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<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>
*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*日々に感謝の気持ちが強くなります。
*人生における自分の選択に自信がもてるようになる
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*インスピレーションや直感が研ぎ澄まされます。
*目標が明確になります。
*他人が敷いたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩きだせるようになります。
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昨日は、孫に「いっしょに温泉行く?」と尋ねたら、「行く!」と言ったものの、じぃじを独占したいらしく私には
「えっちゃんは行かんといてほしい」
と言い、それを聞いても私は別にショックじゃなかった、むしろしめしめと思った、という話を書きました。
問題は、温泉にたっぷりと浸かり、「やれやれ」と温泉を後にしようとした時でした。
やはり根尾は岐阜市内とは全く天候が違い、来る時にもチラチラと雪が舞い、道路のはしっこや田畑の日の当たらない場所には雪が積もったままになっているのが見受けられたのですが、帰りにはなんと猛吹雪になっていました!
横殴りに降りつける粉雪。
いかにも積もりそうな感じの雪です。
道路はすでに場所によっては何センチか積もっていました。
街燈などついているわけもない田舎で、普段なら何度も来ている道だし、わかっているのですが、もう前が見えない状態。
車のライトをアップにすると、横殴りに降りつける雪にもライトが当たってしまい、かえって道がわからなくなる。
かといってアップにしていないと道と側溝との境がわからない。
ひょっとして道だと思っていたら思わぬタイヤを側溝にとられる、なんてことにもなりそうです。
「ひゃ~、これは恐いね~ ゆっくり走ってよ」
とわたし。
ダーリンは一応スタッドレスを履いてはいますが、もうスタッドレスではなく、チェーンじゃないと走行できないんじゃ?という天候になってきているように見えました。
後部座席で気を揉みながらシートの合間から顔をのぞかせ、私もいっしょになってフロントガラスを一心に見つめる。
こちらがそんな状態のときに、ですよ。
ふと孫をみやると孫は助手席でお気楽にも任天堂の3DSでゲームに夢中。
いっさい、前を見ていない。
まぁ、良く言えばそこまでダーリンの運転に信頼を置いているといえなくもないが、こんなときぐらいおまえ1人がそんなにお気楽でいいんか~!と言いたくもなりました。
孫は4歳ぐらいまでは一切ゲームはやらせない、という方針のなかで育ったんです。
別に本人も誰と比べられる環境にある、ってわけでもないので、それならそれで何も不自由は感じていないようでした。
しかし、4歳になり保育園に通うようになるとそうもいかなくなったようです。
それに、大人のほうがゲーム機を子どもに与えて置いたほうが自分が楽だ、ということに気付いてしまったんですね。
前はいったん車に孫を乗せると、もううるさくてうるさくてたまらなかった。
覚えたばかりの歌をうたいまくり、私たちにもいっしょに歌うことを強要する。
助手席でもシートベルトをすぐに外してしまい、車のなかで後ろの席に行ったり、また助手席に戻ったりと動き回る。
それでさんざ遊んで疲れるとコトンと寝てしまう。
あとにはつき合わされて疲れ切り、そんな風に簡単に寝落ちすることもできない大人が取り残されるって寸法、。
しかし、ゲーム機を与えて置けば一心不乱にそれをやっているので、大人はラク。
1度ダーリンが娘に、
「こんなにゲームばかりやらせていいのか」
とちょっと非難がましく言ったら、
「だったらパパだったら、この子にゲーム機与えずにずっと面倒みられるっていうの!?」
と逆切れされ、たしかにできません・・とすぐにカメの子よろしく頭をひっこめたのでした。
だから彼が今、ゲームに夢中になっているのは大人が仕組んだ、望んだ状況だから仕方がないのかもしれません。
でもすぐ横で大人たちが
「わぁ~! 大丈夫かなぁ!」
とか
「タイヤとられそうだよ」
とか
「すごい吹雪! 前が見えない」
と言ってるなかでよくまぁ無視して一瞥もくれることなく、集中していられるわ、お見事、と思いました。
そしてこのとき、私は自分が「えっちゃんはいっしょに行かんでほしい」と言われたときよりもよほどイライラしていたのでした。
そこで、私は先日の「潜在意識活性セミナー」を思い出し、
「どうして私はこんなにも孫がゲームに熱中していることにイライラするのか」
を掘り下げてみました。
まず、起きている<現象>は、
「こちらが運転にハラハラしているなかで一切顔をあげることなくゲームに夢中になっている孫がいる」です。
そしてそれに対して私に起こっている<感情>は「イライラする」です。
その<思考>は、「ゲームやるな! 少しぐらい前を見てみろ!と言いたい」です。
どうしてそう思うのか、と言えば、
「1人だけ異世界にひたってしまって現実をみようとしないでは、せっかく一緒にいるのにもかかわらず、現状を共有できないから」です。
どうして「現状を共有できないとイヤなの?」とさらにまた自分に問い掛けてみました。
一瞬うっ、と私は詰まりましたが、
「それはやっぱり・・ 一緒にいるなら共感しあいたいから」
と言いました。
「共感しあいたい、ってどういうこと? もっと簡単に言ってみて」
自分に問い掛けました。
するとなんと私から
「仲よくしたいから」
という答えが返ってきました。
これには自分でもびっくり。
結局、私は孫と「仲よくしたくて」「孫に好かれたい」と思っているんだ!
