ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「長いお別れ」を読んで ~介護の大変さ~

2019-09-15 09:01:03 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/18(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/16(月・祝)10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席 
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************





1年に2回、お互いの誕生日に自分がその半年で読んで良いと思った本を交換することにしている友人から、今回は「長いお別れ」を頂きました。(ちなみに「長いお別れ」というのは、認知症のことをそう呼ぶそうです)
これは3か月ほど前だったかな、山崎努さん主演の映画化されたものを観ました。
でも本は読んでいなかったので、映画とどんな違いがあるのか楽しみに読みました。
友人は、
「これってコメディなんだよね」
と言って渡してくれましたが、読んでみて私はとてもそうは思えませんでした。
友人がコメディと言った意味は、認知症になった主人公がとんちんかんな受け答えをするところが面白いからだろうと思いましたが、私はそれよりもやはり介護の大変さが身に沁みました。
映画では、それらが断片的に描かれているので、
「あ~、こういうときもあるだろうな」
ぐらいで終わってしまっていたのですが、1日朝から晩までこれが続くのかと思うとそれはそれは重労働に違いない、という様子が本では描かれていました。



例えば朝。
起こす。
だんだん本人が弱ってくると、それでも男性だとそこそこ体重や上背もありますから身体を支えて起こすこと自体が大変そうです。
そして歯を磨かせる。
もう自分ではなぜそういう行為をしなくてはいけないのかがわかっていないから、
「はい、あ~んして」
と口を開けさせて歯ブラシを突っ込もうとしても、
「ヤダ!」
と嫌がって絶対口を開けようとしないのです。
主人公の奥さんの曜子はこの様子を、
(ひょっとしたら、自分がだんだん周りとコミュニケーションが取りづらくなっているのを本人もわかっていて、拒否が唯一の自分の意志を示す方法だと思っているのではないか・・ これが夫の唯一の自己主張なのではないか)
と思います。
これはなかなかに鋭い着眼点だな、と思いました。
私ももし自分が認知症になったら、その症状が浅いうちは自分が人の手を借りなくてはいけなくなっていることを認めたくなくて、こういう拒否をしそうな気もします。



そして歯磨きが終わるとトイレ。
これまた、
「ヤダ、別にいま、したくない」
などのやんやのやりとりがあった挙句にようやくパンツをおろさせて排泄させる。
これがまた一苦労らしい。
良いうんPが出た日には本人も気持ちが良いらしく、その日1日はご機嫌でいることが多い。
けれど、出なかったり出が悪かったりすると1日中ごねる。
それは介護する者にとっても避けてもらいたいから、上手に排泄してもらうことがすごく大事になるんですね。



それが終わるとようやく朝食。
けれども、認知症にかかるとどんどん意欲が失せるのか、ごはんの量は減っていき、そのくせ時間ばかりかかるようになる。
本ではだいたい薄いおかゆで1時間でした・・
そしてモノを食べるためにはだいたいこの年齢になると入れ歯になっている人が多いと思うのですが、それを入れなくてはいけない。
それがまた難儀。
歯ブラシのときと同じく、
「なんだ? それは・・。なんでそんなものを口に入れなくてはいけない!」
と怒る。
ようやく入れさせても、自分でとってしまい、入れ歯を放り投げてしまったり、どこかへ知らぬ間に隠してしまったりして、本ではわずか1か月の間に1つずつ入れ歯をなくす、という事態が描かれていました。
そして新しい入れ歯を作るために歯医者さんに行っても、またそこで頑として口を開けようとはしない。
「これは今日は治療をあきらめるしかないですね」
という歯医者さんに曜子は、
「訪問医療に切り替えた方がいいでしょうか?」
と尋ねます。
すると歯医者は、
「どのみち治療ができないのであれば、どちらでもおんなじことです」
とにべもなく言い放ちます。
・・・道理だわな。




そしてそれが済むと薬。
これまた、
「それはなんだ? そんなもん、ワシは飲まん!」
と言って口を開けようとしない。
それが何かの拍子に話題をちょっと変えただけで、また再び、
「で、口を開けて」
と言うと素直に
「うん」
と言ってあっさり開けることもあるものだから、曜子なりにその“法則性”を探ろうとして毎日苦慮します。



だいたいこれだけやりきったらもうお昼ですわ。
そりゃそうだろうねぇ。
で、夜は夜でまた大変。
この主人公の場合は、夜中にうんPをしてしまうことがあって、その際、なぜか隣のベッドで寝ている曜子のベッドサイドにきれいにそれを並べる、というのです。
ものすごい臭さに気付いて曜子が目を覚ます。
それから風呂場に連れて行って、本人を洗い流す。
新しいパンツをはかせる。
そして自分のシーツを洗う。
だいたいこんなことで1日に3回は洗濯機を回す、と言う。
そしていったん夜寝たら朝までぐーっと寝られることもない、と言う。
2,3回は何かの事件で起こされることが当たり前。
・・・これは激務だわ。
80代の夫を70代の妻がひとりで介護できる、ってもんじゃないわ、とつくづく思いました。
いや、老々介護でなくて、彼らには3人の娘がいるのですが、3人がこぞって曜子も入院する羽目になったときに父親の介護で訪れるのですが、1日でぐったりしてしまいます。
「これだけのことを今までお母さんは1人でやっていたの・・?」
と驚きを隠せません。



認知症の介護もほんとに大変なんだなぁ、と思いました。
いろいろな症状があるでしょうから、認知症にかかった人の「長いお別れ」の仕方がすべてこの主人公のようになるのだよ、ということではないはずですが、私も少し前までは認知症って脳の病気だから、体だけは比較的最後まで丈夫なんだ、と思っていました。
だからこそ徘徊しちゃうなどの大変な面もありますが、体が弱っていく、という面倒は最後の最後にしかみなくてもいい、と思っていました。
けれど、この本を改めて読んでとてもそんなレベルではないのだな、とどよ~んとしてしまいました。
もし、母親がこんな風になったらどうしよう・・
私が1人でとても介護しきれるものじゃないな、と思うと愕然とします。
もちろん、施設のお世話になることを恥ずかしいとかなるべく自分ひとりで面倒みたい、とも思っていませんが、かなりの労力を割かれることはやむをえないでしょう。



こうして私が介護のシーンだけを書き並べるとほんとに悲惨さだけが目についてしまいます。
けれども、小説としてそうなることを恐れてできるだけそのへんは淡々と、そして時には読者がぷっと笑えるような会話も盛り込みたい、と作者は思ったからこそ、その意図を汲んで私の友人は、
「これはコメディだから」
と言ったのかもしれません。
逆に言えば、
「現実はとてもとてもこんなレベルじゃすまないから」
ということを友人は言いたかったのかも知れません。
そういう意味では映画のほうがコメディでした。
改めて本を読んでいろんな発見があったことでした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