ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

サービスの極意

2013-10-24 09:07:00 | 接客

さる18日、九州を巡る超豪華列車「七つ星」の運行が始まりました。

三泊四日で39万1000円~、一番ゴージャスなデラックススイートのお部屋は56万だかだそうです。(もちろん、1名のお値段ですよ・・)

オリエンタル急行は1泊で29万だかだそうなので、それに比べたら安いもんだ、と言ってらっしゃる方もいましたが、何と比べるかは人それぞれですね~

私なんて39万あれば4日どころか1ヶ月暮らせるな~とかそんなことを考えちゃいました。(・・・いや、2ヶ月暮らせるか)

そんな考え方をする庶民なんか相手にしてねぇぜ! って言われそうです。

いいも~ん、相手にされなくたって。

どっちみち列車の旅に興味ないしぃ。

いや、強がりじゃなくて私は「移動の手段」自体をゆったりと楽しめばいいじゃない、という旅にいっさい興味がない。

出来るだけ早く目的地についてそこでのんびりしたい、という派です。(だから、デブ・オーラに行くこともすごいストレスなんだよねぇ・・)

だからのんびりゆったり豪華客船の旅なんてのもま~ったく興味がない。

第一、見渡す限り海なんでしょ。

何日も何日も波間を見ていてどうすんの、なんて思っちゃう。

もともとあんまり海を眺める、ということに興味がないんですね。

川や湖のほうがうんと好き。

願わくば岸辺が見えるようなぐるりと一周見渡せるぐらいの規模の小さなものが好ましい。

ま、そんな私の好みはさておいて、と。

先日テレビでこの「七つ星」が運行にいたるまでのサービススタッフの1年にわたる訓練の様子をやっていました。

さすが五つ星を通り越し、七つ星と名づけただけの超高級列車だけあって、集められたスタッフも超一流。

そんじょそこいらに「アルバイト・パート募集」とビラを張り出して応募してきた人を採用、なんて過程で集められた人ではありません。

すでに一流のサービスを提供していたところに勤めていた人たちをヘッドハンティングしてきた方たちばかりです。

つまり、サービスのツワモノの集まり。

それでも1年に渡るサービスの講習のなかでは彼ら、彼女らはいっぱい指導の方に叱られていました。

「甘い! どうして出来ていないことを指摘されてへらへら笑ってるんだ! 緊張感が足りない。」

「さっき、ワイングラスを割ったよな。こんなミスもたまにはあるさ、みたいな顔をなんでしてんだよ? これがお客さまが乗車されてたときだったら取り返しがつかないことだぞ? そのお客さまにとってはこの旅の思い出は最悪のものとして残るだろう。そのことに対して、お前、責任とれるのか! 」

などなど・・・

そんななかで心に残ったことがあります。

厳しいトレーニングの最後、彼ら、彼女たちは成長しました。

列車は当然ものすごく内装も凝って作られているので、ほとんどのドアやワクなどが金メッキが施されています。

ということは・・

そこに人が指を触れただけで、くっきりと指紋が残るほどに跡がついているのです。

誰に言われたわけでもなく、列車じゅうを見回り、ひとつひとつの指紋を丁寧にふき取っていく1人のクルー。

「わたし、気付いたんです。サービスっていうのは直接お客さまと対峙したときに発揮するものだけではなくて、むしろお客さまが七つ星のなかでリラックスしてかつ1ランク上だなぁと気持ちよくお過ごしいただけるための空間の維持がまずは一番先決だなぁ、ってことに。」と彼女は言いました。

こちらから「どうです! このサービス、すごいでしょう。」とアピールするようなことではなく、お客さまのためにさりげなく心配りが出来ている空間を提供する事。

それは彼女たちが訓練の途中で訪れた、ある温泉地の老舗旅館の女将も言っていたことです。

そこでは古民家を移築して、お料理も昔ながらのかまどを使って作っていました。

その厨房を見ているだけでもステキ~!と声をあげたくなるようなものでした。

実際、一流でない旅館ならばそれをわざとオープンに見えるような設計にするとか、見えることを“売り”にしたりするのでしょう。

けれどその女将は、

「このかまどが見えなくても、このあたりを通りかかったお客さまが薪が燃えるパチパチという音を耳にして、あぁ、おいしそうなご飯がいただけそうだ・・と思ってもらうのもサービスの1つだと考えております。サービスは音までもがサービスで五感全体で提供するものだと思うからです。」とおっしゃっていました。


この旅館では、客室の通路にさりげなく桶に冷やした高級シェリー酒が置いてあり、

「どうぞご自由にお召し上がりください。」と書いてありました。

お風呂場からあがったところで、旅館のスタッフが立っていて冷たいお茶を提供してくれる、というのもサービスですが、こうして高級なものをあえて目立たないように、客が押し付けがましいと気ぶっせいに感じないようにするというのも配慮だなぁ、と思いました。


さて、そして七つ星の話に戻りますが、この列車をデザインしたデザイナーの方がいらっしゃいまして、当然、こうデザインしたのはこういう意図があってからのことだ、とか、こう使ってほしい、というものをお持ちです。

