世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
聖書あれこれ:預言者ヨナ(続)
神は再びヨナにニネベに行くよう命じ、今度はヨナもそれに従って、ニネベの民に向かって、「40日後に都は滅びる」と告げる。
するとニネベの民は、王に到るまで、あっさりと悔い改める。で、神のほうも、この上はニネベにの上に災厄を下すのをやめにする。
一方ヨナは、神の心変わりが不服でたまらず、激怒する。
だから自分がそう言っておいたではないか。だから自分はタルシシュに逃れようとしたのだ。私の命を取ってくれ。生きるよりも死んだほうがマシだ!
すると神が言う。お前がそのように怒るのは、正しいことだろうか?
ヨナはニネベを出、ニネベの行方を見届けようと、小屋を作って座り込む。
神はヨナを暑さから救うため、トウゴマに命じて、それを育てヨナの頭上に日陰を作ってやる。ヨナは喜んだが、翌日の夜明け、神は今度は、虫に命じて、トウゴマを食わせ枯らしてしまう。
ヨナは太陽に照りつけられ、再び、死んだほうがマシだ! と訴える。
トウゴマのためにそのように怒るのは、正しいことだろうか? と神。
もちろんだ、私は怒りのために狂い死にそうだ、とヨナ。
すると神は、こう諭す。
お前は労しも育てもせず、一夜のうちに生じ滅びたトウゴマの木をすら惜しんでいる。なら私が12万もの人間と家畜のいるニネベを、惜しまずにいられようか。
画像は、ヤン・ブリューゲル(父)「クジラから逃れるヨナ」。
ヤン・ブリューゲル(父)(Jan Bruegel the Elder, 1568-1625, Flemish)
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聖書あれこれ:預言者ヨナ
大江健三郎「宙返り」にヨナの話が出てきたので、読み直してみた。以下、備忘録。
ヨナは旧約聖書「ヨナ書」に登場する預言者。
イスラエルの仇敵、異教徒の国アッシリアの首都ニネベに悔い改めを求め、ニネベが悔い改めた後にはニネベを滅ぼすことを取りやめた神。こうした神の意志に対して拒んだり、異を唱えたりするヨナ。二者のやりとりには、深い含意があると解釈されているらしい。
あるときヨナは、ニネベに赴いて悔い改めるよう呼びかけよ、という神の言葉を聞く。ところがヨナは、それを拒んで、船に乗り込んでタルシシュへ逃れようとする。
そこで神は海上に大嵐を起こす。船乗りたちは恐怖して各々自分の神に祈ったが、ヨナはと言えば船のなかで熟睡している。
船長は、「どうしてそんなふうに眠っていられるんだ。さあ、起きて自分の神に祈れ」と言う。
船乗りたちは、誰のせいで嵐が起こったか、籤を引く。すると籤はヨナに当たる。船乗りたちが問い詰めると、ヨナは、自分はヘブライ人だ、神から逃れ、神を怖れている、と白状し、自分を海に放り込め、と言う。
船乗りたちは陸に漕ぎ戻そうと努めたが、むなしく、とうとうヨナを海に投げ込むと、一転、海は静まる。
ヨナは神が使わした大魚に呑み込まれる。魚の腹のなかで、ヨナはつらつらと神に祈りを捧げる。三日三晩の後、神が命じて、魚はヨナを海岸に吐き出す。
To be continued...
画像は、A.P.ライダー「ヨナ」。
アルバート・ピンカム・ライダー(Albert Pinkham Ryder, 1847-1917, American)
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宙返り
大江健三郎「宙返り」を読んだ。相棒が、大江ならどれこれ構わず、読め読め読め読めとせっ突くので読んだのだが、これは私にはハズレだった。思想のために作った物語のようで、物語自体として面白くない。
私には物語が面白くなきゃダメなんだ。
テーマは、世界の危機と救済の展望。
とある教団。指導者は、瞑想によってあちら側に行き、直接に神と繋がることで神の示すヴィジョンを見る「師匠(パトロン)」と、そのヴィジョンをこちら側の言葉に直す「案内人(ガイド)」。世界の終わりが近づいている。そのことを深く認識し、悔い改めよ。……というのが、彼らの教義。
ところが教団内部のエリート急進派が暴走し、原発を占拠、爆破して、民衆に世界の終わりを実感させ、教義を押し出そうとする計画が浮上。それを阻止するため、「師匠」と「案内人」は全国中継のテレビで声明する。……自分たちは救い主でも預言者でもない。これまで説いてきた教義は冗談だった。自分たちは教団を放棄する。
これが「宙返り」と呼ばれ、以後、二人は「地獄降り」の苦悩のなかでひっそりと暮らしていた。
物語は「宙返り」の十年後、「師匠」と「案内人」のもとに、曰くある巡り会いの過去を持つ、二人の世話をする「踊り子(ダンサー)」、犬のような顔と美しい眼の青年育雄、初老の画家木津らが集まって、教団を再建しようとする、というもの。
一つの宗教活動を扱っているわけだが、神の存在は非常におぼろ。しかも、かつて瞑想によって神と交流した「師匠」が、今ではその交流を断たれ、やがて“古い人”として、幾分弱い単なる人間として死んでゆく。
その「師匠」が、物語の展開のなかで、
「神とはこの世界を作り上げている自然の総体だ」と言う。
「“対立する双方を独りの新しい人に作り上げて平和を実現し、両者を一つの体にして神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼす”……自分たちの教会は、そうした“新しい人”の教会となるだろう」と言う。
そうならもう、わざわざ宗教を介する必要はないわけで、そんなことは最初から分かっていたわけで……
だって人間は、神がいなくても、魂を持っているのだから。
大江が“新しい人”の思想を打ち出しているのはよい。が、それが結局、地域の自然に根ざした農業を営む共同体のような形でしか実現しないと展望しているなら、私としては大いに期待外れの感がある。
画像は、ワッツ「ヨナ」。
ジョージ・フレデリック・ワッツ(George Frederic Watts, 1817-1904, British)
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