
  「果物とナイフのある静物」
  「芍薬」

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金色と薔薇色の大地

 

 レオン・ヴィチュウコフスキ(Leon Wyczółkowski)。私のメモには、最もフランス印象派的、とある。

 ポーランド絵画史においては、印象派という長期的な、揺るぎのない流れがあったわけではないらしい。私のメモに印象派マークがついているのは、「ばっちり文句なし印象派」の女流画家オルガ・ボズナンスカを除けば、ユゼフ・パンキェヴィチ(Józef Pankiewicz)とヴワディスワフ・ポトコヴィンスキ(Władysław Podkowiński)。
 けれども、パンキェヴィチは、印象派を過ぎた頃の、セザンヌ的なフォルムやボナール的な色彩のほうが、印象が濃いし、ポトコヴィンスキのほうは象徴主義的な、天翔ける黒馬の絵のインパクトが、強すぎて強すぎて……

 対して、ヴィチュウコフスキの絵は、素直に印象派らしい。バルビゾン派のように自然主義的な農村生活の主題。女性はルノワール的に羽のように柔らかく、天真爛漫。素朴で牧歌的な情景を、筆の走りを意識した肉厚な筆致で描く。

 かのマテイコにも師事し、もともとは同時代、ポーランド・リアリズムの大家として評価を得ていたヴィチュウコフスキ。彼がウクライナ滞在中に多く手がけた、農夫や漁師の働く姿を、物語的かつ記録的な写実で、細部まで丁寧に描いた一連の絵は、どれも秀逸なものばかり。
 が、この時代の画家なら、誰もが一時期は印象派的な明るさの虜になる。ヴィチュウコフスキもまた、旅先のパリにて知った印象派に接近、その光と色彩の効果を試みる。

 これによって、同じウクライナの農村を主題とするも、彼の関心は、ディテールよりもエッセンスへと移っていく。画面に輝きわたる、金色と薔薇色の移ろいゆく夕陽。その光と、戸外制作に固執したフランス印象派に特有の、空の反映を思わせるブルーの陰影とのコントラスト。それらが、白いルバーハを着た農民たちと、彼方まで続く大地とを染め上げる。大気には光が滲透し、充満している。確かにフランス印象派的なのだが、どこか内省的で、透徹した感じがするのは、やはりお国柄なのだろうか。

 日本美術愛好家の友人、フェリクス・マンガ・ヤシェンスキのおかげで、ジャポニズムへも興味を広げ、まあ、典型的な印象派画家、と言ってしまってもいいくらい。
 印象派がモダニズムの先駆だった時代、その印象派をいち早く取り入れた画家として、彼はモダニズム絵画の先駆けとなった。ということで、もちろん、「若きポーランド」運動の第一人者の一人とされる。

 世紀未には象徴主義の流れに乗って、彼の色彩も暗いものへと変わっていく。が、まあ反りが合わなかったのだろう、象徴主義の影響からは早々に抜け出て、かつてのように豊満な、だが金と薔薇にこだわらない多彩な色彩に、帰っていった。
 そのほうがよかったよ、ヴィチュウコフスキ。

 画像は、ヴィチュウコフスキ「ウクライナの耕起」。
  レオン・ヴィチュウコフスキ(Leon Wyczółkowski, 1852-1936, Polish)
 他、左から、
  「浅瀬を渡る漁師たち」
  「種まく人」
  「クリケット遊び」
  「春」
  「パランガの海景」

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雪原に生きる

 

 ユリアン・ファワト(Julian Fałat)は、まばゆいばかりの雪景色がとにかく印象的な画家。彼は、川辺にこんもりと雪の積もった、平らかで濃紺の水をたたえた、分岐した川を、同じ角度から何度も描いている。

 ファワトはポーランドの主要な風景画家の一人。印象派を代表する画家、とも言われるが、私は、彼の雪景はロシア移動派あたりのリアリズムを連想する。
 もっと憂鬱で暗喩的だと思っていた「若きポーランド」派だったけど、けっこう幅があるんだな。ファワトの絵は、ひねくれたり、ねじ曲がったりしていない。テーマの偏好はあるけれども。

 彼はは一徹な人柄だったんだと思う。家族の援助も奨学金もなしに、とにかく自分の努力で絵を勉強したという苦労人。初等教育を終えると、はるかウクライナへと旅立ち、製図やら発掘やら、建築家のアトリエにも出入りしながら、働いて金を貯め、金ができれば早速、ミュンヘンに旅立って絵の勉強。金が底をつくと、画業を中断して働き、高じて鉄道建設の技師になる。
 そんなこんなで、働きながら、それでも絵の勉強をやめなかった。

