家の近くにある「99ショップ」に寄りました。
私の家の近くには歩いていける範囲でのスーパーがなくて、ちょこっとの買い忘れや買い足しなら「99ショップ」を八百屋代わりに利用しているんです。
で、レジに並んでいました。
すると、私の前で清算していたおばあさんが100円玉を落としてしまい、それがレジカウンターの下にもぐりこんでしまったのです。
「あらあら、落としちゃったわ。取れないわ。そっちから見て、ない?」と店のスタッフである若い男の子に言いました。
そういわれたスタッフの男の子は、のろのろとした動きでレジカウンターの下をのぞきこみました。
「ないですねぇ。」と一言。また、たたずむのみ。
そのおばあさんは、
「まぁ、いいわ。」と後ろに並んでいる私たちを見やりながらちょっと焦った様子でちょっと苦笑いしながら、また再びお財布から100円を取り出して払おうとしました。
それを当然のように受け取ろうとする店のスタッフ。
私は思わず、口を出してしまいました。
「この方が100円玉を落としたことは確かなんだから、あとでもう少しカウンターどけるとかして探せばいいじゃない。これじゃ、二重取りじゃないの?」
おばあさんはほかの人が居る前で恥ずかしいのか「いいのよ、いいのよ。」と笑っていましたが、私はもうすでに、いや、笑ってていい問題じゃない。あなたがよくても私が許せない、と言う気持ちになっていました。
何で私って、こういうときみみょ~に義憤にかられるんだろう・・?
(はぁ~、またやっちゃったよ・・)と内心思いながらももう後戻りは出来ません。
スタッフの男の子は「そう言われても、どうしろっていうんですか?僕に」的な、
無表情でなんの感情も表れていない様子でただ立ち尽くしていました。
するともうひとつのレジのほうに入っていたスタッフの女性がこちらの様子に気づき、そちらにもお客さんは並んでいましたが、「どうしました?」と駆け寄り、事情を話すとすぐに「あぁ、それはすみませんでした。代金はけっこうです。」と言って、おばあさんは「いいの? いいの?」と言いながら、ちょっとバツが悪そうに帰って行きました。
この間、いっさい当事者である若い男の子のスタッフは鉛筆の線で書いたような張り付いた顔をしたまま無表情。なんの動きもなし。
一件落着となった後も「あ、終わりましたか? じゃ、僕、つぎの人に取り掛かっていいっすか?」みたいな他人事という感じで、まるで何事もなかったかのようにレジ作業に戻りました。
この若者の、いっさいがっさい自分とは無関係なところでコトは起きている、自分は何にも関わっていない、という態度はなんなんだろう?
でも、悲しいかな、こういう若者ってちらほら見かけます。
皆、この若者と同様にずーっと無表情でな~んにも感じていないような顔をしています。動きものろくて「きびきび」とは対極にあるような人。
取り付く島がないほどの無気力さなので、ついこういう人ってな~んにも感情なんてないんだろうなと思っていると大間違いで、もちろんこういう人たちにも感情というものはあり、それが自分だけの空間だとか、自分にとって居心地が良いと感じる場所では感情が発揮されたり、ときには「この子が!」と驚くほどの感情を爆発させたりする。「キレる」というのはこういうタイプに多かったりして・・
私がどうしても信じられないのは、たとえば私がハタチそこそこの小娘だとして、今日がアルバイト初体験、という初日にさきほどのような事態になってしまったとしましょう。
もう、どうしていいかわからなくてパニくるでしょう。自分には、何の権限もないし、どうしたらいいの?と思うでしょう。
でも、そう思っても少なくとも店の中にお金を落としたお客様からもう一度お金をいただくというのは、店としていかがなものか?という疑問はいだくと思います。そして、自分で収拾がつかない、どうしていいかわからないと思ったら店長なり、先輩のスタッフに助けを求めます。
それを今日のスタッフはいっさいしなかった。
ただ、傍観者でいるのみ。
感情がないわけでないなら、どういう心の動きで「無表情、無対応」にしているのか、彼に聞いてみたい衝動に駆られました。
「過去になにか同様のことが起こり、そのときに自分から何かを働きかけたら損だ、という教訓でも得た?」
「感じる心はあるのだが、あまりにもそのテンポが遅く、つい人から見ると無表情に見えてしまうだけ。自分でも行動も起こさなきゃ、と思うのだけれど、それより早く、大概回りの誰かのほうが先に声をあげてしまうので、自分としては結果的に何もしていないということになってしまう?」
「今までも、自分のことでも大概回りの大人がさっさと手を出してくれた。なので、自分で意志をだしてなにかしたことがないからわからない?」
いったい、どういうことなんだ!! 教えてくれよぉ~!!
