ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「負け」を認められるのはゴール設定をした証拠

2018-02-23 09:01:55 | 身辺雑事
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  お姫様 お茶会
 

 場所       ヒーリングサロン   些々羅

            岐阜市西園町24 ショウエイビル2F

            (岐阜市南庁舎前バス停より 徒歩3分  岐阜駅より徒歩15分)

  3月3日(土)  15:00~17:00   お茶&お菓子付

  参加費      1coin(¥500)

            17:00~  場所を移して「お姫様 ワイン会」に早変わり

                    こちらは割り勘で。 出入り自由

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    *実際にワークに取り組んだけれど、イマイチ、このワークについてはコツがつかめなかった

    *いっしょにワークをやってみたい

    *ワークの感想を他の人ともシェアしたい

    *えつこさんのセッションってどんな感じ?

     

     聞きたいこと、なぁ~んでもOK!

     なんでもざっくばらんにお話ししましょう!



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 ボトルシェアリング&パステルアートトライアルの会
  

  場所       ヒーリングサロン   些々羅

            岐阜市西園町24 ショウエイビル2F

            (岐阜市南庁舎前バス停より 徒歩3分  岐阜駅より徒歩15分)

  3月10日(土)  13:30~17:00(終了時間は予定。若干前後する可能性あり)

  参加費      ¥2000

  参加資格    どなたでもウエルカム

          パステルアートは描いたことがない、という方でも最初から丁寧にお教えしますので、すぐに誰にでもなじめます。

            ※持ち物はすべてこちらでご用意いたしますので、何も必要ありません。
  
  限定3名様

  <内容>

   *オーラソーマの116本のカラーボトルから4本セレクションしていただいた中のお好きな1本リーディング
      or
*ご自身のイヤーボトルのリーディング

   *ボトルのリーディングで得た気付きを絵にしてみましょう



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    瞑想の会

場所       ヒーリングサロン   些々羅

            岐阜市西園町24 ショウエイビル2F

            (岐阜市南庁舎前バス停より 徒歩3分  岐阜駅より徒歩15分)


  3月31日(土)  10:30~12:00(終了時間は予定。若干前後する可能性あり)


  参加費      ¥1500


  参加資格    どなたでもウエルカム

            ※リラックスできる服装でお越しください。

<内容>

 ・チベット体操にてウォーミングアップ

 ・30分ほどの瞑想  些羅 えつこがリードいたします。

 ・終わったあとにテニスボールを使ったグラウンディング

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昨日は、将棋の試合ではどうして「負けました」ということを自ら宣言して終了ということになるのか? が疑問で調べてみたところ、「負けました」と敗者が能動的に負けを認めることにより、勝者以上により成長できる機会を与えてあげる機会をもうけるという礼の意味があるのだ、ということを書きました。
そしてその中でも
「負けましたと宣言することは敗者の特権である」
という言葉にいたく染み入りました、と書きました。



現代において「負けを認める」ということはとても嫌悪すべきことだ、という風潮になってきているような気がします。
「負けることに慣れていない人間が増えている」っていうか。
SNSが主流となって面と向かって謝らずにメールで済ます、などのことが増えているのも、リアルな場での「負け」を認めることに慣れていないことにつながっているような気がします。
そりゃあ、誰だって負けを認めるのはイヤです。
しかし、私は将棋連盟がめざす意味での「負けを宣言させて自己成長を助ける」という意味以外に、「負け」を認める意義について考えたのでした。



ちょっと将棋やスポーツのなどのはっきりとした勝負がつく世界からは離れますが、人生の途中で「自分が目指している夢に向かってきたけれど、ここまでの段階では自分ではこりゃ負けだな」という場面に遭遇したとします。(あくまでもその時点では、ですよ。ほんとうにそれが負けかどうかは人生終わるまでわからないかもしれませんね)
しかし、負けを認める、ということは、自分で「ここまではやる!」とか、「いつまでに、ここまで出来る自分になっている」という目標設定がしっかりしていた、ということでもあります。
だから“とりあえずの”負けを認められるんですね。
でも現実には、目標設定がしっかりとしていないから負けも認められない、という亡羊とした人生を送っている人が多いのではないでしょうか。



恥ずかしながら私自身がずっとそんな人生を送ってきました。
「このままこの会社にいるのはどうも私の本望ではない」
と思いながらも、次にどうしたいという夢がはっきりと描けないまま悶々とした20年を送ってしまいました。
それから突如オーラソーマに出会ったものの、ただ「そこに山があるから登る」みたいな感覚で自分が本当にオーラソーマを教えることをライフワークとしたいのかどうかも漠然としたままティーチャーになってしまいました。



