ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

無理強いしないことが大切

2008-08-03 07:02:09 | 身辺雑事

 お昼にいつも行く定食屋さんに行くと今日の日替りランチは魚のフライでした。
すると一緒に行った会社の人が、お店の人が付け合せのレタスにサザンアイランドっぽいドレッシングをかけるのをみて「あ、すみません。マヨネーズやめといてもらえますか?」と言いました。
お店の人はちょっと迷惑そうな、ちょっと不思議そうな顔をして
「は? マヨネーズじゃなくて、ドレッシングですけど」と言いました。
会社の人は言い直して「あ、はい。そのドレッシング止めてもらえますか。苦手なんで・・」。
するとお店の人はかすかにうなづいて無言でした。


これって、あなたはどう思いますか?


私は、毎号「ビックコミックオリジナル」を読んでいて(おっさんやなー!って? なんとでも言ってくれぃ。あのなかの「風の大地」が特に好きなんです)、たまたまそのなかにそれによく似たシーンが出てきたので、印象深かったんです。
「ビックコミックオリジナル」のシーンとは、「蔵人」というタイトルの漫画のなかで、本格焼酎を置いている店でお客さまが「焼酎に梅いれて」と注文したとき
「え・・この焼酎はこれだけでおいしいので梅はいれないほうが・・」とお店の人が言うと、
「うるさいなぁ。俺は焼酎に梅を入れて飲むのが好きなんだ。じゃあ、焼酎と梅をくれ。こっちで勝手に入れるから」というものです。
そして、おだしするとき、もう一度店の人が「あの、やはりこれはいれないほうが・・」ともう一度言うと、
おしつけはやめてくれよ!」と聞き入れてもらえず、心の中で「おしつけじゃないでしょ。おすすめでしょ」と毒づくのです。
主人公のこのお店の人はそのあとも悶々と悩み、自分が師とあおぐ店に飲みにでかけます。
そこの主人は「納得のいかないサービスは絶対にしない。うちなら梅入り焼酎は絶対お断わりする」というようなことを言います。
そして、店のスタッフが、「でも、それでお客様が怒ってしまわれたら?」と心配すると、
そこが私たちの腕みせどころだわ。お断わりしてもお客様が不機嫌にならないおもてなしを考えましょう。」と言うのです。


そう!これだ、と私は思いました。「おもてなしの心」。これが今、一番欠けているものではないか、と。


最初の定食屋さんの例にもどると、私は横でその時は考え込んでいました。
こういうことって、お店のグレードで決めることなのかなあ(高級そうな店ではカンペキな料理がでてくるはずだからお客は文句いっちゃだめ、とか)とか、「その料理の味を完全にそこなうようなものならともかく、付け合せの野菜くらいのことならうるさくいわなくてもいいのに」とか「好き嫌いの1つやふたつ、あってもしようがないんだからお客が要望すればそれくらいのこと快くやってあげてもいいんじゃないのぉ」とか。



  こう考えると、基準作りが必要ということになります。「ミシュランで☆をもらった店では言ってはいけません、それ以外はok」とか、「店のテーブルに調味料が出ていないお店は調理場でカンペキな味付けにしてあるということだから調味料を要求してはいけない」とか。こういったわかりやすい基準を示してあげる必要があるんだろうか、というようなことをボンヤリ頭の中で考えていました。

  でも、なんとなくスッキリしないというか、不快感が残ったんです。

  その時、先ほどの漫画を思い出して、「そうだ!おもてなしの心だ」と思いつきました。


あのとき、私がなぜ不快だったのか。それはやはり、お店の人の態度にありました。「マヨネーズやめてください。」といったとき「は?これ、ドレッシングですけど」という答えはもはや、サービス業としては失格です。
そもそもお店はお客さまのおっしゃることを言い換えたり、真っ向から否定してはいけないんです。
お客さまが「桃色のこれだけど・・」とおっっしゃったのを「ああ、こちらのピンクのことですね。」と言い換えたり、
たとえお客さまの言うことがホントウに間違っていたというような今日のマヨネーズとドレッシングのことにしてもそれを正してはいけません。
だって、そこから何か建設的なものが生まれますか?
 ただ、お客さまは「正された」という恥ずかしい思いが残るだけです。
どうしても「ドレッシング」と言い直したかったのなら、「マヨネーズやめてください。」といわれたとき、
はい、こちらのドレッシングのことですね?」と「はい」と一度肯定のように受けるだけで印象は全然違います。
ましてや、今日のことでいえば、目の前のカウンターで作るところを見ていっているのですから、それを指して言っているのは間違いないんです。「ドレッシング」を「マヨネーズ」と言おうがなんだろうが。



そして、ふと「おもてなしの心」に気付いたのです。お客さまを自分にとって大切な人だ、と思ったときそんな言い方が出るかどうかをよく考えてみて欲しい。大切な人だったら、一生懸命気を回して「こうしたら気に入ってくれるかな」「ああしたら喜んでくれるかな」とか工夫を考えるはずです。
そこにただ、お金と商品を交換する相手、という無機質な感情が入り込まない余地をつくると受け答えも無機質なものになる、というだけのことだ、と。

「基準」とかなにかのたいそうな問題ではない、と。


 

  「おもてなしの心」とは「相手を思いやる心」です。


オーラソーマではそれを非常に大切にしますので、「オーラソーマは、無理強いしないシステム」とも呼ばれています。



私が最初にオーラソーマに惹かれたひとつにこの「無理強いしない」ということも非常に大きな要素のひとつでした。

  「2番目のギフト&チャレンジボトルとワークするのがいいけれど、無理強いはしない。クライアントがほかに使ってみたい、と思うボトルがあるならばそちらを優先する。」

  「ボトルはどこに塗るの?」「それぞれのボトルにはここに塗るとよい、という指定された場所がある物もあるけれど、大方は決め付けない。ワークする人がここに塗りたいというインスピレーションを大切にすればよい」

   

  「どのくらいの量を塗ればいいの?」「それもインスピレーションで。だからボトルの中身が無くなる速度は人それぞれ。何週間という人もいれば、半年、という人もいる。それでいいの。その人のペースで気付きが生まれるんだから。」

  「次いつコンサルテーションを受けるのがいいの?」「ボトルの中身が無くなったら、だけど、その前にコンサルテーションだけ受けたくなったらもちろん来てもらってまたボトルを選んでもらっていいし、自由l」

  なんだかただの放任主義という気がしないでもないですが(笑)、
放任主義との違いは、ほうりっぱなしの自由にしっぱなし、というのではなく、相手の意志にゆだねた上でちゃあ~んと受皿は用意している、という点です。つまり、親が自立するまでの子供を見守るようなもんでしょうか(笑)

  これが思いやりやおもてなしの心でなくてなんでしょう!

 私はこのオーラソーマの「無理強いしないシステム」が大好きです。

(そのおかげでずいぶん性格はダラダラになった気がしないでもないですが・・)


話は戻りますが、料理のことで言えば、私は個人的には以下のシーンが一番好きです。

ヒッチコックだか、チャップリンだったか、あるいはまったく別のなにかだったか忘れましたが、古い昔の映画のシーンで、ホテルに投宿しているお客が、ホテル側が出した料理に難癖をつけます。すると、ホテルのマネージャーがスタッフこう言い聞かせるシーンがあるんです。

「いいか。お客のいうとおりにしてやれ。客がトーストに靴クリームを塗ってくれ、といえば、そうしてやるんだ。それで、たっぷり金をとってやればいい。」

はは。なんだか胸がすーっとした一言でしたことよ。


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