ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

そのレベルを、私は望んでいません

2019-04-27 09:01:41 | 精神世界

    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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さて、昨日までの振り返りです。
松久正さんの著書を読んで、集合無意識は個人の潜在意識より絶対数が多いのでパワーがある、ということには納得できたし、パラレルワールドの存在にも違和感はなかったけれども、なぜか私はシンクロのようにであったパラレルワールドを経験したという人たちと一緒にいて寂しさを感じてしまった、というところまででした。
それがなぜかと言えば、私たちのもともとのふるさとである五次元の世界がどんなものなのか? についてそういうことなら私はそれを望んでなどいない!と強く思ってしまったからでした。



五次元の世界とは、松久正さんによると半霊半物質の高次元環境だそうです。
そこは、フリーエネルギーを自由に操作でき、反重力で、時間・空間もない愛と調和に満ちた世界。
他者は必要なく、自分ひとりだけで完全に幸福な宇宙。
このことを松久さんは、「霊性地球の幸せの時代」と言っておられます。
幸せというのは、今までなら、お金がたくさんあって欲しいものが買えるとか、ぜいたくをする、愛情をいっぱいうける、地位が高い、などの状態を指すことが多かった。
けれど、この方が言っていることは
「今、ただここに在るだけで完璧」という幸せです。
それは松果体のポータルサイトから宇宙の叡智が入ってきて、全部のDNAが完璧な状態に書き換えられる、ということ。
自分自身が「愛そのもので、幸せそのものである」というDNAに書き換えられること。
脳が満足するだけではなく、魂が満足する世界。



私は以前にその昔、レムリア大陸の人々は高度な文明を持っていて、身体が半透明だった、という説を信じています。
繊細で高度な波動になればなるほど、現在の私たちの目には見えにくくなることは明らかだからです。
そして、地球だからこそ空間と時間の概念があるのであって、ほかの星であれば、あるいは次元の違う星であれば、そんなものは存在しないのだろうな、ということも理屈ではわかります。
でも、それはなんとなく自分と合うかそぐわないかという感覚の問題であって、理論が科学的に正しいかどうかの検証が大切だとは思っていません。
私はこの部分についてはなんとなくその通りだろうな、と思っただけです。
しかし、これまで私は、もっと魂の望むことが実現するような世界だったらいいな、とかそれは肉体の苦しみのない世界なんだろうな、とは漠然と思ってはいたものの、改めて「他者がまったく介在せず、自分ひとりだけで完全にととのった幸福の世界」と言われるととまどってしまいました。
総論賛成各論反対みたいな感覚です。
ちょっと待ってよ、私はそれを望んではいません、だってそれはもう神の領域ではないですか。
あまりにも崇高すぎる。
今のままの心、感情をもったままでそういう世界に行くのだとしたら、それは寂しすぎる、それは耐えられない、
そう思ってしまいました。
もし逆に五次元の世界に行った私たちなら、もうそれを寂しいと感じる現生と同じような心や感情も持ち合わせなくなるのかもしれない。
それはそれでやはり寂しい。
いずれにしても私はそんなものを目指してもいなければ、求めてもいない。



それは厳然たるものでした。
絶対的なものでした。
そうであれば、私はいったい今まで何をやってきたのだろう? とわけがわからなくなってしまいました。
まがりなりにも自分の魂がより次元の高い場所を目指していることを見つめていくことが楽しいことだ、心が浮き立つようなことだ、と思ってきました。
でも、私自身がそんな場所は求めていないのだとしたら・・?
どうやら私はもっと泥臭い世界を望んでいるらしい・・
いや、もっともっと魂の道を究めたら本気で、それを望むようになるのかもしれない。
けれども少なくとも今、現在の私の理解度では望んでいないことが明確になった。
私はこの先、どこへ進めばいいのだろう・・?
魂が迷子になったような気分になってしまいました。
そんなことで悶々とした気分になっていたときに、パラレルワールドのことを語る人々と偶然出会ったのですが、そこでも
「なんだか、ここは私の居場所ではない・・」
という気持ちになってしまい、そういう気分になったことによってますます、私はやはり崇高な五次元の世界に早く行きたい、と思っているわけでもなんでもないのだ、ということが明白になった、と思ったのでした。



それは私を一気に現実的なものの考え方に引き戻すようなインパクトがありました。
よくいくらスピリチュアルなことをやっていても、地に足つけて生きる必要がある、とか言いますが、それはそんなレベルのことではありませんでした。
私が小さい頃から青春時代を経て育ってきた高度成長時代の考え方を今一度踏襲するようなものとして私に戻ってきた感じがしました。
そんなことを感じていたからでしょうか、余計にメディアを見ていても、そんな部分が浮き上がって自分に迫ってくるような感じがしました。
例えばある朝、テレビをつけていたら真矢みきさんと元サッカー選手の中田英寿さんが対談しているコーナーがあったのですが、そこで中田さんが、
「楽しい日々なんて後でそんなもの、振り返ったとき覚えてます?」
と半笑いしながら真矢さんに問いかけ返したシーンがありました。
彼の深い真意はわかりません。
ただ、中田さんが
「ムダに苦労したりするより、できるだけラクにするする~っと行ける方法があるならそれに越したことはない」
などと辛いことや苦しいことをできるだけ避けたいなどとは全く思ってらっしゃらないことだけはわかりました。
振り返ったとき覚えていないような日なんて、つまりは人生生きていないようなものと同じではないか、と中田さんは言ったのだ、と思いました。
これは一流アスリートして名をはせた人の特例かもしれません。
なにせ、私のような彼の年齢のほぼ倍生きているようなおばちゃんでさえ、
「苦労は買ってでもしろ」
なんて言葉は死語だと思っていましたから。
でも、このときはあれっ!? と思い、この言葉が沁みました。
多少の(あくまで多少の、ですよ・・)苦労をすることによって、そのあとに感じる喜びがとてつもないものであったとしたなら、やっぱりその方が生きがいのある人生だったってことなのかなぁ、なんて思ったのでした。
そしてますます人生そのものが迷路にはいってしまったような気分になったのでした。






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