いや、別に日曜日と祝祭日をボトルの紹介の日にしよう、って決めたわけじゃないんですけどね。なんとなく。
「風のなかのキャンドル」と言われたとき、皆さんならどういうイメージを抱きますか?
私は、ゆらゆらと今にも消えそうに右に、左に、とゆらめきながらも決して消えることのないキャンドル、つまり、「柳に腕おれなし」という言葉をイメージします。
か弱そうにみえるけれど、実は芯がしっかりとしていて最後の最後は自分の力ですっくと立っている、と言うような女性。
事実、このピンクとレッドの色合いはとても女性的なものを感じさせます。
そして、これは私だけでしょうか。ピンクとレッドの組み合わせ、というのは意外に大胆な感じも受けます。
ファッションなどでピンクのお洋服を着たとき、それにさらに何か小物を合わせようと考えるとき、レッドを選ぶ人がどれほどいるでしょうか。たいていはピンクをさらに華やかでさわやかに見せる、パステル系のペールブルーなどを思うのではないでしょうか。
ピンクにレッドをもってこよう、と思いつく人というのは、かなり大胆で、ちょっと変わり者っていう感じがします。
またその逆にレッドのお洋服を着たとき、それに何を合わせるかと考えたとき、やはりピンクを選ぶという人は少ないのではないでしょうか。
レッドを選んだ時点ですでにパワフルでやる気マンマン、「今日はなんだかイケイケの気分なのよ!」という感じでしょうから、それに合わせるのはヴィヴィドやストロングなイエローだったり、ブラックでさらにレッドを強調したかったりなどではないでしょうか。
ここで合わせる色としてピンクを思いつく人というのは、イケイケでありながらも自分が女性であることを忘れない人なのでしょう。
あるいは、レッドにピンクを合わせることで強くなりすぎる印象を和らげるという効果を狙っての案外策略家かもしれません。
どちらにしても一筋縄ではいかないぞ感を漂わせますよね。
そしてまた私は、なぜかこの色の組み合わせを見ていると「和風」なものを感じます。
ちりめんの着物と帯。
和紙の柄。
女の子の結った日本髪に挿すかんざしや櫛。
そんなものたちをなぜか想起するのです。
それは明治~昭和初期なテイスト。
その時代というのは女性が非常にがんばった時代ではないでしょうか。「明治の女性は強かった。」と言いますが、うちの亡くなったおばあちゃんもそうでした。
肝っ玉かあさん、というか、細腕繁盛記(わかんないですよね・・)というか。
というわけで、このピンクとレッドの色の組み合わせは私にしてみれば、女性的なんだけれど、ものすごくしっかりしている人のようだ、という感じだったんですね。
・・・とまぁ、このような個人的なイメージから、最初に戻りますが、私はこのボトルをずっと「柳に腕折れなし的意味ボトル」だとばかり思っていたのです。
しかし、あるとき「新・ネーミング・オブ・ザ・ボトル」で確かめてみてびっくり仰天。
ちょっと違うじゃありませんか。
そこにはこう記してありました。このボトルは「女性像の傷つきやすさをあらわしている。」と。
エルトン・ジョンがマリリン・モンローのことを歌った同じタイトルの歌があるそうです。マリリン・モンローは当時セックス・シンボルのように扱われていました。実際のマリリンは違うのに。幾度もの結婚を経て、そしてついには自殺と思われる孤独な謎の死をとげます。歌詞では、女性像を偶像化することがいかに女性を傷つけるか、ということが歌われています。
最近ではこの歌が書き直されて、ダイアナ妃のお葬式でも歌われたそうです。ダイアナ妃もまた、時代を背負い、あるべき女性像を背負わされた、とても傷ついた女性でした。
だから、このボトルは女性性のか弱さの象徴のようなのです。
しかし、この後、「新・ネーミング・オブ・ザ・ボトル」にはとても意味深なこんな説明がされています。
『キャンドルが燃えるにはある程度の空気の流れが必要です。しかし、空気がありすぎるとまたキャンドルは消えてしまいます。キャンドルは光の源であり、配慮と暖かさの多くの側面を象徴しています。風は変化のシンボルです。この側面がこのボトルの理解の要点を示しています。』
ね~。
相変わらず、持って廻ったような、ただでさえ理解しがたいことをより難しい言い回しにして、それでもついてこれる人しかわからなくて結構よ、と突き放したような表現でしょ~
要するに、「キャンドルが燃えるには空気が必要だけれど、あまりに強く吹く風のようなかたちでそれが提供されると消えてしまいます。キャンドルは光の源であり、それは配慮と暖かさを意味します。そして風は変化を表わします。そのふたつの関係を考えるとき、このボトルの意味がみえてくるでしょう。」とこんでいいわけでしょ。
キャンドルには空気が必要。でもそれもあまりに多いと逆に消えてしまう・・・