じゃあ、そんなに自分は孫が好きなのか?と問いかけると、やっぱり「別に」というそうでもない気持ちにも嘘はない、という私がいる。
なのに、仲よくしたくて、好かれたいんだ! わたし! と驚愕。
友人で
「私は、私の嫌いな人からも好かれたい」
と冗談まじりに言う人がいて、私もそれを聞いて「あはは」なんて笑っていましたが、冗談じゃなくて、私自身、本気でそう思っていたんだ、ということに心底驚きました。
この、人間の「人から嫌われたくない」「好かれたい」っていう気持ちはものすごく根深いものがあるのねぇ、と思ったことでした。
ま、人間という生き物は古来から集団で生きる、集団でしか、孤立しては生きられない(非常に生きにくい)生物でしょうから、そう思うのは集団的無意識のなかに強く強く、この世で生き抜いていくためのサバイバル、レッドの意識としてこびりついているんでしょうね。
この前のセミナーでわかったように、孫に対して抱いている気持ちの根っこはこれだけではないかもしれません。
でも少なくとも私は「仲良くしたくて」「好かれたい」と思っている自分を認めなくてはならない、と思いました。
そのために今よりもっと遊んでやろう、とか会いたい、とか全然思わないんですけどね(笑)
だったらどう処理していったらいいんでしょうね。
何か代替のことで昇華させたほうがよさそうだなぁ。
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「えっちゃんは行かんといてほしい」
と言い、それを聞いても私は別にショックじゃなかった、むしろしめしめと思った、という話を書きました。
問題は、温泉にたっぷりと浸かり、「やれやれ」と温泉を後にしようとした時でした。
やはり根尾は岐阜市内とは全く天候が違い、来る時にもチラチラと雪が舞い、道路のはしっこや田畑の日の当たらない場所には雪が積もったままになっているのが見受けられたのですが、帰りにはなんと猛吹雪になっていました!
横殴りに降りつける粉雪。
いかにも積もりそうな感じの雪です。
道路はすでに場所によっては何センチか積もっていました。
街燈などついているわけもない田舎で、普段なら何度も来ている道だし、わかっているのですが、もう前が見えない状態。
車のライトをアップにすると、横殴りに降りつける雪にもライトが当たってしまい、かえって道がわからなくなる。
かといってアップにしていないと道と側溝との境がわからない。
ひょっとして道だと思っていたら思わぬタイヤを側溝にとられる、なんてことにもなりそうです。
「ひゃ~、これは恐いね~ ゆっくり走ってよ」
とわたし。
ダーリンは一応スタッドレスを履いてはいますが、もうスタッドレスではなく、チェーンじゃないと走行できないんじゃ?という天候になってきているように見えました。
後部座席で気を揉みながらシートの合間から顔をのぞかせ、私もいっしょになってフロントガラスを一心に見つめる。
こちらがそんな状態のときに、ですよ。
ふと孫をみやると孫は助手席でお気楽にも任天堂の3DSでゲームに夢中。
いっさい、前を見ていない。
まぁ、良く言えばそこまでダーリンの運転に信頼を置いているといえなくもないが、こんなときぐらいおまえ1人がそんなにお気楽でいいんか~!と言いたくもなりました。
孫は4歳ぐらいまでは一切ゲームはやらせない、という方針のなかで育ったんです。
別に本人も誰と比べられる環境にある、ってわけでもないので、それならそれで何も不自由は感じていないようでした。
しかし、4歳になり保育園に通うようになるとそうもいかなくなったようです。
それに、大人のほうがゲーム機を子どもに与えて置いたほうが自分が楽だ、ということに気付いてしまったんですね。
前はいったん車に孫を乗せると、もううるさくてうるさくてたまらなかった。
覚えたばかりの歌をうたいまくり、私たちにもいっしょに歌うことを強要する。
