ある日、いつものようにメールチェックをしていたら、見知らぬ方からのメールが・・
なんとなく直感ですぐに出版社だ、とわかりました。
内容を開いてみると、ビンゴ。
そこには、この夏に刊行する、ある本の出版に向けて、ぜひ私にも参加してもらえませんか?と書かれていました。
テーマは「悩み」だそうです。
何で私が???と思いましたが、そこには担当編集者と名乗る方が、「いろいろとサイトを調べているうちに些々羅さまのものに行き当たり、こういう人の心をわかる方に是非参加していただきたい、と思い・・」と書かれていました。
その方があまたある癒し関係のサイトのなかでわざわざ私のものに行き当たったときに何かを感じ、「これだ!」と思っていただけたのはありがたいことですが、わたしがどんなコンサルテーションをするのかもご存知でないでしょうに、そんな簡単に「本に載りませんか?」って誘いをかけてもいいものなの?とも思います。
そして、「出版に際しては協力費というかたちで若干の費用が必要となりますが・・」とありました。
ふぅむ。
これは、体のいい自費出版めいたもののお誘いなのだろうか?
“若干の費用”というのはどれくらいのものなのだろう?
こんなもの、単なる営業だよ、こういうものにいちいち関わっていたらキリないよとまったく反応せずにうっちゃっておく、という方も大勢いらっしゃるのでしょうが、なぜか私は、その本そのものよりもそのメールを下さった担当編集者と言う方の気持ちはウソ偽りがあるものではない、とその志が真摯なものであると思われたので、ひとまずネットでその出版社のことを調べて見ることにしました。
そうしたら、確かにその出版社は「癒し」関係の本を多く出版している実在のところのようです。
メールの最後には「ご興味がおありでしたら、資料をお送りいたしますので返信ください。」とありました。
興味はあります。
わたしの夢のひとつは、「本を出したい」なんです。
だけど、それには自分に科している条件がありました。
「人に乞われて出すこと」。
それは、とにかく「本というかたちのあるものとして残すこと」をメインの目的にするわけではないので、自分から原稿を書き溜めて自費出版というかたちで本にすることならしない、という意味です。
私がどうしても目の前のかた、マン・ツー・マンという方法だと伝えられることに限界があると痛切に感じ始め、あなたの言うこと、考えていることはもっと大勢の人が必要としている、と人から乞われて初めて出そう、と心に決めていたのでした。
・・・しかし、今回のこれは「乞われている」ことになるのだろうか?と自問自答しました。
人から「あなたの書いたものを見て是非に」と言われた、という意味では「乞われた」ことになりそうです。
しかし、「若干の協力費が必要」というのは自費出版ぽいのでは・・?
ま、この時点では「興味はある」のだから、資料をいただくまではしてみましょ、と思い、その旨を伝えると「早速お送りします。」とまた返事がきました。
で、届いたものを見てみると・・・
「ちなみに昨年わが社が出版した同様の趣旨の本を同封します。」とあり、その本を見てみると、日本全国から70人弱の方が掲載されていました。
それはお一人の方につき、大体8ページから12ページに及ぶもので、その方のセッションについてだけではなく、生い立ちから「なぜ、この世界に目覚めたか」などから書かれているかなりストーリー仕立てのものでした。
ひゃあ。
これだけのページがひとりひとりに割かれていて、“若干”とは・・?と資料のほうをみると、やはり・・・ とんでもないお値段でした。
そこには1/2ページからの値段が記載されているのですが、本を見る限り、全員8ページとか12ページ割かれています。こんななかに急に1/2ページだなんてあまりにお粗末でありえません。
1/2ページのお値段ならまぁ、確かに“若干”かも、というものでしたが、8ページ、12ページとなったら、今の私にはとてもそれは“若干”というものではありませんでした。
これはもう、自分の意志で、自分のサロンをPRしたい、という方が広告代わりに出すような出版物でしょうね。
