ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「は? それは私のせいじゃありませんから」

2018-08-20 09:01:18 | 接客

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オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
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「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
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携帯の受信状況がよくなくて、常に、ではないのですが、電話がかかってきたときに相手の通話がブチブチ寸断されるようなときがあるので、修理に出さざるを得ないのかを携帯ショップに持って行き、聞いてみようと出かけました。
まぁ、その説明は聞き終え、とりあえずもう少し様子をみようということなり、さて、と、
「あの、すみません。ついでと言っちゃあ、申し訳ありませんが、ちょっとお尋ねしていいですか?」
と私はメールの削除の仕方について聞きました。
迷惑メールが毎日いっぱい入ってきて、それらは開けることもなくまとめて削除したいのだけれども、どうも今回の携帯ではまとめて選択ということをどうやったら出来るのかがわからないのです。
それでちまちまと1件ずつ削除していました。
でももちろん面倒くさいので、まとめて出来るやり方をこの際教えてもらおう、と思ったのです。



そうしたらその担当者は、
「え? こうやるだけですよ?」
と選択したいメールにチェックを入れるために長押ししました。
けれど、やはりできませんでした。
するとその担当者は、
「なんか長押しがうまく反応していないのかもしれませんね」
と言い、なんとその会話はそれだけで終わってしまいました。
“やり方”としては、長押しして選択する、ってだけのこと。
けれどそれが今できないのは、その機種か個体のせいであり、“やり方”を教えた僕の仕事はそれで終わったからね、ってそれがどこ吹く風、って感じでした。



私はちょっとびっくりしました。
そこで買った携帯が調子が悪いとなれば、何とかして直してあげようとするのが普通なんじゃないですか。
あわよくばそこは販売代理店であり、大手通信会社そのものの経営でなかったのだとしても
「それはうちのせいではないですね~ ちょっとそういう個体のクセっていうか、調子悪いものもありますねぇ」
で済ませていいものなんですか?



たまたま私がそこへ行ったメインの用事が「修理」であり、修理に関しては直接通信会社のそれ専門の部署へ送っていただくしかないですね、という話だったものですから、よけいにこの携帯ショップがどこまで面倒を見るのが普通のことで、それ以上のことを言われましてもこちらとしては対処いたしかねます、ということなのかが見えなくなっていた、というのもありますが。
明らかにこのときのこの担当者の態度は、
「それ以上を私に求められましても? 私が何か悪いことをしたわけでもありませんし、それ、わたしのせいじゃないんで」
という感じ丸出しでした。



さて、話は変わりますが、そのあと私はランチを食べに行きました。
そのときのイタリアンレストランで、また同じような光景を目にしました。
“同じような”というのは「どこまでが私のせい?」という点についてです。
私の後ろのテーブルの老夫婦が
「すみません」
とホール係を呼び止めました。
「はい?」
「これ、中に虫が入っていたよ」
と水の入ったコップを差し出しました。
するとそのホール係はまじまじとそれを確かめるようにコップの中身をのぞいたあと、確かに虫を確認したのでしょう、黙って厨房に消えました。
そして、別のコップにお水を入れたものを持って現れ、黙ってテーブルに置きながら、
「こちらでよろしいでしょうか?」
と言いました。
老夫婦はとくに気分を害した様子もなく、
「はいはい」
と言って受け取りましたが、私はやっぱりびっくりしました。



私としては、レストランという飲食業が虫が入ったものをお客様に出したという時点で、ただ取り換えればいい、というレベルの話ではない、と思っていました。
どうやって謝罪をするのか、お代は結構ですよ、ということになるのか、どうするんだろう?と思い、ひそかに耳をそばだてていたんです。
それが単に水を取り替えて終わり?
しかも、いっさいの謝罪もなく。
ハイ、言われたとおり取り換えましたよ~ これでいいですね、で終わり?
きっとそのホール係は最初にそのテーブルに水を出した人ではなかったのでしょう。
けれど、そういう問題じゃない。
そのお店を信頼して食事をしに来た人を落胆させることになったことについて、大きく“その店側に所属する者”として謝罪する、という発想はないのだな、ということに驚きました。
そんなことをもしこのときのホール係に言ったとしたら、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、
「はい? なぜ私が謝ったりしなくちゃならないんですか?」
と言うんでしょうね。



そしてこのとき同時に私は、
「あぁ、時代が変わったのだな」
と思いました。
“時代が変わった”などという言い方で済ませることはあまりにお手軽で好きじゃありません。
でもそういう言い方しか思い浮かばない。
これまでにも携帯ショップの対応にせよ、レストランの対応にせよ、このような対応をする店や人に出くわしたことがなかったわけではありません。
けれど、たまたまこの日は連続して出くわすことになったからなのか、なにか完全に私の常識とは違う常識をもった人たちの方が大勢を占める世の中になったのだな、ということを皮膚感覚として察知したのでした。



私が接客講師をしていたときには、
「いい? 『すみません』と言うことは、その時点でこちら側に非がある、と認めたということではないのよ。『すまない』とは『澄まない』という字を当てていた時代もあったということです。つまり、平安だった相手の心に波風が立ってしまった。あなたの心をそういう状態にしてしまったことについて、心が澄まない状態になってしまいましたねぇ、『すみません』と言うのよ」
と教えてきました。
つまり、私に責任があるわけじゃない→だから謝らない、ではなくて、相手の心が波風が立つ状態になってしまっていることについて気の毒だなぁ、という謝意を表しなさい、と言ってきたわけです。
それは相手の立場、相手の身になってあげなさい、ということでもありました。
けれど、そういう時代じゃない。
私には私の役目、仕事がある。
それを果たすだけ。
そのお客様が求めていることすべてに対応するのが仕事じゃない。
そこはきちんと線引きしないとどこどこまでも付け込まれる恐れがある。
だから、たとえお客様であろうと「それはできない」「それは私のせいではない」ということをまずは明白にすべき、と考えている人がいかに多い世の中になったのか、と思ったのです。
ひょっとすると自然にそう考える人が多くなったわけではなくて、各企業では実際にそういう接客の基本を教えているのかもしれません。



これからは「サービス」というものはどんどん値が張るものとなることでしょう。
なぜならそれは「こちらに落ち度があろうとなかろうと、常にお客様本位に立って対応をする」ことだ、と考える提供サイドには当然、リスクが伴うことですからそのリスクがお値段に跳ね返ってくるものであっても致し方ない、と言うことになるであろうから。
私の時代はどんなクラスの店であろうと、接客の精神だけは常にハイクラスでいろ、という教えでしたが、今はもうハイクラスのサービスを受けたかったらハイクラスの店に行くしかない。
そういうクラスの店でないなら、そういうサービスが受けられなくても当たり前になったのだな、ということを身に染みて感じました。

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