ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

再び「あなたのストーリーに私は興味がありません」について

2019-06-03 09:01:42 | コンサルテーション
<今後のワークショップ予定>


「カラー&カード会」  えつこ&YUMI
      場所:名古屋市 紹介制会員サロン「GRACE」にて
  自分の持っている最高の可能性は、それを使命とする場合も多いことです。
  自分の可能性に気付き、そしてそれをブロックしている今のテーマに気付くことによって
  あなたの可能性はより広げるでしょう。
6/19(水) 10:00~13:00(※その後、フルーツパーティのランチ付。解散は14:30) 満席御礼
7/11(木)          同上                              満席御礼

「オルゴナイトFESTA」 えつこ&RUBBY
            場所:京都市伏見区 サロン「RUBBY」にて
  オルゴナイトって何? 何も知らなくてかまいません。
  ただ、綺麗なものが大好き、波動とか不思議な話も大好き、って方、歓迎いたします。
  自分が、今の自分を取り巻いている運勢についてもお伝えいたします。
6/30(日) 11:00~17:00予定(ランチ付) ¥9000 
お席あります。chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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自分が、
「私は、私に対して素直な感情を伝えていなかったんだ・・!」
という気付きを得てからというもの、良いことばかりが起こっているような気がします。
お客さまが私のコースを受けたいとおっしゃってくださった、とか、東京からわざわざ講座にやってきてくださる、とか、猫の額ほどの庭の植木たちが去年よりずっとイキイキとし初めて花を咲かせた、とかそんなことですけれどね。
大阪に行って以来毎日ケイト・キングのジュエリーを身に着けていたので、これのおかげかしら、とかそのときに招き入れたレムリアンシードのオーラ水晶の色がオレンジからイエローになりこれもきっと良い兆候に違いないわ、と思ったり、精神的にすっとすると体調までよくなり健康のおかげだわ、ともうすべてに感謝する気持ちになれるのでした。
ではほんとうにそんな良いことばかり起こっているのか、と冷静になってみるとダーリンが今月は決算月で会社が苦しいと言って資金繰りにあえいでいたり、久しぶりに会った友人のイヤな面を見てしまうことがあったり、ということなどもあったといえばあったんです。
でもそんなことどうだっていいことに思えてくる。
全然大したことじゃないことに思えてくる。
そして私はハタと気付きました。
これまでさんざオーラソーマのコースなどでティーチャーから言われてきた、
「私はあなたのストーリーには興味がありません」
というあの言葉の意味は、こういうことだったんだ・・!ということに。



「私はあなたのストーリーには興味がありません」
というこの言葉の意味するところや、自分なりの見解については以前にもこのブログでも書いたことがあります。
でも、いま一度簡単にご紹介しておきます。
セラピーのセッション中にクライアントさんが、自分自身の身に起こったことなどのエピソードや自分の辛かったこれまでの人生について、事細かにつらつらと述べ立てるときがあります。
そんなときによくセラピスト側が使う言葉が、上記の
「私はあなたのストーリーには興味がありません」
というセリフです。
ですので、この場合の「ストーリー」の意味は、「身の上話」というほどの意味ですね。
ちなみに私自身は、クライアントさんにこう言い放ったことはありません。
言う勇気がない。
あまりに突き放した感じに受け取られそうで。
ただ、セッションそのものに「ストーリー」を詳しく話してもらうことが必要かどうかと言ったら、全く必要がないと言い切ることはできます。
ひょっとしたらクライアントさんにもそれはわかっているのかもしれません。
でも、自分が味わった辛い経験を誰かに聞いてほしくて、それが自分の周囲の親しい人にさえ誰にも話せなかったことであればなおさら、こういうところだから聴いてもらえるだろう、と話したくなる気持ちもわからないではありませんので、ある程度は気持ちがすっきりするなら話してもいいのでは、と思うだけです。



