ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

人が生きた証

2018-08-15 09:01:48 | 身辺雑事
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  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

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先日、母とダーリンと3人でお墓参りに行きました。
厳密に言うと、母が祖母のお墓参りに行くために私たちに車に乗せて行ってくれないか? だから日にちを合わせないか? と言ってきたので、いいよ、と言って祖母のお墓参りを済ませたあと、母は家に送り届け、私とダーリンだけがダーリンのお父さん(ダーリンの実のお父さんというのはもう亡くなっています。今のお父さんはお母さんの再婚相手)のお墓参りに行こうとしたところ、
「あ、私も一緒に行く。あそこなら1番上の兄がいるはずだから」
と言ったのです。



話がややこしくなってきますが、母の兄弟姉妹はものすごく多くいるのですが、1番上の兄だけが違うお墓に入っているのだ、という。
それはなぜか、と言ったら1番目の兄が早くに病気で死んでしまったとき、そのことをとても嘆いた祖母が一時神道に凝ったことがあるんだとか。
熱心に通っていたある団体があって、その団体が自分ところの信者さんばかりを集めて合同のお墓を建てたんだそうな。
当時、その神道に凝っていた祖母は兄をその合同のお墓に入れたんだけれども、後になって
「あの子だけ別のお墓で可哀想・・」
と言っていた、とのこと。
私はびっくりしました。
そんなこと、初めて聞いたことだったからです。
私がびっくりしたのは、母のお兄さんだけが別のお墓に入っていた、ということよりも、祖母が一時神道に凝っていたことがあった、ということでした。
私が知っている限りの生きているときの祖母は、日本人の多くによくありがちな無宗教という雰囲気で、まぁ、形だけでも浄土真宗にしときますかね、という程度の信仰心しかない、という人に見受けられたからです。
母は、ぽつりと
「そういえば、おばあちゃんてよく、『ほら、あそこに誰それ(亡くなった人のこと)がきている』とか『おまえたちには見えないかもしれないけれど、あそこの色が変わっているのが私には見える』とかそんなことばかり言っていたっけなぁ」
と言うので、それもまたびっくりでした。
祖母は結構、スピリチュアルな人だったのかもしれません。



そして上加納にある墓地につきました。
そこはとても広くて「○号地」「△号地」などと多くの区画が名づけられています。
「どこなの?」
と母に言うと、
「ええっと・・ 駐車場から比較的すぐのところだったはずなのよ。それで、鳥居のようなものが立っていて、その奥にお社のような大きな、お墓じゃないような棟があった」
と言います。
そんなものだったら、一目でわかるはずなのに、そんな大仰な建物はどこにもない。
広い敷地のメインストリートとでも言うような場所はざっと回ってみましたが、全然そのような気配もない。
「お母さん、それ、いつごろの記憶なの?」
と訊くと、
「ええっと、私が小学生くらいの頃だから・・」
と言うので、
「ええっ! だったら今から70年くらいも前の話しじゃないの!」
というと、涼しい顔をして、
「そうだよ。だから、もうそんな昔のものは取り壊されたのかもしれないねぇ」
などと言う。



いやいや、そのあまりにも昔の記憶には驚いたけれども、個人のものなら墓仕舞いということもあるかもしれないけれど、合同で建てられてそれぞれの遺族の方もいらっしゃるでしょうに、勝手にただ古いからなんてことで取り壊されるはずはないじゃないか。
私は業を煮やして、
「ここの事務所に行って聞いてみようよ。何か手がかりがつかめるかもしれない。」
と言い、事務所に行き、お盆なのでたった1人いらっしゃった、その方もおん年70歳は超えていらっしゃるだろう、と思われる温厚そんな紳士に話を聞いてもらいました。
しかし、「鳥居」だの「お墓というより大きな棟のようだった」だの「神道の合同墓」という事には、その方は全く心当たりがないようでした。
「せめてそのもう少し、具体的な神道の団体名とか、そのお墓を作られた人の名前とかはわかりませんか?」
と言っても、母は「それはわからない」と首をかしげるばかり。
こうなってくるとそもそも「駐車場の位置からは近かった」と言っても、小学生程度の体力がありあまっている頃の母にしたら近く感じただけで、実は結構遠かったのかもしれないし、「鳥居」のように見えたのもあくまで小学生の目には“のように”見えただけかもしれない。
もう何もかもが曖昧になってきました。



こちらは
「もう結構ですよ。最初からわからないだろうなぁ、と思ってましたので」
と言っても、その事務所の方のほうが
「いやいや、せっかくいらしたのだから。ぜひともお参りさせて差し上げたいから」
と言ってなかなかあきらめません。
最後には、
「ひょっとすると合同といっても1人1人の名簿が残っているかもしれませんから、そのお兄さんのお名前と当時お住まいだった住所はわかりますか?」
とおっしゃり、それは当然わかることなので、母が伝えると
「ちょっと調べてまいります」
とパソコンで調べるのでしょう、事務所の奥に入って行かれ、ほどなくしてから、
「その住所の方がこの中にお墓は確かに持っておられます。しかし、そのお名前ではないんですねぇ。個人情報にもなりますので、その方のお名前をお教えするわけにはいかないんですが・・ そのお墓の場所までご案内しましょう。何か思い出されるかもしれない。」
と言ってくださいました。
そしてそこへ行ってみましたが、案の定、それはごく普通の個人の方のお墓で合同墓というようなものではありませんでしたし、まったく母の兄の手がかりになるようなものはありませんでした。



「ほんとにお役に立てなくて申し訳ありません。もし、また何かもう少し具体的なことを思い出されたら、またお越しください。」
と丁寧に言っていただき、私たちはその場を後にしました。
結局、母の兄がどこに収められているのか、そもそもこの墓地のどこかにいるのかどうかさえよくわかりませんでしたが、私が思ったのは、人の歴史の儚さでした。
たった70年前に生きていた人の証がどこにも見つけられない。
名前や住所などはわかっているのに、もうその骨や記録さえどこにもない、というこの空虚さ。
人間、死んでしまったらそんなものなのかなぁ、と思いました。
ゆがめられた記憶かもしれませんが、母のなかに兄のことが残っているのが幸いでしたけれども。

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2 コメント

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興味深く読ませていただきました! (カオカオ)
2018-08-15 12:32:39
このままでいくと、私の場合、お墓を持っても面倒をみてもらうことが出来ないので、お墓は持たずに散骨などを選択しようと思っています。


お墓があったとしても、誰か思い出して尋ねてくれるでしょうか…


やはりお墓にはいませんからね。
思い出してもらえるだけで、いいのかな。
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同感です。 (些々羅)
2018-08-16 08:33:23
カオカオ、コメントありがとうございます。

最近は、「墓じまい」が流行ってきてますね。
誰もが昔と違って、先祖代々・・とかいう考え方にはついていけなくなってきているのではないでしょうか。

お墓なんて形のあるものは私もいらないと思っています。
私も面倒をみてもらう人はいないし、仮にいたとしてもそんなお守りを背負わせるつもりはないです。

思い出してもらうための「きっかけ」があるのはいいと思うけれども、それがなにもお墓でなくても、と思います。
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