助手席でもシートベルトをすぐに外してしまい、車のなかで後ろの席に行ったり、また助手席に戻ったりと動き回る。
それでさんざ遊んで疲れるとコトンと寝てしまう。
あとにはつき合わされて疲れ切り、そんな風に簡単に寝落ちすることもできない大人が取り残されるって寸法、。
しかし、ゲーム機を与えて置けば一心不乱にそれをやっているので、大人はラク。
1度ダーリンが娘に、
「こんなにゲームばかりやらせていいのか」
とちょっと非難がましく言ったら、
「だったらパパだったら、この子にゲーム機与えずにずっと面倒みられるっていうの!?」
と逆切れされ、たしかにできません・・とすぐにカメの子よろしく頭をひっこめたのでした。
だから彼が今、ゲームに夢中になっているのは大人が仕組んだ、望んだ状況だから仕方がないのかもしれません。
でもすぐ横で大人たちが
「わぁ~! 大丈夫かなぁ!」
とか
「タイヤとられそうだよ」
とか
「すごい吹雪! 前が見えない」
と言ってるなかでよくまぁ無視して一瞥もくれることなく、集中していられるわ、お見事、と思いました。
そしてこのとき、私は自分が「えっちゃんはいっしょに行かんでほしい」と言われたときよりもよほどイライラしていたのでした。
そこで、私は先日の「潜在意識活性セミナー」を思い出し、
「どうして私はこんなにも孫がゲームに熱中していることにイライラするのか」
を掘り下げてみました。
まず、起きている<現象>は、
「こちらが運転にハラハラしているなかで一切顔をあげることなくゲームに夢中になっている孫がいる」です。
そしてそれに対して私に起こっている<感情>は「イライラする」です。
その<思考>は、「ゲームやるな! 少しぐらい前を見てみろ!と言いたい」です。
どうしてそう思うのか、と言えば、
「1人だけ異世界にひたってしまって現実をみようとしないでは、せっかく一緒にいるのにもかかわらず、現状を共有できないから」です。
どうして「現状を共有できないとイヤなの?」とさらにまた自分に問い掛けてみました。
一瞬うっ、と私は詰まりましたが、
「それはやっぱり・・ 一緒にいるなら共感しあいたいから」
と言いました。
「共感しあいたい、ってどういうこと? もっと簡単に言ってみて」
自分に問い掛けました。
するとなんと私から
「仲よくしたいから」
という答えが返ってきました。
これには自分でもびっくり。
結局、私は孫と「仲よくしたくて」「孫に好かれたい」と思っているんだ!
じゃあ、そんなに自分は孫が好きなのか?と問いかけると、やっぱり「別に」というそうでもない気持ちにも嘘はない、という私がいる。
なのに、仲よくしたくて、好かれたいんだ! わたし! と驚愕。
友人で
「私は、私の嫌いな人からも好かれたい」
と冗談まじりに言う人がいて、私もそれを聞いて「あはは」なんて笑っていましたが、冗談じゃなくて、私自身、本気でそう思っていたんだ、ということに心底驚きました。
この、人間の「人から嫌われたくない」「好かれたい」っていう気持ちはものすごく根深いものがあるのねぇ、と思ったことでした。
ま、人間という生き物は古来から集団で生きる、集団でしか、孤立しては生きられない(非常に生きにくい)生物でしょうから、そう思うのは集団的無意識のなかに強く強く、この世で生き抜いていくためのサバイバル、レッドの意識としてこびりついているんでしょうね。
この前のセミナーでわかったように、孫に対して抱いている気持ちの根っこはこれだけではないかもしれません。
でも少なくとも私は「仲良くしたくて」「好かれたい」と思っている自分を認めなくてはならない、と思いました。
そのために今よりもっと遊んでやろう、とか会いたい、とか全然思わないんですけどね(笑)
だったらどう処理していったらいいんでしょうね。
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