絵画鑑賞、徒然(続)

 
 だから、あるとき不意に相棒が、いつか世界中を旅行しながら美術館をめぐろうと思う、それが僕の夢だ、と言ったのには、寝耳に水の意外さだった。

 もう大学には残りたくなかった、その頃の私は、いつまで続くとも、どこにつながるとも知れない道を歩いていたところが、青天から振り下ろされた霹靂が足許に落ちた。それは地をうがって、一瞬の間に、私の眼の前に呆れんばかりの大穴を開けた。私の行く道を遮断したその大穴には、金塊が埋まっていた。あらゆる可能性に輝く金塊が。……そんな感じの意外さだった。
 私の好運は、ここに起因しているように思える。

 あの頃から、相棒は自腹を切って、せっせと絵を観に出かける。こうなると完璧主義の相棒のほうが、熱心に絵の勉強をする。画集を読み、絵画番組を観、バイオリンがぶっ壊されて新しいのを買うかと思いきや、自分も絵を描くのだと言って、油絵具のセットを買った。
 
 だから、私にとって問題なのは、世界を旅しながら美術館をまわれるかどうか、ではない。いずれ私は、小判鮫のごとく、世界の美術館を旅して歩くことができる。
 そのときに、絵を描けるかどうかが、私自身の問題なのだ。絵を描くことは、私だけの問題だから。

 画像は、H.ルソー「夢」。
  アンリ・ルソー(Henri Rousseau, 1844-1910, French)

     Previous
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

絵画鑑賞、徒然

   
 私が自分で美術館に行くようになったのは、学生の頃。母が招待券を貰うので、その一枚が私に回ってくる。で、京都、大阪、神戸に来るものは(たまに奈良、滋賀あたりにも)好き嫌いに関わらず観に行った。
 絵だけでなく、写真や彫刻や工芸品も。絵も、西洋絵画だけでなく、日本の洋画や日本画、ポスターやイラストレーションも。招待券が手に入らないときは、自分でチケットを買って観に行くこともあった。

 今はもちろん、そんなバイタリティなんかない。人間、限られた寿命において、あらゆるものに平等に関心を持つことはできない。私の場合、好みは西洋絵画へと偏っていった。
 ミュージアム(museum)が、あるときは美術館、あるときは博物館として登場するのに不満を持ち始めたのは、この頃からのように思う。私の関心は、もっぱら美術館のほうへと向かった。

 一方、相棒の趣味はずっと音楽のほうにあった。自分でもバイオリンを弾いてきたし、時間の許す限りクラシック音楽を聴く。物理、数学、将棋、野球、それに音楽。より論理的、抽象的なもののほうが、性に合うのだ。
 完璧主義のこの人の、音楽に関する教養は、趣味のレベルをはるかに超えている。本人もそれを自負している(多分)。だから私は、音楽については自分では調べない。相棒の知識を事典代わりに使うし、その日の音楽も、相棒のCDを適当に引き抜いて聴く。

 さて。ミュージアムへの不満云々の昔。同じ沿線だった私と相棒は、同じ電車に乗り込んだ。私は途中下車して、ベルナール・ビュフェ展へ。相棒を誘ったが、彼は断って、そのまま大学へと向かった。
 彼が、別の日になら行こうと言ったら、私はそうしようと思っていた。が、彼はそうは言わなかった。相棒はこのときのビュフェを観ずじまいだった。……絵だもんね。音楽じゃないものね。私はそんなふうに思っていた。

 To be continued...

 画像は、マルク「夢見る馬」。
  フランツ・マルク(Franz Marc, 1880-1916, German)

     Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

夢の話:人を殺す感覚 その1(続々)

 
 だが多勢に無勢で、次第に私には、突っつく個所や力の入れ具合に注意する余裕がなくなってくる。そして突然、グシャッ、という鈍い感覚が、竹槍を介して私の手に伝わる。土を刺したときとは全然異なる、生きた肉を、骨を刺したと、はっきりと分かる嫌な感覚。

 まさか、という驚愕と、もしかしたら、という焦燥。誰もが、周囲のことなどお構いなしに我勝ちに行動する戦場で、血まみれの人間が一人、凍りついたような形相で私を見据えている。まるで私を睨み殺そうとでもするかのような、あるいは殺人者の証拠の映像を、死にゆく網膜に焼きつけようとでもするかのような、悪鬼のような眼差しで。
 その眼の凄まじさは、トラウマになるには十分だ。その眼の、一体何てことをしてくれたんだ、という最期の訴えが、そのまま、早鐘のような叫びとなって私の内部を打ちまくる。何てこと! 何てこと!