でも今は違います。
昨年父が亡くなったときから私は変わりました。
逆に言えば、お父さん亡くさないと気付けないのかよ、と自分にツッコミを入れなくてはならないところではありますが。
それ以来常に何か考えごとをしたりするとふと父が天から
「まぁ、なるようになるって。大丈夫だから。」
と言ってくれたり、
「だからいつも言ってたろ? もうちょっと慎重になれよ」
と諌めたりと、何かにつけて父が言ってくるような気がするんですね。
それは実はほんとうの私はこう思っているという姿を代弁してくれている私自身にほかならないのかもしれない、とは薄々思ってます。
で、そんな父あらためほんとうの私は、
「いいか、あと10年の間でほんとうにおまえのやりたいコースをやれよ」
と言ってくるのです。
今までだって、それは早くやりたかったです。
けれど、
「大変なだけじゃないの~?」とか
「もう世間で言ったら定年退職の年齢なんだからがつがつせずにあとはのんびりとした楽しい老後の計画だけ考えてればいいんじゃないの?」とか
言い訳をする自分がいたりしました。
でももし「そうね、もういい年だもんね」と言ってやらずに私が死の床についたとき後悔しないか、あっちへ行って父に顔向けできるかといったら絶対それだと「おまえ見こそなったぞ」って言われる自分がいることがわかったんです。



そして昨日将棋連盟の「負けました宣言」を読んで、
「おまえ、負けたな」はいい、でも「おまえ、見損なったぞ」はイヤだ、と改めて強く思ったんです。
なぜそう思うんだろう? と考えたとき、自分から返ってきた答えが
「負けは、負けを認めるに至るここまでは行くつもりだった、でも到達できなかったというラインがはっきりわかるから」
でした。



そうだよなぁ。
目標設定、ゴール設定があるからこそ、それに対してどこまで、と測ることができる。
でもこれまでの私は常に
「自分はもっとやれるはずだ」
という変な自負だけはもっているのに、「じゃあ、いつまでに何をするの?」という具体的な目標設定もせずに、「ただ、もっとやるべきことはあるし、やれる気はするんだけど、取り組んでいない・・」というだけののぺーっとした人生を送ってきたのですね。



むしろ負けなら負けではっきりと「負け」を認めたい!とさえ思うようになりました。
だってそれは将棋連盟が言うように、「負けた者だけの特権」だから。
負けた者しか見ることのできない世界、味わうことのできない世界だから。
よく「金メダルを獲った者にしか見えない景色がある」なんて言いますが、それは銀メダルを獲った人にも、銅メダルを獲った人にも、入賞さえしなかった人にも、それぞれそこからしか見ることのできない景色はあると思うんです。
そういう意味での「負けを認めることは負けた者だけの特権」です。
そしてそこからはまたどこへでも自分の決めたところへ好きに行けるスタートラインでもあるから。
私がもし、志なかばで死病についたとしても、
「あ~ぁ、出来なかったなぁ。負けだわ」
と言えたらそんな人生でハレルヤ!と思いました。
そういうことがちゃんと言える私でいたい、と思います。
「負け」を味わいたくないから、勝負そのものに参戦しない、つまりゴール設定をしない自分でだけはいたくない。



そういうゴールが描けてもいないのに、ただ
「これまでの自分を褒めてあげましょう」とか、
「そのままのあなたでいいんだよ」と言うのは違う。
それは欺瞞であり、論理のすりかえだ。
そんな意味で「そのままの自分」「ありのままの自分」は使うんじゃない、ということがはっきりとわかりました。



将棋の話で言えば、もう1つ、素敵な制度があります。
それは「感想戦」というやつです。
将棋では必ず終わったあとに今の対局をもう1度なぞる「ふりかえり戦」というものをやるのです。
それはスポーツの世界でいえば、「ノーサイド」のホイッスルです。
ここからは勝者も敗者もなく、2人の共同作業として、今の対局をもっとこうしていたら良かったのではないか、という最高の一手を考える、というものです。
そしてこの「感想戦」が素晴らしいと思ったのは、本番の対局と違って、時間制限がない、ということです。
2人が納得するまで行います。
これまでにも何度も後世に残る一局と呼ばれたような感想戦では2人が明け方まで感想戦を行ったとか、次の日まで行った、という逸話があるほどです。
そしてこの感想戦、かならず敗者のほうが「納得いたしました」というまで終わらないのです。
ここが素晴らしい。
勝者のほうが
「おい、もうこのへんにしておこうか」
ということを言ってはいけないルールになっているのです。
勝者はどこどこまでも敗者に付き合う、付き添う。
そして敗者がほんとうに心から納得したときに敗者から
「ありがとうございました」
と言ってほんとうの対局が幕を閉じるのです。
この、いったん勝負が決したあとには、2人の共同作業でよりよいものを積み上げていく、って姿勢、いいですよねぇ。
私たちもそうありたいものです。
だから私自身、負けを認められる自分でありたいと同時に、友が降参の旗をあげてきたら(この場合,別に勝者はわたしじゃないけど)、再び立ち上がるまでいつまでもつきあってあげることのできる自分でありたいと思います。





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