ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

村上春樹さんのお父さまとうちの父との共通点

2019-05-24 09:01:38 | 本と雑誌
  オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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最新6月号の「文藝春秋」に作家 村上春樹さんの特別寄稿記事が載っています。
どこかの書評で見たのですが、そこではセンセーショナルに、
「自分自身のこと、家族のことについては決して語らなかった村上春樹が、自分の父について初めて語った!」
という言い方がなされていました。
・・・その煽り文句に踊らされてしまったひとりでございます。
私はハルキストとは到底言えるレベルではありませんが、村上作品は全部読んでいます。
特に初期の頃の作品のほうが好きなので、余計に熱心な読者とは言えないんですが、新作がでるとやっぱり気になるって感じです。



そして村上さんが小説だけで評価されたくて、ご自身のことや家族のことについては一切語らないということもだいたい存じ上げていましたので(っていうか、村上さんに限らず小説家の人って、小説家兼タレントという人は別として、たいていそうでしょうけれど)、それをセンセーショナルに言われても、って感じはありましたが、やっぱり「文藝春秋」を買って読んでしまいました。
内容は、村上さんらしく、自伝とかお父様の追想というよりは一篇の小説という感じでしたが、そこで驚きの発見がありました。
それは、村上さんのお父様とうちの父の生い立ちがかなり似ている、ということでした。



村上さんのお父様は京都のかなり上位のお寺の二男として生まれ、ひょんなことから住職であった祖父が早く亡くなった時にはお寺を継がなくてはならない状況にあったけれども、家族の猛反対と当時の、継ぐのは長男であるべきだろう、という風潮によりなんとかお寺を継ぐことはなく、まったく宗教からはかけ離れた職業(教師)になられたとのことです。
うちの父も、お寺に生まれ兄弟たち全員が継ぐのを尻込みしていたので(それは父もですが)、成り行きによっては継がなくてはならないという風向きもあったけれども固辞し、自分の好きな生き方をした、という点では似ています。
しかもその選んだ職業こそうちの父は教師ではありませんでしたが、うちの父の兄弟たちは教師になった人がとても多い。
ちょっと似ているっていえば似ていますかね。
違うのはお寺の格ぐらい。
父の場合は、そもそも「継ぐ」とか「継がない」とかいうレベルかい、というほどの小さなお寺でしたから。



そして、2つめには親から見捨てられた経験があるということ。
村上さんのお父様は、小さい頃、よそのお寺に小僧として出されたことがあるとのことです。
それはそのままそこの養子になる、という含みを持ったものだった、と。
この時代というのは今ほどに自分の子どもを手放す、ということが世間的にも本人たちにも一大事という時代ではなかったので、子どもが多い場合、長子以外の子どもたちを口減らしに養子に出すということは珍しいことではありませんでした。
しかし、結局村上さんのお父様は身体を壊したため、実家に戻り、その後、どこにも出されることもなくふつうに育てられたのだ、ということです。
けれど、村上さんいわく、
「父はそのことをまったく僕には話さなかったけれども、その体験は父の少年時代の心の傷として、ある程度深く残っていたように僕には感じられる。どこがどうという具体的な根拠はないのだが、そういう雰囲気のようなものが父にはあった」
と書いています。
うちの父の場合はちょっと事情こそ違いますが、実の母親が産後の肥立ちが悪く死んだため、その縁戚のあった家に養子に出されています。
そこでは実子以上に大切にされふつうに育った、と聞いてきました。
それどころか、父が小学5年生のとき、
「実はね、おまえは本当はうちの子ではないんだよ」
と初めて養家からそのことを明かされたとき、父はとても不思議な気持ちだった、と私に話したことがありました。
「それでこれからも何も変わることがないなら、なんでそんなことをわざわざ話す必要があるんだろう?」
と思った、と言うのです。



それを私はずっとまともに受け流してきたわけですが、よくよく考えてみれば、父は言葉足らずに“不思議な気持ち”と私にそう言いましたが、その“不思議な気持ち”の中には、「やるせない気持ち」「悲しみ」「腹立たしさ」などが含まれていたのかもしれない、とようやっと今になって私は気付きました。
それも村上さんの「どこがどうという具体的な根拠はないのだがそういう雰囲気のようなものが父にはあった」という一文からようやく気付いたのです。
「どうしてそんなことをわざわざ話すんだ?」
という思いのなかには、
「わざわざ言うということは、やっぱり僕のことを実子以上には可愛く思えない、ということが言いたいのではないか?」
とか、
「それでもお前のことは大切に育ててやってるんだから、ありがたく思えよ」
という実際の親子関係だったら生じない、親が小さい子に尽くすのは当たり前、ではなくて、
「それはちゃんとお前が成人してからは帳尻あわせろよ」
という養家からのプレッシャーのような匂いを感じ取ったのかもしれません。
だから父は必要以上に人間関係を濃くしない、という道を自ら選んできたという感じがします。
それはそういう主義だ、という問題ではなく、彼の皮膚に滲み込んでしまったものだった、という感じで。



そして3つめ。
村上さんのお父様もうちの父も戦争に行った、ということ。
うちの父は訓練ばかりで実際の戦地に赴くことはないまま終戦を迎えましたが、村上さんのお父様は何度か戦地にも行き、実際に捕虜の処刑にまで立ち会っておられます。
だから余計にその体験は色濃いものがありましょう。
そして、時代が同時代であれば、「戦争に召集された」という経験は男子であれば誰もが持っていることなので、村上さんのお父様とあなたのお父さんが同じだった、というほどの要素にはこれはならないわよ、と言われればその通りだと思いますが、戦争に行った人だからこそ抱いた諦観がある、という点ではやはり重要なファクターだとは思います。



出自がお寺であわよくばお寺を継がなくてはならなかった。
幼い頃、親に捨てられた(と感じるような)体験がある。
戦争体験がある。
この3つの共通点というのに私は驚いたのでした。
そしてもっと驚いたのは、そのように似たような体験をもった父親を持っていても、その子どもの出来たるや、こうも違うものなのか、ということでした。
とほほ。
当たり前っちゃ、当たり前のことですがね。



そしてもう1つ発見したことは、親に対して何かしら負い目のようなものを持っている、というのも村上さんと私とでは似ている、と思いました。
というか、ひょっとするとこれは誰もが持っているものなのかもしれない。
自分は親を超えることができなかった、という思い。
それが自分自身の人格形成においていろんな意味で影を落としている・・・
そのことについての気づきはまた明日にします。




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