コンサルテーションをサロンに受けに来てくださったお客さまの反応、というのはやはり気になります。
いくら、オーラソーマはその場で気付きが得られるとは限らない、むしろそんなことはまれで、家に帰ってじっくりと自分と向き合いながら日々を過ごし、1週間たち2週間たったところで浮かび上がってくるキーワード、それだけを大切にすればいいのだから、その場でのクライアントの反応に一喜一憂することはない、と先生に言われてもやはり、その場ですぐに
「わぁ、今日は本当にここに来て良かったです。なんだか、さっぱりしました。」とか、
「あんまり心当たりのことばっかりでびっくりしました。そのとおりです。」
とか、
「自分でもやもやとしていた問題がはっきりと浮かび上がって、どうすればよいのかも見えてきた気がします。」
なんて言われると人間ですから、顔にださないようにはしても心では、にまっとしてしまいます。
でも、この前やはりもう少しこの反応は疑ってみるべきだ、という気持ちになりました。
そのクライアントの方はイエローの方の特徴によくあることで、もやもやとしたとらえどころのない不安感にさいなまれていらっしゃいました。
イエローの方の特徴として、「はっきりしていてあいまいなことは嫌い。」というのがあります。だからつい他人にもその「はっきりくっきりさを求めてしまう」ところもあります。ところがいったん何かしらの問題が起き、その解決法がわからないとそのもやもやさに自分が耐えられなくなってしまい、あげくには「そもそもこんなことになったのは自分のせいなんだ。私が悪いんだ。」と自分を責めてしまうところがあるのです。
その方もそんな状態でした。
そんな時私は大概「自分を責めても何もポジティブなことは出てきませんから、問題を解決しようとしないでちょっとそれは横においておきましょうよ。」というようなことからはじめます。
そしてもうひとつ。イエローの方の特徴として、自由な心をもっているので、たぶん心のアローワンスが広い、というか許容範囲が広いんでしょうね。上からがつんとモノを言われるのは嫌いですが、自分がなるほど!と思ったことはたとえズバリと心の中心を突かれたようなことであっても、すぐに受け入れることができるんです。
このときも私はいろいろと「~というところありますよね?」とか言いました。そのたびのその方は「あります、あります」「なんでわかっちゃうんでしょうね」「そんなことまでオーラソーマって当たっちゃうんですか」などと感心しながら聞いておられました。
その方の悩みは深かったのですが、お帰りになるときには「すっきりしました。」「元気がでたみたいです。」「パワーをもらいました。」などとさんざん私にしてみれば甘い蜜のような言葉を置いていってくださいました。
そのときは「あ~、良かった。今日も良いコンサルテーションができたみたいだ」と悦に入っていた私ですが、ふと、いや、私はクライアントの本当の心の影の部分に光を当てることができたのだろうか、という思いにとらわれました。
その方がとくにイエローの方だったので、私もそこに早く気付くことができたわけですが、イエローの方というのはもうひとつ、「つらくても笑ってしまう」「無理して幸せそうな顔をしようとする」というところがあるのです。
なぜ、そうするのか・・
たとえ無理をしている自分がわかってはいても、不幸せそうな顔をするよりは幸せそうな顔をしていたほうが、まわりにも自分にとってもいいに決まっている、と思うから。それもあるでしょう。
自分がクライアントでありながらも今目の前にいる人を幸せにしてあげたい、幸せにしてあげたいというと大げさかもしれませんが、にっこり楽しそうな雰囲気でいてほしいという目の前の人の機嫌に迎合してしまうところがあるから。それもあるでしょう。
つらくても笑いつづけることによって、そのほうが早く現状から立ち直れるのでは、と期待するから。もちろん、それもあるでしょう。
これらはたとえイエローの資質をもっていなくても「うん、うん、気持ち、わかる、わかる」と言ってあげたくなります。
上記で述べたことは全部そのとおりなのでしょうが、あまりに今の気持ちとかけ離れた気持ちや気分を本当は持っているのに無理して笑ったり幸せ感を演出しようとすると、そのあまりの距離感、ギャップに心が引き裂かれてしまいます。
私も常日頃経験していることなのですが、実は、このブログで最初の頃に書いた花奴とぽん太という猫を2匹失くした喪失感から私は立ち直ってはいません。
(2匹は去年の10月と11月に続けてなくなりましたので、もうすぐ1年になろうとしていますが・・)
花奴の好物だったかつおぶし、花奴を目の前にしてよくかけていた言葉、そんな何気ないことがふっと目の前にあらわれただけで1秒もかからずに感情は昔にかえってしまい、一瞬のうちに涙があふれる状況です。その生々しさといったら1年近くという時が流れたとは思えないほどです。
彼女たちが戻ってくることはないわけですから、この感覚は一生この先も続いていくのだろうか、と思うと愕然としたりもします。
それが、今ダーリンとお笑いのテレビを見ていて大笑いをして「あー、おなかの皮よじれた」といって洗い物をするために流し台にいき、かつおぶしのパックを目にしたとたん、ぶわあっと溢れることがあるので困ってしまいます。自分で自分をもてあます、ってやつです。何!? なに!? なにぃ!!?これって!!! 今、笑ってた私はウソだったの?と自分で自分がわからなくなってしまいます。
ダーリンにもこんな姿をみられたら、「はあ? どうなってんだ、こいつ・・」と訝られるだろうな、とか「いまいま、楽しかったばかりなのに、こっちの気分まで台無しになっちゃったぜ」と思われないかな、と思って声を殺して泣いたりします。
でも、不思議なことにこの感情が長続きするわけでもないんです。もちろん、好きでいつまでもこの悲しみの中に浸っていたい、と思えばそうなるのでしょうが、積極的にそう思わない限りはすぐに立ち直れます。立ち直るというよりも目の前に次々に訪れる違う状況や感情のほうにすぐに移行していってしまいます。
そして、これはこれで「あたしって、分裂症!?」みたいに自分が不気味に思えます。
でも、こんな状況から私を救ってくれるのもやっぱりダーリンなんです。
ダーリンは、私が心配したような「こいつ、おかしいんじゃねえの?」とも思わなかったですし、「こっちの気分が台無しだ」という反応もしません。むしろ、動物好きのダーリンには私の気持ちがよくわかるようで何も言わなくても急に泣いたりすると「おっ、どうした?」と尋ねたあとで「花奴が・・」と言っただけでもう何も言わなくても「そうか、よしよし」とただ、いたわってくれます。
私は、このように自分を見失うことなく、こんなところもある自分をなんとか認められるようにしてくれる存在の人がいたり、感情の吐露を適度にしたりして日常をしのいでいますが、あのイエローのクライアントはその後、家に帰ってどうなんだろう・・
家族に「オーラソーマにいってくる」と告げてきたのかどうかも知らないけれど、告げてきたとしたら、「おかえり。どうだった?オーラソーマって?」と聞かれ、私に言ったように同じように「うん、よかったよー、とっても! なんだか元気でたわ」「そりゃ、よかったわ」というような会話が交わされているのでしょうか・・
ううん、そんな会話が交わされることがいけないわけではないけれど、そんな会話にばかり終始するのでしょうか・・
だとすると、イエローの人の感情のギャップは大きくなるばかりで、マッサージを受けるともみかえしがくることがあるように、うちでコンサルテーションを受けたばかりにかえって心のもみかえしがきて前よりひどい落ち込みにとらわれている、ということはないだろうか・・ 心配になってしまいました。
もっともっとコンサルテーションで自分の気持ちを素直に吐き出して、浄化して帰っていただけるように私は修行をつまなくてはいけません。
考えさせられております。
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