教えてもらってもだからどう、ってことじゃないかもしれないけれど、わからないと薄気味悪いんだよ~
ただ、私がふと思ったのは、こういうことって「個人の資質」の問題だと考えられがちだけれど、実は違うのではないか、ということです。
だって、同様のことが「イオン」なり「アピタ」なりで起こった場合、たとえ今日から入ったレジ係でも、まったく無表情で無対応のまま立ち尽くしているだけ、なんていうことはありえないだろうな、と想像して思うわけです。
「だって、ああいうところは大企業だから、お客様の前に立つ前に相当トレーニング期間があるんじゃないの?」
そのとおりだと思います。
だけれども、さすがに「お客さまがレジカウンターの取れないところにお金を落とした。さあ、どうする?」などという具体的なシミュレーションの訓練があるわけではないと思います。
「個人の資質」ではなくて、実は「企業体質」がじわじわと店の最前線であるスタッフに染み込んでいく、伝染していくのではないか、と思うのです。
それを若い子は敏感だから早く、体現するだけで。
その「企業体質」に対して、僕は「傍観者なんだよ」という、無表情、無対応はある意味意志の表れなんではないか、と思ったのです。
以前、100円ショップではさみを買った老人が、家に帰ったらすぐに壊れたのでもう一度店に持って行ったら、レジに居た若者にふっと軽く笑いながら、
「お客さん、100円なんですよ。」といわれた、という話を聞いたことがあります。
つまり、たかが100円のものを買っておいて、すぐ壊れたからって文句言いに来るかよ?ということなわけです。
もちろん、その老人は怒り心頭でした。
個人の資質も多分にあるでしょうけれど、これを一販売員が勝手に言うかなぁ?という気持ちもあるわけです。
どこかで先輩社員が「うちのような安く提供してやってる商品買っておいて、すぐ壊れたとか言って文句言いに来る客って信じられないよな。」というような雑談を聞いたことがあったのかもしれません。
いずれにしても、ぜったい企業体質として「100円なんだからさぁ・・」というエクスキューズがあるように思います。
「99ショップ」もこれと同様です。
今日ほどのことではないにせよ、いつも「99ショップ」を利用して「安く提供しているんだから、それ以上のことは勘弁してよ。」的な姿勢をちらっちらっと感じるときがあります。
たとえば、レジ前は狭く、どうやってお客さん、これ並んでるの?というのがわからないときがあります。そんなときも店員は知らん顔です。
お客さん同士でそこは適当にうまくやってよ、こっちはそんなことには関知してないよ、という見てみぬふりです。
こんなの一言店側から「どうぞ、こちらからお並びください。」とか「お次に早かったのはどちらのお客さまでしたか?」と聞けばいいだけのことじゃないですか。店側がしきるのが当たり前のことでも「安く売る」以外のことはしないよ~ん、という態度なのです。
こんなことからも他は推して知るべし、です。
こういったささやかな店側のおごりを働いているスタッフも見抜くのではないでしょうか。「見ぬく」あるいは、その空気が「伝染する」、どこかそこにいるスタッフがもともと持っていたものと「同調する」。
不況、不況と言われて首切りもどんどんエスカレートしているようですが、ちょっとしたことに手間を惜しんでいるだけで、そんなことぐらい、気の持ちようでどうにもなるでしょ、ということをやっていないだけのところが多いようにも思います。逆に言えば、ちょっとした気配りをするだけで同業他社にはうんと差をつけることも可能だ、ということです。
「自分からは働きかけない」「傍観者で居る」人生と、「自分から積極的に働きかけて」「自分の人生の主役で居る」人生とどちらを選びますか?
もちろん、後者ですよね。
前者は、ラクなようでいて、まともな神経の人ならかえってしんどいと思うよ。
ほんと、今日のスタッフの男の子にも「あなた、しんどいでしょ。」と言ってあげたい気分ですわ。
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