ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~番外編 ベトナム人の食に対する貪欲さ~

2019-09-28 09:01:57 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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昨日で、この本を読んで感じたことをブログにするのは終わりかな、と思ったんですが、最後に1つ、番外編として、ベトナム人の食に対する貪欲さにたまげたいくつかのことをシェアしようと思います。
3日前の、「豊かさの概念について」のときにも書きましたが、ベトナムという国はメコンデルタの自然の恵みを享受した国です。
海外旅行に行くと、ステーキやフリットなどの動物性たんぱく質料理には事欠かないけれど、どうにも野菜不足になって困る、という声はよく聞きますし、私もそう思いますが、ベトナムは野菜も豊富ですし、肉ひとつとっても日常的に食卓に上るものして一般的なのは、日本なら牛肉か豚肉か鶏肉かぐらいですよね。
それがベトナムでは鹿肉、鳩、七面鳥、イノシシ、うずら、トカゲ、コウモリ、アルマジロ、亀、食用ネズミなどもかなり一般的だと言います。
これ1つの事実をもってしても、ベトナムがいかに食に対して貪欲で華やかであるかわかろうというものです。



こんなシーンがありました。
日本へやってきたベトナム人の妻が、
「あぁ、ベトナムが恋しい。あれが食べたい・・ あれを食べるためだけに一度ベトナムへ帰りたい・・」
とまで焦がれていたものがあります。
それはカー・ロックという名前の魚を蒸したシンプルな料理だという。
あるとき、夫婦は横浜の中華街をドライブします。
そのとき奥の細い道で、彼女は眼を輝かせて、
「カー・ロックがいた!」
と声をはりあげます。
それはなんと、雷魚のことでした。
雷魚・・・。
これです。


岐阜には「川島淡水魚水族館」というところがありまして、そこに「メコン川の仲間たち」というフロアがあります。
まぁ~、どいつもこいつも何を考えて生きてるんだか、いや、ていうか何んも考えてないだろうな、という顔をして、しかし獰猛そうな、いかにも古代魚って感じです。
なかでも雷魚は模様がアナコンダみたいで、まさに川の蛇って感じで薄気味悪いんですよね・・



それを喜びいさんで買った妻、店先のおばあさんがビニール袋に入れてくれただけだったので、生命力の強い雷魚は暴れて道路に投げ出されてしまいます。
それを棒でひっぱたき、夫も加勢して殺して持ち運ぶのかと思いきや、妻は鬼の形相で、
「絶対に殺しちゃダメよ! 味が落ちる!」
と叫んだのでした・・
私は最近では、刺身の活造りにも「しっかり殺してやれよ・・」(いや、あれは生体反応なだけでおまえはすでに死んでいる状態なのかもしれませんが)と眉をひそめる好々爺ならぬ好々婆ぶりですので、人間が食べるために命をいただくことになる動物たちはできるだけ速やかに苦しめず殺してやって欲しい、と思うのですが、この妻はおいしく食べるためにはそんなこたぁ、全く意に介さない。
そして気絶だけさせて車のトランクに放り込んで(水もないんですよ!)、なんと五時間。
ようやく家に帰ってからバスタブに水を張り、そこへ放り込むと雷魚は何事もなかったかのようにスイスイと泳ぎ始めた、というではありませんか。
いやもう・・ この生命力がついていけない、っていうか気持ち悪いんだって・・。
で、さらにそこから1週間、砂を吐かせるとかで餌も与えないまま生かして置いてようやく調理、それを
「おいしい、おいしい! あぁ、生きてて良かった」
とほうばれる強さは私にはないな、と思ってしまいました。



それからこれはほんとにショッキングなシーンだったのですが・・
あるとき、妻がうさぎをペットとして飼い始めたんだそうです。
いや、わかりやすいように「ペット」ともう言っちゃいましたが、著者いわく、ベトナム人の動物の飼い方は日本人が考える「ペット」とは違う気がする、だそうです。
もっと「家族」って感じなんだとか。
家族だからすごく可愛がるときもあるけれども、冷たく突き放すときもあるって感じなんだそうです。
ただ猫っ可愛がりするわけじゃないそうで。
そのうさぎを妻はたいそう可愛がり、うさぎも妻にたいそう懐いていたそうなんですが、あるときかじっちゃいけない布(妻の洋服だったかソファだったか忘れましたが)をかじっちゃった。
それを死ぬほど妻は折檻しました。
そして最後には、
「いい? 今度2度とこういうことをしたら、おまえを食べちゃうからね」
と言い聞かせました。
でも、またかじっちゃったんです・・ そのうさぎ・・
どうなったかはわかりますよね・・
妻は言ったことをちゃあ~んと実行しました。
ある日、夫が帰ってくると、血の海となったベランダから妻が明るい声で、
「今日はおいしいうさぎ料理つくるからね!」
と言っているのが聞こえましたとさ。



これは・・
日本人の感覚が甘すぎるんでしょうか。
よく牛や豚を育てている牧場の人が、「可愛くてたまらない」と言いながらも、出荷するときには、「おいしい肉になれよ~」と言って送り出す、というあの感覚に近いんでしょうか。
放牧民がヤギなどを連れ歩いて一匹ずつつぶしながら移動していく、というあの感覚でしょうか。
私にはこのベトナム人の妻の感覚は理解できません。
できませんし、理解できるようになりたいとも思わないんですが、こういうまったく民族として感覚が違う、というものを頭から否定するつもりもありません。
ただ、
「これくらいでないと、自分自身も何があっても生き抜く、というサバイバル能力は育まれないんだろうなぁ」
とはぼんやりと思ったのでした。



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