チュニジアのゴルフ場の国際コンペで英国人、アメリカ人、カナダ人、私日本人の4人で回った時のことだった。前の組が遅くてしばし私たちは待たされることになった。「前の組にフランス人がいる。ゴルフはフランス人と一緒にやらないほうがいい。とにかくフランス人は規則を守らない」と英国人が言い、他の2人も彼らの経験談を話した。私もセネガルでフランス人と一緒にゴルフをしたことがあった。しかしただ聞くだけにして私自身の意見は言わなかった。なぜなら日本人も世界の国々でどう話されているかなんて判らない。国民性はそれぞれ異なる。だから海外旅行は楽しい。もしどこの国に行ってもみな同じだったら海外へ行く理由がない。私はフランス人の気質が嫌いではない。
今乗っている国産車の前に乗っていたのはフランス車だった。とても気に入っていた。フランスの機械類は使い慣れるのに時間がかかると言われている。しかし一旦慣れてくると独特の味わいがあり使う人の個性に馴染んでくる。私の車もそうだった。使うほどに愛着が生まれた。ところが日本の排ガス規制が厳しくなり、エンジン回りの一部の部品を交換しなければならなくなった。国産外車を問わず各社はシェア争いに生き残りをかけている。国産車のメーカーは無償もしくは格安で部品交換に応じた。私のフランス車のメーカーはあくまでもオーナー負担を貫いた。私は国産車に買え変えた。
ジェフリー・アーチャーの『プリズン・ストーリーズ』(新潮文庫税別667円)の64ページにこんな記述がある。「フランス人と来たら、あなたのお気に入りのネクタイにべったりソースをこぼしても、申し訳なさそうな顔をするどころか、逆にフランス語で客に悪態をつく」小説などの書籍の中で読者はいとも簡単に洗脳されてしまう。それにしても海外小説や映画テレビドラマでは、言いたい放題に人種宗教文化を扱う。それが面白いとも言える。日本では聖域とタブーが多すぎてとてもああはいかない。
あるスーパーの特別企画で貯めたポイントを使ってフランス製の鍋を廉価で手に入れた。私はフランス製の調理器具が好きだ。特に鍋類に信頼をおいている。ずっしり重くいかにも堅牢なつくりであった。IH対応でもあった。ところが使い始めて2週間、まだ数回しか使わないうちにIHのパネルがエラーと表示し始めて作動しなくなった。鍋の底を見ると塗装が剥げている。IHは数か月前にパネルを取り換え点検もしてもらったばかりである。フランスの会社だが製造は中国と記されていた。スーパーに電話をかけた。他の客から何の苦情もないので、まずIHのメーカーに問い合わせて欲しいと言われた。IHのメーカーに電話した。修理に来てくれた人が対応してくれた。彼の指示に従って、いくつかの鍋を乗せスイッチを押した。フランスの会社の鍋以外すべて正常に作動した。
再びスーパーに電話した。快い受け答えではなかったが、鍋を着払いで送り返してくれと言われた。送って2箇月が過ぎた。何の連絡もないので電話した。フランスの会社は、現在実験を繰り返していて調査精査中だと言われた。電話した後、もう1箇月が過ぎた。私は電話した。店長がじきじきに答えた。「新しい鍋を本日お送りいたします」しかし私には「フランスの会社が回答しないので当社が新しい鍋を当社の負担で送ります」と聞こえた。私が思った通り、新しい鍋は届いたが、そこにフランスの鍋の会社の調査結果報告書は入っていなかった。
世界で商売するには、このくらいのふてぶてしさがなくてはやっていけないのかもしれない。それでもスーパーが示した「お客様は神様です」の日本的対応には好感を持った。最近海外からの観光客が増えているという。日本のオモテナシを外国人観光客は求めている。海外からの旅行者の自国文化と異なるが故に観光となる。多くの媒体は私たちを洗脳して先入観、偏見、差別をうえつけようとする。メアリー・ビアードは「先入観を持つということは、英知への扉に鍵をかけてしまうことだ」と警告する。四方八方から飛び込んでくる情報をどう処理するかは、自分の最終的な判断で決めたい。自分を鍛える修行は続く。