団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

『丘の上の本屋さん』

2024年08月07日 | Weblog

  イタリア映画『丘の上の本屋さん』をアマゾンのプライムビデオで観た。図らずも先週友人を招いて食事中に勧められた映画だった。題名を聞いた時、どこかで聞いたと思った。私の記憶は、何事であっても尻切れトンボなのだ。マイリストをチェックすると『丘の上の本屋さん』がリストに登録されていた。この映画を勧めてくれた友人は、私たちと感性が似ているのかいつもいい映画を教えてくれる。

  連日の暑さで日中外出もままならず、家の中でボーっと過ごすことが多い。マイリストにあった『丘の上の本屋さん』を少し観て、良かったら妻と一緒に観ようと考えた。観始めた。止まらない。イタリア映画はフランス映画と同様画面が美しい。もちろん配役がいい。日本の配役は、同じ俳優ばかりでつまらない。少しはイタリア映画の配役を見習ってほしいものだ。

  BS日本テレビで毎週土曜日に放送される『イタリアの小さな村』を観ているようだった。妻には悪かったが、あまりに映画に引き込まれたせいで、最後まで観てしまった。妻には近いうちに休みに日に観てもらうことにした。

  映画を観ていて、私は私の父を思い出した。小学校の時、私は読書が好きだった。父は、尋常小学校さえ満足に行けず、幼くして丁稚に出された。羊羹屋だった。そこで子守をさせられた。同じ年頃で、片方は丁稚の子守で、もう一方は花よ蝶よのお坊ちゃまお嬢様だった。あまりの違いに父は心が折れた。勉強したくてもできなかった父親は、家庭を持って自分の子どもたちには、思い通りに勉強させられるよう働いた。父は、知り合いの本屋で好きな本を買ってきて良いと私に言った。私は、嬉しかった。学校の図書室の本と本屋に並ぶ本には違いがあった。私は、『少年朝日年間』や図鑑を買った。夜布団に入って、年鑑や図鑑を読んだ。そんな私の姿を父親は喜んでいた。

  私は、父親が貧しいながらも私に本屋で本をつけで買うことをさせてくれたことに感謝している。私は、自分の子供二人にも同じことをしようとした。世の中が変わって、もう本屋でつけがきかなくなった。図書券にした。小遣いは図書券だった。今、孫たちにも同じことをしている。孫が図書券でどんな本を買ったか報告させている。どんな本を好むかによって、その人のことが少しわかる気がする。微力ながら、好きな分野の本を読めるよう図書券を誕生日など折あるごとに贈っている。

  『丘の上の本屋さん』を親になった私の子どもにも孫たちにも、もっと年齢を重ねてから観て欲しい。本の世界がどれほど素晴らしいモノか知って欲しい。そして代々本を愛する人になってもらいたい。学校でもいろいろなことが勉強できる。でも本の世界には、境界がない。どんな分野にでもどんなに深くにでも入り込める。大きな本屋さんに入り込むと、大きな図書館に入り込むと、私は、星がきらめく宇宙の彼方にいるように感じる。輝く星はすべて本。その本には英知が詰め込まれている。星の数ほど本はある。

  本を1冊出版するために著者が準備にどれほどの時間を費やすことか。読む人にとって良い本が人の人生をどれほど変える力があることか。『丘の上の本屋さん』が語りかける。

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