ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

将棋ではどうして自ら「負けました」というのか?

2018-02-22 08:33:53 | うんちく・小ネタ
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  お姫様 お茶会
 

 場所       ヒーリングサロン   些々羅

            岐阜市西園町24 ショウエイビル2F

            (岐阜市南庁舎前バス停より 徒歩3分  岐阜駅より徒歩15分)

  3月3日(土)  15:00~17:00   お茶&お菓子付

  参加費      1coin(¥500)

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 ボトルシェアリング&パステルアートトライアルの会
  

  場所       ヒーリングサロン   些々羅

            岐阜市西園町24 ショウエイビル2F

            (岐阜市南庁舎前バス停より 徒歩3分  岐阜駅より徒歩15分)

  3月10日(土)  13:30~17:00(終了時間は予定。若干前後する可能性あり)

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  参加資格    どなたでもウエルカム

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場所       ヒーリングサロン   些々羅

            岐阜市西園町24 ショウエイビル2F

            (岐阜市南庁舎前バス停より 徒歩3分  岐阜駅より徒歩15分)


  3月31日(土)  10:30~12:00(終了時間は予定。若干前後する可能性あり)


  参加費      ¥1500


  参加資格    どなたでもウエルカム

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<内容>

 ・チベット体操にてウォーミングアップ

 ・30分ほどの瞑想  些羅 えつこがリードいたします。

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昨日は平昌オリンピックで、団体女子パシュートが見事に金!
わたし、今回のメダルのなかでこれが1番感動したかも~
もちろん、羽生くんや小平選手にも感動しまくりだったんだけど、このパシュートの
*個人の力の積み重ね(つまり、個人の持ちタイムの掛け合わせ)が、そのまま着順になるわけではない
*いかに正確なラップを刻むか
*いかに3人の間の距離を詰めて、隊列を守るかがカギ
というところが、体格差があっても、実力差があっても、団体となれば、その”みんなの力の集合”という部分に焦点をあてたら日本以上の国はない!ってところにいたく感激したのでした。




パシュートの時速は約50kmらしいです。
これって、普通に公道を走っているときの車の速度とほぼ同じですよね。
解説の方がこうおっしゃっていました。
「では、車に乗っているとき、窓をあけて、少し腕を出してみてください。すごい風圧を感じるでしょう? それと同じものをこの先頭の選手は受けているわけです。
そしてその先頭が受けている風圧をその後ろに居る者が、くっついて走り、上手に受けないようにすることですごく楽になり実力以上の楽さで走れるという意味がおわかりでしょうか。」
この解説、すごくわかりやすかったです。
だから1番タイムのいい高木美帆選手が半周先頭に立つのを増やしたことによって日本は金メダルを獲得できた、という部分もありましょうが、その負担たるや車の窓から腕を出したときの感覚・・を思い出したらすごいことなんだなぁ、と改めて高木美帆選手の怪物ぶりを思いました。





さて平昌オリンピックの蔭になってしまったような印象が少しありますが、それでも結構ニュースになりました、羽生名人に公式戦で中学生の藤井五段が勝ち、その後の優勝決定戦でも勝ち、史上最年少で六段に昇格が決まった、という話です。
新聞ではちょうどフィギュアの羽生選手が金メダルを獲った日と確か同じ日のことでしたから次の日の新聞には
「羽生(はにゅう)勝って、羽生(はぶ)負ける」
というわかりにくい見出しが載ったりしましたね。



私は将棋のことはまったくわかりません。
ルールさえ知りません。
こんなに話題になっているのだから少しは興味湧いたな、もありません(笑)
ですから将棋自体のことで気付いたことではないんですが、前から「どうして?」と気になっていたことがありました。
それは将棋では自ら「負けました」と言いますね。
今回の羽生名人と藤井五段の試合でも、負けの色が濃厚になってきたとき、羽生名人の手がぶるぶると震えている様子が映し出されていました。
もう「これは・・ 俺は・・・ 負けるぞ、ひょっとしたら・・・!」という屈辱に震えているのかと思ったら、羽生名人は自分が「勝つ」という予感を覚えたときにも手が震えることで有名だそうで、とにかくクライマックスに差し掛かると震える方なんですね。