となると、私の唯一、「本を出す」夢に対して科した「乞われて出す」には該当しないな、と思い、あきらめることにしました。
資料の冒頭に担当編集者の方が直筆で添えられた文章がありました。
それは私がメールで資料をください、と返信したときに「数あるサイトのなかからなにがお眼にとまったのかわかりませんが~」と書いたものに対する返答でした。
「それは、私がもし、悩める人間だったとしたら、些々羅さんのような人にみてもらいたいな、と思ったからにほかなりません。」と記されていました。
私よりはうんと若い女性とみられる、多少丸文字が入ったような字。
忙しいなかそれでも自筆でどうしてもこれだけは書き足しておきたい、と急いで、そのなかで一生懸命丁寧に書こうとしたような字。
今回の話はご縁がありませんでしたが、その言葉が今回の突然の振って沸いたようなエピソードに対する私へのギフトだったな、と思いました。
「あんたってほんとにおめでたいわね。そんなことぐらい誰にだって言うでしょうに。」
「大体、断られることも想定して70人を載せるなら、その10倍も20倍もの人に同じメール送ってるでしょうよ。」
こんな声が聞こえてきそうです。
そのとおりかもしれません。
でもたとえ、「誰にだって言う」ことであっても、日本国中1億2000万人に言うわけではないでしょう。
70人の10倍、20倍であったとしても、全国にはそれ以上の癒し系のサロンがあるでしょう。
そう思うと、やはりこれも1つの出会いだったはずだ、と思えるのです。
そして、その担当編集者の言葉は心からのものだ、と信じられるのです。
そんなことがあった次の日。
今度はB57「パラスアテナ&アイオロス」です。
今年に入って、「クツミ」についで早や2本目。
また、祝福を受けました!
しかも、パラスアテナということは、「芸術面でのヴィーナス」じゃないの!
なんか創作活動に関係してるんじゃないのぉ!
そして、私が毎晩夜な夜なクイントエッセンスで願いごとを唱えながら香りをかいでお世話になっているマスターのボトル。
何かまた願いが叶うのでしょうか?
・・・っていうか、これ、ひょっとしてすでに願いが叶ったということかもしれない。
というのは、今、私はB107「大天使ツァフキエル」を塗り終わり、ようやく今年の最初に選んだボトルのゴールデンスレッド通りに使い始めたところなのです。
その記念すべき1本目がB24「ニューメッセージ」。
確かにニューメッセージが届いたわけです。
そして、この上部がパープル、下部がターコイズのボトルの意味は、「“個”としてどうあるべきか、を奉仕のなかで見出す。」です。
私が「いずれは本を出したい」という“個”としての夢を、奉仕のなかでかなえなさい、ということであれば、やはり今回の出版は奉仕のなかで、ということではなかったから断って正解だったのだ、という気がします。
でも、それによって私はずいぶん考えました。
仮に本を出したとしても、それが全国の書店に並んだとして、北海道や沖縄から岐阜くんだりまでお客様が増えるとは思えません。
だから、たとえば私がこの本に載ったとして「あぁ、この人のサロンに行ってみたいのに遠いからとても行けないわ。」と思ってくださった方のために、私ができることはないだろうか、とメニューについてああでもない、こうでもない、と考えたりするシミュレーションの機会に恵まれました。
そしてアイデアが沸いたりしました。
これはすでに願いが叶った、という意味なのではないでしょうか、と思った次第です。
・・・でも、もう、いいよ。割れるのは。
ボトルたち、ひそかに祝福してくれたまえ。私も生活かかってるからね。
オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。
刻々と予約状況が変わるため、まずはメールにてご希望の日時をお聞かせください。
場所は、名鉄岐阜駅から徒歩5,6分のところです。(駐車場1台分有)
メルアドは
http://houken.de-blog.jp/sasarasaron/
に入っていただいて、「プロフィール」の欄を見ていただくと、載っています。
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