私が改めてハタと気付いたのは、
「ストーリーそのものを聞いてしまうと、それに対してアドバイスせざるを得なくなってくるけれども、それをしてしまったらただの人生相談になってしまう」
ということが1つです。
そして人生相談なら人生相談でもいいけれども、その人生相談を受けて立つほどの私には覚悟があるか、といったらありません、ということが2つめ。
そして究極的には3つめ、クライアント自身も、そのストーリーそのものの解決策を求めていらっしゃるのか、といったらきっと違う、ということ。
それらのことがハラハラハラッとドミノ倒しのような気付きとして私にやってきたのでした。



先日いらっしゃったお客さまはつらつらと事細かにご自身のストーリーを語るわけではありませんでしたが、聞くと夫のDV、子どもは不登校、姑の介護となかなかに壮絶な問題を抱えていらっしゃいました。
「この人の悩みや経験してきたことは、私よりずっと深くて重い・・」
と思ったとたんに、そもそもそんな相談に私が乗れるわけがない、ってことになってしまいます。
そのことそのものの問題解決をのぞむなら、世の中にはそれ専門の相談機関がありますからそちらへ行ったほうがいいでしょう、とアドバイスするしかないわけです。
DV、不登校、介護の問題、それぞれ。
けれど、その方が訪れたのはそれらではなく、カラーやパワーストーンを使って自分自身の内面を探検するという私の元だった。
それはその人がもう半分、
「いろんなことが起こっているけれども、結局は相手を変えることなどできなくて、きっとこれは自分自身が変わるしかないんだ。こういうことが連綿と起きてきたのも、自分自身が引き寄せたことなんだ」
ということをわかってらっしゃるにほかなりません。
だからそこからアプローチするしかないんです。私は。
どのみち、DVが起こってしまったときの実際の逃げ方、不登校の子どもとの接し方、自宅介護の留意点などの具体的なスキルが聞きたいというわけがない。
それらによって傷ついてしまっている私を助けて、ということなわけです。
であれば、どのみちDVやら不登校やら介護やらの専門家のもとを訪れてもきっと答えは似たようなものです。
「あなたの気の持ちようひとつですよ」的な。



そこまでわかってらっしゃるクライアントを眼の前にして、その人の「ストーリー」を
「うんうん、それで? その後、どうなった?」
などと身を乗り出して聞いてしまったら、せっかくほぼ答えにたどりついているクライアントを、今一度スタートラインに引き戻すようなものです。
あるいは、「ここのイタリアンってほんとに夢があって素敵よ」という感想だけで十分だったのに、「ここのイタリアンに使っている食材は○○と△△よ。わからなかったでしょー。まさか××が入っているとは」というオカド違いで現実に引き戻るような隠し味の話に持って行こうとしてしまうようなもの、かな。
現実に入っている食材の話をしてしまったらそれは料理人の立場の視点からの話となり、2度と「夢があったお皿だったね」という話には戻れないからです。
現実の人生相談に乗ってしまったら、そのあとから魂次元の話をしてもすべてが嘘くさく聴こえてしまうだけでしょう。



いずれにしても、私にはDVの相談にも不登校の相談にも介護の相談にも乗れない。
けれど、言うに事欠いて、
「それらも結局、あなたの問題なんですよ」
と突き放すのが答えなのか!というマネもしたくないし、必要ない。
ただ、この人自身がまだ癒されていないんだろうな、と思うだけです。
そして、自分が癒されていない、ということにさえ気付いていないんだろうな、ということです。
私がそうだったように。
きっと私が経験したように、自分自身にほんとうの癒しが起こったら、他人が聞いたら、「そりゃま、なかなかに壮絶な・・」というストーリーさえ取るに足らぬことに思えてくるような晴れやかな気持ちになるに違いありません。
だって、自分自身が癒されきったら、それ以外の他人は(たとえ大切な家族であっても)、しょせん自分以外の外側で起こっていることですもん。
だから、ストーリーに耳を傾けるのではなくて、
「いまだ、この人が癒されないのはどうしてなのだろう?」
「自分で癒しを拒絶しているものがあるとしたら、それはどうして?」
そこにだけ目を向ければいいのだ、ということを痛切に思いました。
それが、数々のティーチャーがつるんと言ってきた、
「あなたのストーリーには興味がありません」
だったのだな、と腑に落ちたのでした。



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