ともあれ、「負けました」と自ら宣言するあれは何でだろう? と不思議に思っていたんです。
時間短縮のためかな、とか思ってました。
公式の眼ではまだ完全に負けとはいかなくても、やっている当人にだけにはもうこれ以上やってもムダ、ここから巻き返すことなんて俺にはできない、とわかっているなら先に宣言してもらっていいよ~というような。
で、ネットで検索してみました。
んで、その謎がとけました。
そいでもって、感動しました。
それは「日本将棋連盟」のHPです。



そこにはちゃあ~んと「負けましたから得られる成長」というコラムがありました。
そこにはこういうことが書かれていました。
まず、将棋には3礼と言われるものが存在します。
それは、
「始まりの礼」としての「お願いします」
「負けの宣言の礼」としての「負けました」
「終わりの礼」としての「ありがとうございました」
です。
この中にもちゃあ~んと「負けました」は1つの礼としてれっきとして存在するんですね。
これは、将棋が「柔道」や「剣道」など「道」とつくものと同じように「型」から入ることによって心に気付かせる、というかたちをとっているものだからだ、ということです。



で、どうして自ら「負けました」と言うのか?
それはこの将棋連盟のHPにはこう書かれています。
「良く保護者から『子どもに宿題をやらせるにはどうしたらいいですか?』と質問されることがあります。そのときには子どもに自ら『これから宿題をやります』と宣言させてください、とアドバイスします。その宣言だけで子どもにとって宿題は能動的に取り組むべきものに変わるのです。
 これと同じように『負けました』と能動的に言うことは大切な行為です。敗者が能動的に口に出した瞬間、負けは負けでなくなるのです。悔しい気持ちを折りたたんで『負けました』と口にするのは弱い自分に打ち克ったというあかし、宣言でもあるのです。負けましたは敗者にだけ与えられた特権です。負けを宣言することで、負けた方が勝った方よりも精神的に上にいけるものなのです。だから負けましたと宣言することには意味があるのです。」



なるほどねぇ。
この中の
「負けましたは敗者にだけ与えられた特権です」
という言葉が特に私には沁みました。
なかなか負けることを“特権”とは思えませんからねぇ。
これでいくと、藤井将太くんは最もこの特権を味わえていない人、ということになります。
彼はきっとそのハンデを負って進まねばならない自らのいばらの道を十二分に知っていることでしょう。



実際に子どもはなかなか「負けました」と認めて口に出すことができない子も多いそうです。
悔しくて悔しくて涙をこらえているのに精一杯で言葉が出てこない。
それを回りの観戦している子どもたちもじっと見守ります。
そして絞り出すようにしてようやく
「負けました・・」
と言えた瞬間、観戦者たち、仲間たちがどっと駆け寄り、その子どもに「よくやった」と言ったり、「次がんばろうね」と言ったり、「ここが差し違えたんだよ。ここでミスらなかったら勝てたよ」などと言葉をかけるそうです。
そうなんですよね、敗者が「負け」を認めない限り、周りの人間は「慰める」ことも「健闘をたたえる」こともできないわけです。
その子がどういう気持ち、どういう考えでいるのかわからないから。
でもはっきりと「負け」を認めた瞬間、「よし!」とならばアドバイスしてあげよう、慰めてあげよう、たたえてあげよう、と動けるわけですね。
子どもの頃の1歳ってものすごく大きいです。
小学校4年生のときに小学校5年生の子どもに自分から学校内で声をかけるなんてありえませんでした。
同じ学校に通っている顔見知りだとはわかっていても、ものすごーく年上のような気がしていました。
けれど将棋には年齢は関係ありません。
年上の者が年下の者に「負けました」と言わなくてはならないこともしばしばでしょう。
その悔しさは大人になってからの年齢の差など比ではないのでしょうね。



このコラムは将棋ができるだけうまくなりたい、と始めたばかりの子どもを親としてはどう成長させてあげていったらいいのか、という目線で書かれているので、だいたいが「こう考えたら子どもの成長につながる」という論調になっています。
だから純粋に私が最初に感じた「将棋ってどうして自ら負けました、って言うんだろう?」というその起源という話からは少し論点がずれたかもしれません。
しかし、思わぬ気付きを得て、もうけたなぁ、という気になりました。
この「負けました」宣言については、私なりにもう少し考えたことがあるのですが、それはまた明日にでも。

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