先月の末ごろ、ジャズボーカリストの綾戸智絵さんが突然倒れて、コンサートも急遽中止になる、ということがありました。
私は綾戸さんが大好きです。
コンサートにも数回行きました。
だから、ことのほか気を揉み、早く回復されることを願っていました。
でも、このニュースは結構憶測を呼びましたね。
「綾戸さんがお母さんの介護に疲れて、自暴自棄になったのではないか。」とか、精神安定剤の多用による意識障害だった、ということもあり、「いや、あれは自殺だったのではないか。」というものまで。
そんな暗い噂がついてまわるようでは綾戸智絵のイメージにかかわる、と事務所も思ったのか、えらく早い段階でベッドから綾戸さんの「大丈夫ですよ~」というコメントが発表されたりもしました。
そして入院騒動があってから1週間、無事、綾戸さんは復帰コンサートをしました。
そこで綾戸さんは、
「母親の介護のせいで、私がまいってしまった、という報道がありましたが、違うんです。息子のこと、自分のこと、母親のことやらいろいろで24時間を上手に使うコントロールができなかっただけです。私のせいです。」
「皆さんに歌って~、息子にご飯作って~、お母さんにこれ助けて~と求められることが私の生きがいです。だから、皆さんに歌って、と言われ続けるかぎり、私は歌っていきます。」と語りました。
そして後日。
またこの様子がワイドショーで取り上げられ、あるレポーターが、気の毒そうにこう言いました。
「綾戸さんはそう言ってますけど、やっぱり違うと思いますよ。介護はすごく大変なものだし、綾戸さん自身も、子宮がんになったり、顔面の歪みを直す薬を飲んだり、薬漬けですからね。元気そうに見せてるけど、本当に健康運のない人でかわいそうです。」
これを聞いて私は、う~ん、ちょっと違うと思うな、と思いました。
綾戸さんが、病気ばかりするからかわいそうだ、とか健康運がないというのは違う、と思ったのです。
「健康」とは、崩れたバランスを元に戻そうとする力のことだ、と思うからです。
つまり、健康であるから病気になるのです。死んだ人は病気になりません。
健康とは病気にならないことではなくて、病気になっても、元に戻ろうとする力のことだと思うのです。
健康とは生き物としての生き方を全うする、と言うことだと思います。決して、常に一定の恒常性を保つことではありません。
だから女性は常に若くありたい、とは思いますが(あ、男性も思うか。差別しちゃったわ。)、そのためにありとあらゆる人工的な手段を使って、60歳になっても70歳になってもハタチのように見える、というアンチエイジングはいかがなものか、と思います。
60歳になっても、60歳としての健康、70歳になれば70歳としての健康と言うものがあると思うのです。
だから、綾戸さんがいろんな病気や症状に見舞われても、常に元に戻ろうとする力を発揮し、げんに元にもどってきている(これをまさに“元気”というのでしょう)、ということは彼女は非常に健康であり、健康運にもついている、と思うのです。
皆さんは「運」の正体は何だと思いますか?
私は「運」の正体とは、情報を持った燃料のようなものだ、と思います。
だからガソリン(=運)がせっかく目の前にあっても、自分がアクセルを踏まなかったり、どこに行きたいのか目的地がわからない人にとっては宝の持ち腐れです。
燃料は使わなければ錆び付いて腐ってしまいます。
だから「運がよくなってきた」「私にも運が向いてきたわ。」というのは、自分にとっての目的地がわかり、「一番近道を自然に選び、ぐんぐん加速力をつけて走っている」ということです。
「良い運とは人生の近道であり、不運とは回り道、あてのない道である」ともいえます。
まぁ、多少はハンドルにもアソビがあるように、近道ばっかりもつまらないから寄り道していこう、とかちょっとお休み~とかはいいと思うんですけどね。
私自身はといえば、その寄り道が目的地と関連するような楽しいことにつながりそうだ、と思えば寄り道もしたいですが、そうでなくてそのときの自分には興味がない分野だったり、単なる休憩ということだとしたら、別にいらない、というタイプです。
もう、一刻も早く目的地に着きたい(笑)
そんな私がオーラソーマと出会うまでは目的地がみつからなかったので、ずいぶん長い放浪をしました。
その長い放浪もまた今の私をつくってくれたのだ、というと美しいですが、まぁ、何年も何年もあてのない放浪をして辛かったですね。
そんな私がオーラソーマと出会い、活き活きと輝き始めたのと同時に今のダーリンとも出会い、もっと「オーラソーマ」という目的地に向かって一直線に突っ走りたいのだけれど、ダーリンとの生活も大切、・・だからなかなか自分ひとりのときのように思うように前へ進めない、とちょっと焦ったときもありましたが、まぁ、「運」は腐らない程度にエンジンかければ普通走行はできるのでちょっとスピードは落とし気味にして、と、ダーリンとの生活は「幸運」なのだから、幸運とは「それに浸ることのできる力」なのだから、と言い聞かせて、ちょっとダーリンとの甘い生活にも浸っていることもそれも「力」なんだぞよ、と思っておるわけです。わはは。
すいません。勝手にノロケて、勝手に言い切って、勝手に納得して。
副交感神経をリラックスさせるのが癒しです。
温泉はいっても、テレビの前でゴロゴロするのも、好きな音楽に浸るのも、ドライブ行くのも、映画みるのも、全部癒しです。
そこに「前に進む力」や「自分の人生を開く力」がないのは当たり前です。
戦士の休息よ、と割り切って癒しの時間を楽しめる人はいいですが、毎日が日曜日では、癒しとはなりませんね。
でも、副交感神経をリラックスさせながら、交感神経を活性化させることができるのが“気付き”です。
ふっふっふ。
もう“お気づき”でしょうが、オーラソーマにはその2つが共存いたします。
ボトルを見て選んで癒されながら、そのボトルとワークすることにより気付きも得られるからです。
「癒し」と「気付き」の両方で、開運は自然発生的に起こります。
これが私がクライアントによく言う、「オーラソーマのボトルとワークすることに何の努力もいらないのよ。」ということです。
運とは「生まれるもの」なのです。
三段論法的に言えば、癒しと気付きの両方を備えているオーラソーマを受けていれば、運は自然発生的に開ける、というわけです。
まだオーラソーマのセッションを受けたことはあっても、どうもボトルとワークする気までは起きないんだよね、と言う方、絶対人生損してますって!
是非、ボトルも使ってみてください。
1本めで、かどうかはわかりませんが、一緒にワークしていくうちに必ず“気付き”が訪れます。
あなたの人生に「癒し」と「気付き」の両方を備えてください。
そして、自分の人生の目的地に向かって気持ちよく進んでください。
オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。
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