ピノキオの詩情

 

 タデウシュ・マコフスキ(Tadeusz Makowski)。この画家は、ピノキオのような子供を描く。
 絵本のようにリリカルなのだが、どこかグロテスクな、演劇的な印象。実物を前にすると、ちょっと気が滅入ってくるのは、なんでだろう。

 マコフスキには、初期の頃から子供の絵が多い。子供たちは、当初は風景画の点景として登場し、やがて、紛れもない主人公として、田舎じみた家のなか、画面いっぱいに並び立つ。そしてこちらを見つめている。
 こういう子供たちって、よくいるよね。シャイで、好奇心旺盛で、固まりあって互いにクスクス笑いながら、遠巻きに様子を眺めているの。

 フランスで活動した彼なので、その絵の雰囲気は、エコール・ド・パリ的にアンニュイでメランコリック。
 一方でその雰囲気はそのままに、他方で子供たちの形象は、次第に単純化されていく。丸い顔に、筒のような胴。三角のとんがり帽子と白い襟。子供たちの姿は、おもちゃの木の人形、あるいは小人のようなカスケード(連続)となって、控えめだが根気強く、何かを訴えかけてくる。
 だがそのメッセージが何なのか、私には分からない。劇場的な虚構なのか、暗喩なのか、それとも画家の内省なのか。

 受け売りの略歴を記しておくと、マコフスキは、後にアウシュヴィッツ強制収容所が置かれたことで知られる、オシフィエンチムの生まれ。大学で言語学なんぞを学んでいたが、絵に転向。クラクフのアカデミーに入り、「若きポーランド」派のメホフェルやスタニスワフスキに師事する。その後パリへと旅立ち、以降、生涯をフランスで送った。

 故国の師匠たちの教えに沿って、無難に忠実に精進していたマコフスキだったが、パリで出会ったキュビズムから、衝撃を受ける。モンパルナスのキュビスト画家たちと交流し、かのピカソとも友達に。
 円や三角、四角で表現されたキュビックな幼い人体は、アンリ・ルソーのナイーヴなリアリズムや、ポーランドのフォークアートを経由して、画家独特の形式や慣習を獲得する。画面は、初期フランドル絵画の取り上げた田舎の謝肉祭の暗く儚げな賑わいのなか、陰喩的な叙情を醸し出すようになる。
 
  世界は眼に見えたままに存在する。肉眼が知覚し把握する内容どおりに。こうした「素朴実在論」が、マコフスキの絵にはある。

 画像は、マコフスキ「アトリエにて」。
  タデウシュ・マコフスキ(Tadeusz Makowski, 1882-1932, Polish)
 他、左から、
  「白い帽子の少女」
  「下校」
  「トランペットを吹く子供たち」
  「ベッドの上の少年」
  「守銭奴」

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