だからこの方がサービスの先生でもあるみたいな感じでした。


それで列車の通路のはしばしには通路灯のようなものがついているのですが、そのデザインは、電球を格子のようなカバーが覆っているちょっとモダン和風なものでした。

それは誰がみてもあぁ、デザインの一環だよね、という感じでした。

それをそのデザイナーの方は、ある森へ行って、ほんとうに枝ぶりのよい木の枝だけを厳選し、その格子の間にちょんちょんと刺していきました。

さらに列車に命が吹き込まれた、という感じになりました。

クルーはそれを見て、「なるほど~ これがサービスですね・・ この土地に来てしか味わえない、九州に来てしか見ることのできない木の枝をこうして飾るなんて・・ 思いつきませんでした。」と言いました。


これは、彼らのサービスマニュアルにあることではありません。

1年にも及ぶ間、マニュアルにそった訓練に訓練を重ね、そして最後に行き着いたところが、マニュアルには載っていないおもてなしがいかに出来るか、という余地、余白を残してあるからね、あとはそれを完成させるのはキミ達だよ、という心憎い演出。

接客の研修ではよく「マニュアルに頼っているようではダメだ。本当のおもてなしは心だよ。」なんて軽々しく言ったりしますが、そんなものをたかが1時間かそこいらの研修で講師が話したから、といってスタッフたちの心に響くことではありません。

「そりゃあそうだよね。で?」ってな感じです。

“当たり前”のことだったり、さらりと言われたら聞き流してしまうような“心”の問題を本当に自分のなかで醸成して行動に移せるようになるには、徹底した訓練あってこそだ、と思いました。

そしてまた、それを本当に心に染み入るサービスだったなぁ、と受け取れる客のほうにもそれなりの心の訓練を経てきた方でないと感じられないものだ、と思います。

先述した老舗旅館の例とて、心無い客なれば、パチパチという薪の音が聞こえてきても「あぁ、腹へってきたなぁ。」とか「ふぅ~ん、ここは薪でご飯たいてるんだ。昔ながらのやり方なんだね。」で終わりかもしれません。

シェリー酒が置いてあるのをみても、「おっ、これは高級な酒だぜ。ラッキー! へへ、ここでしこたま飲んでいってやろう。」と思うだけかもしれません。

高級なサービスには、やはりそれにこたえてあげられるだけの心の訓練を経てきた客であってほしいものです。

そういうことが長い歴史のなかでヨーロッパではまだしも培われているような気がします。

そのお代を支払いさえすれば誰だっていいんだろ、というものではない、というものが。

けれど、日本では「ひゃあー! 39万かぁ。高いけれど一生に一度の贅沢だと思って乗ってみるかぁ。」と、なんとかそのお金さえひねりだせれば誰かれかまわずチケットを手にする、というところがあると思います。


実はわたし、少し前にこの列車の旅を母から誘われました。

「お金はこっちで出すから。」と言われて。

「なんで?」と聞くと、どうやら父親とふたりで行こうと計画していたらしいのですが、父親の体調に不安が出たため、それでもどうしても母は乗ってみたかったのでしょう。

あきらめきれずに、父がダメなら私はどうだ?と思ったようなのです。


丁重にお断りしました。

それは冒頭でも述べたように私は移動手段である列車や船のなかで過ごすことが今回の旅の一番の醍醐味、というような旅そのものに興味がないからです。

そしてそれ以上に、その豪華さのなかでいかにお客さまがリラックスして過ごしていただけるかに全神経を注いでいる訓練されたスタッフのサービスに応えるだけの自分に“格”が備わっていないから、です。

例えば見事なお料理を提供されて、

「きゃ~! すごぉい! これ、ステキ。ね、ね、ちょっと写メ撮るね。」なんてことはどうにも似つかわしくないことに思える。

けれどゆったりと構え、にっこりと微笑み、一言、「ありがとう。」と言う、なんてのも普段のわたしからしたらなんか違うんだよな~と思うと、この列車に乗ることでくつろげない、むしろ自分を「おまえはホンモノの一流のなかにいることにふさわしい人間なのか。」とテストを受け続けているような気になって、疲れてしまう、落ち込んでしまうなんてことになるような気がしたからです。


一生に一度、なんてことは私は高価なお金を払ってするお仕着せの旅には求めない。

母はそうしたければ、そこに何の違和感もなければ行けばいいけれど。

だから、

「悪いけど、私は行かないわ。誰か気の合うお友だちを誘ったら?」と言いました。

私がなぜ行かないのか、こっちがお金出してやる、って言ってるのに、と母を不機嫌にさせたかもしれません。

どちらにしても私の真意が伝わっていないことは間違いないでしょう。

仕方ないやね。


戦後の激動の時代を生きてきて、いまようやっと自分の好きなことにお金を使える、先行きも長くないし、という母がどういう選択をしようとそれは違う、と言うつもりはありませんし、是非楽しんでほしいと思いっています。






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