このように私たちには絶対的に必要だ、と思われるものでもあまりに多く取り込みすぎたり、依存しすぎたりすると、そちらに飲み込まれてしまって自分自身をなくしてしまうものがありますよ、という教訓でしょうか。
たとえば男女関係。
パートナーはいたほうがいいし、必要だけれど、相手にあまりに多くを期待しすぎたり、もたれかかったりすると、自分という存在のありかがわからなくなってしまったり、あるいは相手を失ってしまうことになる。
しかし、風が変化であることを考えると、あまりにそれを怖れすぎてもいけない。もともとが「関係性」とは変化するものなのであるから。
あるいは、相手は何時までも変わらずにいてくれる、と思っているけれど、それを相手だけに望むのは間違っている。自分が常に変わり続けるのと同じように相手もまた変わっていくものなのだから。
これは、このボトルがタロットでいうと「恋人たち」(Lovers)のリターンジャーニー(学びを終えて帰ってくる道。学びをシェアしあう道)であることを考えても、この解釈はそんなに間違ってはいない、と思います。
私たち一人ひとりの人間のなかには、たとえその人が女性であろうと男性であろうと、女性性と男性性というものが存在します。
それがうまく統合された状態でその人にとっての一番良いバランスで発揮されると良いのですが、女性性に傾きすぎると傷つきやすい状況に置かれたりしますよ、ということでもありましょう。
B84「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」(風のなかのキャンドル)
「気配りの欲求、内なる情熱のための思いやり」
キーノートは、「傷つきやすい感覚。より高い目的に向かう強さ。」
アファメーションは、「私が愛の力に自分自身を開く以前に過ぎ去ったことを手放します。」
特項として、*性エネルギーをスピリチュアルなエネルギーに変えるタントラのワークを助ける。
* 貧血の症状を和らげる。
* ホルモンのバランスを整える。
* 性的課題の援助。
もしあなたが今、パートナーとの関係のバランスが悪いな~と感じているなら、あるいは、自分自身のなかにある女っぽい部分、男っぽい部分のバランスが悪いな~と感じていることがあるなら、是非このボトルとワークしてみてはいかがでしょう。自分にとっての心地よいポジションにボトルが運んでくれるかもしれませんよ。
「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」では、全国どこへでもボトル1本から無料でお送りいたします。
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場所は、名鉄岐阜駅から徒歩5,6分のところです。(駐車場1台分有)
メルアドは
http://houken.de-blog.jp/sasarasaron/
に入っていただいて、「プロフィール」の欄を見ていただくと、載っています。
今使い始めたのがこのボトルで、調べてやってましたー♪
わたし、まさに恋人ができたことでバランスとれなくなる状態でしたよー。
ちょうどこれを使い始める前に、ちょっと距離をおこうという話になり、使いはじめてからは、内省して、私が一番かまってほしかったのは私なんだと、わかりました。
彼にうまく甘えられない、甘えさせてもらえないのは残念ですが
これを使っているうちに、うまく甘えられるようになるのかなー?とか期待してたりしてます(,,> <,,)
ちなみにこれは三本目で、次の四本目が上下逆のアルテミスだったりするので
なんかすごく女性としてのワークが来てるんじゃないのーと思ったりなんだりです!
最終目標はアルテミス!って感じたんですが、アルテミスもよくわかってない(笑)
これからどーなんでしょうねぇ
コメント、ありがとうございます。
B84使ってるんですね。
恋人という存在はそもそもが、バランスとれなくなるものかもしれませんよ。
だって相手が自分自身のように思えたり、やっぱりこいつは他人だ、と思ったり(笑)、というような存在が恋人でしょう。
赤白さんも前のときのコメントで、「主導権あらそいになったり、依存したり・・」とおっしゃってましたものね。
そうやって何とかバランスのとれる地点をお互いに探り合うのかもしれませんね。
そしてうまく甘えられるようになるといいですね。
っていうか、「甘えることできるようになった!」という意識さえせずに自然にできてるといいですよね。
4本目がアルテミスなんて、ほんとに女性性のワークですねぇ。
強い女性を目指しているんでしょうか。
そして本当に強い女性とは?ということを考えることになるかもしれませんね。
楽しみですね!