ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「健やかなるときも、病めるときも・・」とはなかなかいきません

2019-09-30 09:01:03 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

********************************************

<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

********************************************





最近、季節の変わり目のせいか、どうも体調が思わしくありません。
最初はある日突然、股関節がやたら痛くなりました。
「痛い」っていうか、厳密にいうと伸びきったゴム紐をそれでもまだ伸ばされるようないや~な重だる感っていうかな・・
どういう姿勢をとっていてもとにかくすぐに違う姿勢にしてみたくなる。
違う姿勢をとってみても結局そのイヤな重だる感は変わらないのだけれども、少しでもラクにならないかな~なんて淡い期待とともに動き回ってみたりする。
そのうち、腰もヤバくなってきた。
そしてある日、突然に腰は大丈夫、となったら今度は喉が痛くてたまらない。
こりゃ風邪か、と風邪薬を飲むのですがいっこうに効きません。
それどころか風邪薬の作用かやたら眠くてたまらない。
くっと15分か20分昼寝でもしてあとは爽やかならいいけれども、どれだけ寝ても寝てもまだ眠れる・・という怠惰な感覚。
いや、これも厳密に言うと「眠い」という感じよりも、むりやり心臓の拍動だけ抑えられている感じで身体が疲れて眠い時の感覚ではないので、なんか気持ちが悪い。
そしてついには風邪薬の飲み過ぎで胃腸がやられました。
こうなると今度は眠れない。
眠れないので、今度は入眠剤を飲む。
もうこんな有様で、薬漬けの日々。
ついに喉の傷みだけではなく、ひどい肩こりの傷みとともに頭痛までするようになってしまいました。
こうなってみて、「そうだ、痛いんだから痛み止めだわ」と思い、ロキソニンと前に医者でもらってあった、筋肉弛緩剤のチザニンを飲んだら一発で治りました。
なんだったんだ・・
西洋医学はしょせん症状抑えだから、と敬遠気味でしたが、出ている症状を抑えている何時間かのうちにそこを自ら治す免疫力が働いて、その薬が切れたはずの時間にももう治っているってこと?
だったら、対症療法の西洋医学も捨てたもんじゃない。
結局は、自分の免疫力で治してる、ってことなんだからね。



さて、そんな感じで私が体調不良で苦しんでいる間、今度はダーリンが指を切ってしまいました。
毎日の皿洗いはダーリンの家事分担となっているのですが、ダーリンは皿洗いのときに包丁も研いだりしてくれます。
そのときによく切れるようになった包丁でスパッとやっちゃったらしい。
「シンクが血の海だったんだぜ!」
とアピる、アピる。
絆創膏を貼っても痛くてたまらない、指が曲げられない、とギャアギャアうるさい。
「どれ、ちょっと見せてみ?」
と見ると、全然たいしたことない。
こんな程度のもの、台所仕事してりゃあ1年に1回か2回はやるわさ、という主婦にしてみれば口の端でへっ、と笑い飛ばしたくなるような程度のものでしたわ。
まったく男って血を見ることに弱いんだなあ、とつくづく思いました。
しかし、ダーリンは
「これでもう当分、洗い物はできないな」
となぜか目を輝かせてのたまうのでした・・



そしてある日、今度は、
「えっこちゃ~ん! ちょっと来て! たいへん、たいへん!」
と2階から私を呼ぶ。
もうぉ、だから急いで動くのも私は悪寒と熱でしんどいんだって、という風邪がまっただなかだった日のこと。
なにかと思って行ってみると、
「足が曲がらん! 痛い」
と言う。
そう言いながらも、すでに自分でロキサニンハップを足首に貼り終えていました。
だったら私を呼ばなくても、もうそれ以上にやることなんてないじゃないの。
私なら、自分で出来ることはしたあとにどうしても自分ひとりじゃ出来ないことがあるときだけ人を呼ぶわ。
こっちだって風邪がひどくてしんどい、ってさっき話したばかりのときなのに、こっちの都合はどうでもいいのか? 自分のしんどさだけをアピっていいのか?とちょっとイラッとする。
そして、
「どうするの? 病院いく?」
それで私に運転して連れて行ってほしいのか? という意味で聞いてみる。
「・・・いや、そこまでじゃないみたい。もう少しこれで様子みるわ」
と言いました。
どうやら、久しぶりにゴルフに行って足首を使い過ぎたらしい、とのことです。
そのあともちょっとした動きで、
「ああっ!」とか、
「痛いっ!」とか
さんざ騒いでいましたが、全然見向きもしてやりませんでした。



それでね、つくづく思ったんです。
「健やかなるときも、病めるときも・・」って教会では誓いの言葉を言いますが、健やかなるときはいいですよ、そりゃ、自分が健康なら相手を思いやる気持ちも湧きます。
けれど、自分も病んでいるときに相手をそんなに思いやれますか、っつーの。
そりゃ入院だの手術だのってことになったら、そのときは「相手のほうがひどいんだな」ってわかりますけれど、日常生活のなかでちょっとしたことくらいだと、
「私ならそんなことで相手を呼びつけたりしない」
「私ならひとりで耐える」
「私ならそれでも家事をする」
とか思うと相手を思いやるどころか、相手の神経を疑うほうに気がいっちゃいます。
もう神経戦なんですよ。
相手と自分とどちらのほうがひどい状態なのかを見極めよう、ていう。
でも、どれだけ自分では見極めたつもりでも相手の態度がそれに準じたものでなければ腹が立つだけで一緒のことですしねぇ。
これからどんどん年齢を重ねていくわけですから、どんどんあっちが痛い、こっちが痛い、ということも増えていくと思われます。
そうなったとき、ほんとうに相手を思いやれるのか? ・・・疑問です。
これも1つの修行ですかね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