 この瞬間、これまでの世界は瓦解する。自分の生きる世界が、そして自分自身も、もはや決定的に、取り返しがたく変わってしまっているのを感じる。
 時間の不可逆性を、このときほど痛感することはない。ついさっきまで生きていた人間が、自分の手で、今、命を絶たれたのだ。
 もう、もとには戻れない。それは、贖うことも償うこともできない罪だ。罪を犯した人間を変質させ、世界を変質させてしまう、逃れようのない罪だ。

 この変質の結果に耐えかね、絶望でパニックになって、例によって私は眼を醒ました。

 To be continued...

 画像は、マルチェフスキ「死」。
  ヤチェク・マルチェフスキ(Jacek Malczewski, 1854-1929, Polish)

     Previous / Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

夢の話:人を殺す感覚 その1(続)

 
 逃げ回るのに夢中になっている間に、気づいたら私は、殿さまの最後の手勢の一人となっていた。その数わずか7、8人。もうしっかり、殿さまに顔を憶えられている。
 殿さまたちが、山を越えよう、と山道に入って行ったときから、嫌な予感がしていたのだ。山なんて、道を知らない人間が迷っているあいだに、道を知る人間が距離を詰めることができる、絶好の場じゃんか。

 で、案の定、山頂に追い込まれて、囲まれた挙句に、敵兵に四方八方からヨジヨジと登ってこられる状況に。

 戦争というのは不条理だ。自分が死にたくなければ、相手を殺さなければならない。もちろん相手に恨みなんかない。殺す個人的な理由なんか、何もないのだ。
 私がやらなければ、別の誰かがやるだろう。だが、やらなければ、私は味方に殺されるかも知れない。
 殺されるのは嫌だ。だが殺すのも嫌だ。……気の狂いそうな葛藤!

 戦争では人はただの駒だ。だが駒が人間である以上、駒には人生がある。これまで生きてきた人生、そしてこれから生きてゆくはずの人生が。
 戦争のやり切れなさというのは、死ななければならない、あるいは殺さなければならない、ということ自体ではなく、むしろ、選択権を奪われて駒にされ、理由なく殺し合いをさせられて、理由なく死んでいく、ということにあるように思う。

 殿さまの眼が届くので、もう戦っているふりをして逃げることができない。敵兵も次々に登ってくるわけだから、仕方なく私は、上から竹槍でツンツン突ついて敵兵を下へと落っことす。

 To be continued...

 画像は、ホガース「サタンと罪と死」。
  ウィリアム・ホガース(William Hogarth, 1697-1764, British)

     Previous / Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

夢の話:人を殺す感覚 その1

 
 夢のなかで、私は二度、人を殺したことがある。

 最初は戦争でだった。戦争と言っても、銃のような近代兵器を用いる戦争ではない。舞台は戦国時代(と思う)。私は足軽で、そのとき、知る人ぞ知る天王山の山頂で、四方八方から、次から次へと登ってくる敵兵どもに囲まれて、竹槍を振り回していたのだった。

 この状況に到ったプロセスについては、憶えていない。私は田舎でのほほんと暮らしていたところが、あれよあれよと戦火が広がって、訳の分からぬ間に歩兵として駆り出されたらしい。
 顔を見も知らない殿さまのために、味方にならぬなら敵だ、殺す、と脅されてしょっぴかれ、下っ端の武将たちに急き立てられて、私は他の大勢の歩兵たちとともに、野を、田畑を、移動したように思う。馬に乗って、パッカパッカと先を行くお侍の後ろから、歩兵はエッサエッサと走ってついていかなきゃならない。
 私は夢では、歩かずに、空に浮かんで前進する。重いと浮けないので、甲冑は身に着けない。竹槍を棒高跳びの杖のように使って、できるだけ前へと突き刺し、グイーンと跳躍しながら杖をスルスル滑り降りるようにして、楽して進む。

 途中、小競り合いもあったが、私はいつも要領よく、戦っているふりだけして、実際には敵兵を殺さずに逃げ回っていた。
 現実でも私は、子供の頃、逃げ足だけは速かった。手つなぎ鬼でもドッジボールでも、いつも最後まで残って逃げていた。で、最後まで逃げ残って、一番怖いのは、自分一人だけが、他のすべての人々からのターゲットになることだ。

 To be continued...

 画像は、作者不詳「侍たちの戦い」。

     Previous / Next
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