団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

窓からの肘出し運転

2014年08月29日 | Weblog

  あれほど暑い日が続いたのに、このところ急に気温が下がった。昨日、私の住む地の気温は、最低気温21℃最高気温が22℃だった。車を運転してもエアコンで冷房しなくてすむ気候である。

  日本の自家用車には、エアコンもナビも当たり前のように付いている。猛暑だと騒がれても、道路上の車、軽だろうがトラックだろうが、どんな車に乗っている人々も涼しげな顔で締め切った窓の向うに座っている。乗り合いバスでさえエアコン完備である。

  2001年10月から2003年3月まで北アフリカのチュニジアに住んだ。首都チェニスの道路は、カオスの世界であった。地中海式気候で冬はそれなりに寒く、家では暖房が必要な日も結構多かった。夏は国土のほとんどが砂漠であるアフリカの国らしく暑い。チェニスでの車の運転は、覚悟がいった。運転にコツもいる。私が一番役立ったのは、“道路でも駐車場でも引かれた線を気にするな”だった。自分の目で確認した自分の車が運行するのに必要な空間だけを突っ走る。チェニスの道路を走っている車の特徴は、サイドミラーがもぎ取れていることだった。サイドミラーがちゃんとしているのは、大統領と大統領一族、政府高官の専用車だとチュニジア人の友人が教えてくれた。サイドミラーがないということは、車体に当然ぶつかりぶつけられた名誉の凸凹や傷がある。サイドミラーがない分、車と車の間隔は狭くできる。だがこれだけでは済まない。

  当時チュニジアのほとんどの車にエアコンがついていなかった。タクシーにさえなかった。だから当然のように車の窓を開ける。窓を開けるだけならいい。運転手の多くが手や肘を窓から出す。中には窓のガラスを半分上げて、肘を乗せるという器用というか見ていて私が精神の安定を欠きそうになる姿もあった。窓から手や肘を出す出し方の多様性を観察できた。その風景は、失ったサイドミラーで減った車幅を取り戻しているようで可笑しかった。

  もう半世紀も前のことだが小学校の貸切りバスや列車での遠足が多かった。バスにも客車にも冷房なんてなかった。遠足前の説明会で担任教師は「窓から顔、手、肘を危険だから絶対に出すな」と繰り返した。腕がもげた事故、頭が電柱にぶつかって死亡した事故を怪談のように話した。遠足当日もその注意は続いた。バスのガイドも列車の車内放送も注意を繰り返した。遠足でどこへ行ったとか何を見たかは記憶にないが、繰り返された「窓から・・・」は脳に刷り込まれている。チュニジアでもどこでも窓から手や肘を出して運転しているのを見るたびにフラッシュバックのように「窓から・・・」が甦る。繰り返し学習の効果はすごい。

  先週、まだ猛暑だった日に久しぶりに窓から手を出して運転している人を見た。エアコンが壊れたのか、冷房が嫌いなのかはわからない。この暑さ渋滞という状況の中で珍しい光景だった。チュニジアの道路事情や夏の暑さ、小学校時代の担任教師が怖い顔して「窓から・・・」をうるさく繰り返す様子が走馬灯となって頭を回った。チュニジアの人々、小学校の担任教師、同級生、みな今どうしているかなと感傷的になった。忘れていた過去の記憶がある光景をきっかけに、スカスカになってきた脳の中で泡のように浮き上がりパチンと弾ける。

  車内はエアコンの自動運転で快適な温度に保たれていた。思い切ってエアコンのスイッチを止めて窓を開けた。熱風が吸い込まれるように攻め入った。手や肘は出せなかった。「窓から・・・」の小学校の担任教師の声がそうすることをまだ拒ませる。

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