団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

登山

2017年08月21日 | Weblog

都合により23日(水曜日)投稿分を本日に変更させていただきます。

①    中学生2年 北アルプス 燕岳 (標高2763m)

②    小学生5年 烏帽子岳 (2066m)

③    小学生2年 太郎山 (1164m)

①    74歳の広島の男性が北アルプスで今月13日に遭難した。行方不明になっていたが20日、富山県黒部市の山中で1週間ぶりに発見された。男性は県警のヘリコプターで救助され、衰弱のため市内の病院に運ばれたが、けがはないという。13日午後4時ごろ、北アルプス・唐松岳から祖母谷温泉に向かう登山道の南越沢(標高1000メートル)で足を踏み外し、約10メートル滑落した。その場から動かず、沢の水を飲み、持っていたチョコレートを小分けにして食べながら、助けを待っていたという。立派である。私は到底できることではない。そこまで危険な思いをして山に登ろうという気がない。

私より年上でいまだに登山を続けている人はたくさんいる。私の高校の同級生にも日本百名山を制覇したとか、まだ山登りをしている人が多い。私はと言えば、心臓を悪くしたのが理由でもあるが、もともと臆病者で面倒くさがりなので、苦労するのがわかっている山登りはしない。そんな私だが、小学校、中学校で学校行事としての登山のおかげで山の頂上に立った経験ができた。中学2年生の時、北アルプスの燕岳に登った。まだ元気が良かった。3人の同級生と競うように速足で登った。クラスの中で一番早く頂上に立ち、下りも急いで、旅館に到着して3人で風呂に入ったのを記憶している。それ以後山登りをしなかったのは、きっと魅力を感じなかったのであろう。高校2年でカナダに渡った。アルバータ州にはロッキー山脈があり登山のチャンスはあった。キャンプに行ったぐらいで登山もスキーもしなかった。妻の海外勤務でネパールに3年住んだが、登山はおろかトレッキングさえしなかった。臆病者の私は、遭難のニュースを聞くたびに山から遠ざかった。自分の足で登るのは嫌いだが、ケーブルカーや登山電車で頂上まで行けるなら、喜んで頂上まで行く。富士山へも何度も誘われたが、「富士山は下から見る山で、登る山ではない」と断ってきた。

②    小学校5年生の時は、烏帽子岳に学校登山で登った。普段上田市から眺めていた山だった。その頂上は2つに分かれていて、その形が昔の烏帽子に似ている。この独特の頂上の形は、私のふるさとの景色となった。カナダでホームシックになると必ず烏帽子岳か太郎山が思い出された。烏帽子岳に登った経験が、きっと強い印象となって残っていたのであろう。今は地元のケーブルテレビの会社が、烏帽子岳や太郎山をネットのライブで見られる。

③    太郎山には父親と2度登ったことがある。私が小学生の時と父親が70歳の時だった。今の私と同い年だった。父親は若い時、登山が好きだった。本格的に登山をしたという。脚が速い、野球が上手い。どうしてこうも私と違うのか。そんな父に癌が見つかった。父が私に頼んだ。「太郎山に登りたい」 二人で登った。普通2時間もあれば登れるのに4時間かかった。頂上で父はふもとの上田市をじっと見下ろしていた。それから1年半後、父はすい臓がんでこの世を去った。太郎山から上田市を見ていた姿を忘れない。

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