 ファワトはヨーロッパとアジアをくまなく旅し、旅先の情景を水彩で記録した。これらはほとんどが失われてしまったというが、その後も彼は、おそらく自分のためにだろう、水彩でじゃんじゃん量産している。

 彼が向かったのは、風景、それも祖国ポーランドの風景、それも特に、雪の降り積もった冬景で、そこに人間が登場するとすれば、彼らは狩猟をしている。
 雪中の狩人というテーマは、北ヨーロッパの厳冬の日常シーンの一つ。人間味がじわりと滲む、けれども心癒される情景ではない。
 こんなシーンに心惹かれる理由は、ポーランドの片田舎のような、雪に埋もれた森に閉ざされた小村にでも住んでみなければ、分からないのだろう。空調の効いた部屋で、凍てつく雪原の大地をいくら眺めたところで、その神秘、不安や感動、霊験は、なかなか感じられまい。
 ……と、生まれも育ちも雪国とは無縁な私は、自虐的になってみる。が、独特の歴史と自然と信仰、欠陥とも言える特性が、ポーランド絵画の美の精髄に違いない、というファワトの言は、心にとめておくことにする。

 ファワトはヤン・スタニスワフスキとともに、ポーランド風景画の第一人者との評価を得、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世に招かれて、ベルリンの宮廷画家となった。 

  画像は、ファワト「雪」。
  ユリアン・ファワト(Julian Fałat, 1853-1929, Polish)
 他、左から、
  「祈る老人」
  「湿原の日没」
  「熊を連れた帰還」
  「狩猟からの橇での帰還」
  「クラクフ近郊ブウォニエ」

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水溶々、空溶々、大地溶々

 

 ヤン・スタニスワフスキ(Jan Stanisławski)は、クシジャノフスキとともに、私がポーランドの風景画家として、ずっと以前から名前だけはインプットしていた画家。ポーランドに行けば、どの美術館でも観ることができる。
 で、実際に観てみた感想として、私のノートには、「大雑把、手抜き、粗放、いい加減」なんて書いてある。

 確かに彼の絵は雑で大まか。細部まで綿密に描こうなんて、そもそもしない。ある程度の大きな画面なら、それで良い味が出ているのだが、これが小品となると、ほとんど油彩スケッチで、しかも何を描いているのかよく分からない。だが彼本人は、小品を好んだらしく、わんさと描いている。壁面の一角に、小品ばかりがレンガを積んだように固まって飾られていれば、それはスタニスワフスキのもの。

 大学では数学を学んだというスタニスワフスキ。数学を専攻し、絵に転向した画家というのは、ちょっと珍しい。

 抽象的思考を好む人は、具象をハショる癖がある。と言うか、具象的イメージから抽象的概念を得た後には、そのもともとのイメージが消えるにまかせる癖がある。
 スタニスワフスキの絵にも、そんなところがある。現実からイメージを得た後には、いくらでも簡略化していく。

 簡略化という行為は、画家の表現上の特権だ。画家は普通、初期には、アカデミックな修行を積む。力量が身につけば、どこをハショって、どうメリハリをつけるかを自在にこなせるようになる。もうこうなれば、誇張も省略も、これすべて画家の裁量、画家の個性。何をどう描いても、画家の勝手。
 だから、スタニスワフスキの風景は、彼という人物を経た彼の心象であっても構わないし、何を描いているのか私なんかに分からなくても構わないわけだ。
 スタニスワフスキは印象派の画家とする解説が多いけれども、私は表現主義的な画家だと思う。

 まあ、とにかくスタニスワフスキは、長いこと数学を極めていたところが、あるときから絵の道に転じ、ワルシャワ、クラクフ、さらにパリにて絵を学ぶ。広くヨーロッパをスケッチ旅行したが、彼が最も魅了されたのは、ウクライナの風景だったという。
 そう言われれば、彼の絵はやけにだだっ広い。はるか地平線まで空が、あるいは大地が広がっている。そこに、白夜を思わせる稀薄な光が照らしている。
 
 こんなふうに描いているうちに、「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」運動の重要な位置を担い、アカデミーで後進を育成、戸外制作を広め、いつのまにやら、ユリアン・ファワト(Julian Fałat)と並んで、ポーランド風景画の第一人者となった。

 画像は、スタニスワフスキ「水辺のポプラ」。
  ヤン・スタニスワフスキ(Jan Stanisławski, 1860-1907, Polish)
 他、左から、
  「シェニャバ村の風景」
  「ウクライナの蜂巣箱」
  「ひまわりと小屋」
  「雲」
  「冬のザコパネ」

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