団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

親と子のギャップ

2014年08月19日 | Weblog

  最近テレビによく出演している明治天皇の玄孫がいる。彼は「初めて友達の家に遊びに行った時、いきなりその家の玄関が道路に面していて驚いた」と言ったことがある。彼の家は門があり玄関まで距離があり手入れされた庭がある。私はもちろん玄関が道路に直接面した家に暮らした。今だって集合住宅なので庭はない。英国は身分階級社会だと学んだ。一部の金持ち貴族階級は、広大な領地に暮らす。家は何十という部屋があり、屋敷のあちこちに先祖の肖像画が列をなして壁を飾る。

  そんな英国の生活を垣間見ることができる英国BBC放送制作のテレビドラマ『シャーロック』をレンタルDVDで観ている。コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』の原作を土台に21世紀の英国に舞台を移した設定になっている。主演のベネディクト・カンバーバッチは好きな俳優だ。独特な風貌と目の演技に引き込まれる。役者、役になり切って演じる、としての見事な才能に感嘆する。

  シリーズ3の第1巻にこんな場面があった。シャーロックのベーカー街の事務所を田舎から訪ねてきた両親をシャーロックはいろいろこじ付けて事務所から追い出した。ワトソンは窓から外に出たシャーロックの両親を見ている。ワトソンとシャーロックの会話である。

「君の両親!」ワトソン

「・・・」シャーロック

「想像と違う」ワトソン

「何が?」シャーロック

「つまり思っていたより・・・」ワトソン

「・・・」シャーロック

「・・・普通だ」ワトソン

「僕の背負う十字架さ」シャーロック

  実に英国階級社会をよく表現できている場面だった。私はかつて英語と英会話を教えていた。70歳を過ぎ脚の弱った父親が1キロばかりの道のりを杖をついて散歩だと教室へ訪ねてきた。事務所の脇の生徒の待合室のソファに腰をおろし、杖に両肘を乗せて、出入りする生徒を見ていた。ある時社会人の英会話クラスの40歳代の女性生徒が私に言った。

「待合室にいる爺さんはまさか先生のお父さんじゃないよね」生徒

「私の父親です」私

「嘘!全然違う」生徒

「何が?」私

「想像してたのと」生徒

  英国と日本という違いがあっても、あまりにもよく似た光景である。私の心の片隅にずっと沈殿していたあの日の会話が英国のテレビドラマを観ていて甦った。正直に言えば、あの時、私は女性生徒を失礼だと思う以上に自分の父親を恥ずかしいと思った。それが悔しい。小学校も満足に行けず、丁稚として宇都宮の羊羹屋へ奉公に出た。戦争に徴兵され捕虜にもなった。体は小さかったが力があり働き者だった。子どものために犠牲になることをいとわなかった。父は72歳で亡くなった。学歴はなかったけれど独学でいろいろ学んだ。私は日本の高校に入学して途中からカナダに留学し父より学校に長く在籍した。父と同じように力強く生きたとはとても言えない。父は資産も家柄も学歴もなく、暮らしたのは、道路からすぐ玄関の家ばかりであっても、熱い思いを持って仕事をして、家族を守った。父が言った。「急ぐな。人間一代でできることなど知れている。でも続けろ、失敗しても続けろ」と。

 私は,見映えや暮らし向きこそ少し父よりましではあるが、まだまだ多くの点、特に人間としての逞しさなどで、父を超えることはできていない。見た目や肩書は、人を判断するのにあてにならないものだ、とようやく判りかけてきた。人間は外見ではなく、目に見えない人格、品性、教養、人徳で決まる。ギャップ、親との差と考えるのではなく、親が自分に譲ってくれた未到達な目標へ自分がどの程度近づけたかを思い、その目標を私の次の世代にバトンタッチしていくことを考えたい。

 

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